2007年01月13日

おからコンニャク(デーツ)・・・

おからコンニャク(デーツ)なる食べ物に開眼しています。おからをコンニャクで固めたような食べ物とご理解頂ければ良いかと思います。昔、大豆から作った「ソイミート」なる食べ物がありましたが、今でもあるんでしょうか?・・やはり、精進料理における「ガンモドキ」のような地位は築けず、ミートモドキに終わった感があります。ですが、このデーツ、中々優れものですよ。味はコンニャク同様、本来の味と言う要素は少ないのですが、味付け次第では、美味しい食べ物に変身しますよ。今日の肴はそのデーツの唐揚げです。決して鶏の唐揚げではありません。

そして、もう一品は昨日まで食べていた金平【大量に製造してしまいましてface07】を、このブログに遊びにいらしてる方からテンプラにしたら良いと、主婦の知恵を頂いて、考えただけでもアゴ?いや、ホッペタが落ちそうなので早速やって見ました。少し変化を加える意味で、桜海老を大量に混ぜ込みました。当然、つけ汁がなくても充分美味しいです。やっぱりアゴが落ちましたface08もう一品は、イカ明太子です。食べ物でもお酒でも、美味しく食べられる内が幸せですよね。  


Posted by shin344 at 18:52Comments(4)グルメ

2007年01月13日

吉田新田物語11・・・掘割川まとめ

吉田新田の産みの親とも言う吉田勘兵衛(8代目)さんと分家、吉田常次郎さんの最後の大仕事、堀割川掘削、中村弥八ガ谷戸の切り割りの経緯はこの辺で終りにします。

そもそも、この大工事の計画は次のようなものでした。①既存の中村川2830m(高砂町から吉浜町まで)を幅27mに掘り広げる②中村弥八ガ谷戸の山地を37m切り下げる③滝頭村海面へ540mの埠頭を築く④根岸の埠頭から弥八ガ谷戸を通り中村川合流点までの2622mに幅27mの新川(堀割川)を開削する⑤上記の工事残土で南一ツ目沼約23.1ha(7万坪)を埋め立てる⑥全ての工事は晴雨に係わらず18ヶ月で完成させる。というものでした。
しかし、工事計画は、予想外の難工事となり、重ねて豪雨や土砂運搬場所が離れていたこと、土地所有者との確執などが重なり、工事費用も莫大となり、遂に分家の吉田常次郎さんは破産をしてしまうに至りました。

さて、このようにして埋め立てられた「南一ツ目沼」ですが、必ずしも必要悪の邪魔な存在ではなかったようです。防潮堤が切られて潮が浸入したり、洪水の逃げ水、民家の下水、そして、人々が魚蝦を獲る場でもありました。ここの埋め立ての最中に洪水が起きて、伊勢佐木町近辺が床上浸水をして、社会問題になったこともあったようです。
また、この沼地は底なし沼とまで言われるごとく、大量の土砂が投入され、沼で犠牲になる工夫も多く居たようです。ともあれ、こうした難工事で予定工期18ヶ月をはるかにオーバーして3年後にやっと完成を見た訳ですが、またまた政府の横暴で、一ツ目沼の角地、今の吉浜町付近6千坪を勝手に囲い込み、横浜製鉄所の用地にしてしまいました。これには、吉田家の人々もがっかりしたでしょうね。
さて、この沼地埋め立てに投入された土砂の量は約71万㎥、東京ドームに換算すると【東京ドーム天井から床までの空間が東京ドームに換算してと良く言われますが、それが124万㎥】約半分ですが、工事にかかわった延べ人数は何と177万人におよびます。

こうして埋め立てられた「南一ツ目沼」ですが、今は一部が全国3大ドヤ(簡易宿泊所)街のひとつ、寿町、松影町となっていますが、その辺に至った経緯は横浜港港湾労働史に譲ることとします。しかし、堀割川掘削の土砂を一ツ目沼に投入した訳ですが、今ではそのドヤ街付近でホームレスをしている人が、堀割川沿岸の私の職場に流れて来る事実を考えますと、浅からぬ因縁を感じてしまいますイカリ  


Posted by shin344 at 14:39Comments(2)歴史