2007年02月06日

河井継之助とファブル・ブラントと長岡戦争と・・・5

(ファブル・ブラント商会1)
もう一人、イワン・カイザーという使節団の中の砲兵将校が、横浜で条約締結の翌日に土木技師として旗揚げをしたものの、ブレンワルドやファブル・ブラントのような強力な背景のなさからか、3年後には居留地人名簿から消えています。
さて、ジェイムス・ファブル・ブラントは、時計の産地として有名なル・ロークルで生まれてニューシャテルの工業学校卒業、特派使節団に22歳で加わりました。国民皆兵制のスイスで彼は射撃下士官の資格を持っていた事もあり、薩摩藩を訪れて、薩摩藩の藩兵に射撃の指導を頼まれたといいます。薩摩藩と言いましても必ずしも鹿児島で指導した訳ではなくて、横浜の薩摩屋敷での訓練かと思われます(今でも「薩摩町」の町名がファブル・ブラント商会跡近くに残ります)薩摩藩の武器購入係は大山弥助(巌)で、当時最新式のシュナイダー後装銃、クルーゾ銃などを大量に調達したそうです。メーカーとの代理店契約のために横浜のどの商社よりこれら武器の値段が安かったそうです。明治維新戦争前夜、ファブル・ブラント商会には薩摩の大山巌、西郷隆盛、黒田清隆、山県有朋など薩摩長州の藩士たちが集まったそうです。

この時期に、後に薩摩長州藩主体の官軍と激しく戦うことになる長岡藩士もファブル・ブラントとの親交を深めたと言われます。  続きを読む


Posted by shin344 at 18:23Comments(0)歴史

2007年02月05日

ルーツ探しの旅・・・

父方のルーツは、父の姉がその母親(私の祖母)から詳しく聞いていて、私に語ってくれましたので、明治維新の頃までさかのぼる事ができます。しかし25年前に彼岸へ逝った母のルーツは、母が亡くなる前に尋ねましたら「私の事なんか調べても分からないよ」と気だるく答えたっきりになってしまいました。2月の下旬に関西方面へ行く公務がありますから、ついでに母の出身地でルーツ探しをして見たいと思います。母の出身地は滋賀県近江八幡市江頭だそうです・・ってそれしか手がかり無しです。まぁ、私としては、母が生まれた地の空気を吸いに行くだけでも良いんですけれどねtrain_i01

今日の肴はビーフシチューですが、2、3日前の煮込みハンバーグに使ったデミグラソース状のものに、さらに、トマトやら、キノコやらを加えた、「恐ろしい」食べ物です。ところでちょっと自慢なのは、今、タクアン作りに挑戦していますが、その副産物のぬか漬けです。ぬか床を作って後はどんどんと漬けて行くだけですが、ぬか床の出来が良かったので、本来捨て漬けにするこのキュウリですが、複雑なコクは足りないものの、結構美味しく漬かりましたよ。この歳になって、今更ですが、母が好んで漬けていたぬか漬けの味が懐かしくなって来ましたよ・・・やっぱり、彼岸から母が呼んでいるのかなーface07もうしばらくは行けそうもないよ母さん!  


Posted by shin344 at 19:03Comments(4)日記

2007年02月04日

良いものゲットーー!!

今日は横浜開港資料館での「川の町・横浜」展を観に行きました。4月22日まで開催されていますが今までお話ししていた吉田新田物語をまさに裏付ける、とても満ち足りた気持ちで観ることができました。良いものを手に入れました。



これです。「横浜真景一覧図絵」、明治24年当時の横浜を空から俯瞰した、観光ガイドのようなものですが、現代の観光ガイドマップなどより余程美的にも優れものですよ。その上、今まで色々と調べていた事で分からなかったことが色々と分かって、私にとって本当に宝物です。横浜は、大正12年の関東大震災で一度壊滅しましたから、震災前の町の姿を知る為にはとても参考になります。とは言いましても、500円で買えちゃいますから、いかがですか?・・・icon19



今日の肴は、定番のアボガドとマグロのワサビ醤油和えです。毎度言いますが、アボガドと魚介類ってどうしてこんなに合うのか不思議ですね・・・icon28  


Posted by shin344 at 19:51Comments(4)日記

2007年02月04日

河井継之助とファブル・ブラントと長岡戦争と・・・4

(シーベル・へグナー社)
次はシーベル・へグナー社ですが、スイス使節団の一人、カスパー・ブレンワルドがヘルマン・シーベルとで作った商社です。カスパー・ブレンワルドは、スイス政府の横浜総領事に任命されていました上、スイス総領事館がブレンワルドの商館に置かれていました。つまりスイス総領事が経営者も務めるという横浜居留地屈指の商社でした。扱った品目は生糸の輸出と器械や時計の輸入を中心にしていました。当初は、シーベル&ブレンワルド商会と称しましたが、ブレンワルドの死後はシーベルト・ウォルフ商会、そして1906年にシーベル・へグナー社という名称に変わりました。主に生糸輸出に携わり、現代も、総合商社としての「シーベル・へグナー社」はアジア、アメリカ、ヨーロッパに40の支店、子会社を持つ大企業に成長しております。

右の画像は居留地90番地のシーベル&ブレンワルド商会です。
このシーベル・へグナー社は、同90番地(薩摩町の近く、後ほど話しますファブル・ブラント商会の道一本隔てた、お隣さん位の場所です)に十数年前までは、社屋がありました。今は、場所を移しましたが、土台石だけは残っています。(右の写真)
仕事でこのシーベル社(当時はシーベル社という由緒ある会社とは知りませんでしたが・・・)の横を良く通りましたが、社屋の前の狭い敷地内に、大砲が3本(本という言い方は正しくないのですが、そのような無造作な感じでした)、別に陳列すると言うでもなく置いてあったのをはっきりと覚えています。あの大砲は何処へ行ったのかと気にしていましたら、一本はシーベル社跡に残され、後は神奈川県立博物館、そして、開港資料館で見つけました。この大砲は、シーベル社が武器商人の顔も持っていた事も物語りますが、売れ残りの大砲を鋳直して鍋釜を作ったなどという話しも残っています。次はいよいよファブル・ブラント商会について話したいと思いますが、生糸や時計の商社が大砲などの武器を扱っていたという一面は、ファブル・ブラント商会にも共通した事です。  


Posted by shin344 at 19:18Comments(0)歴史

2007年02月02日

子どもたちの夢の後・・・

今は廃園になってしまいました「向ヶ丘遊園地」の跡地を訪れました。ここは、私も子どもの頃何度か訪れて遊んだ記憶がはっきり残る場所です。両親が健在だった頃、訪れて、現代のジェットコースターなどよりずっと、楽なコースターに乗って肝を冷しましたのも良い思い出です。



何か古代ローマの遺跡のような雰囲気ですが、この礎石の上を子どもたちの歓声を乗せた色々な乗り物が走っていたんですねー




ここは、向ヶ丘遊園の入り口です。レインボウ階段をこれから始まる楽しい時間にワクワクしながら登る(確かエスカレーターやリフトがあったように思えますが)親子連れが目に浮かぶようです。

子どもたちの楽しい夢の跡です・・・



今日は久し振りに崎陽軒のシウマイです。普通、食べ物は、食器に移して頂くのですが、崎陽軒のシウマイに限っては、幕の内弁当と同じで、容器ごとの方が、「崎陽軒のシウマイ」らしくて、浜っ子の私にとっては気に入った食べ方です。横浜土産の定番、崎陽軒のシウマイですが、私は出来ましたら、「博雅亭」と「清風楼」のシウマイも同時にお勧めしますよ。そして、もう一品は「モズク」です。beer_01  


Posted by shin344 at 19:38Comments(6)日記

2007年02月02日

河井継之助とファブル・ブラントと長岡戦争と・・・3

(バビィエ商会)
スイスという西の小国が日本という東の小国へ使節団を送るという事実は、アメリカ、イギリス、フランスなどの列強による外交団の影で誠に特異な印象が現代の私たちは少なからずあるものと、思われます。しかし、この一小平和中立国スイスの使節団は半官半民で、6人の使節団のうち、4人までが日本に定着した誠に合理的な使節団である事に驚かされます。これからは、ファブル・ブラントと同じく使節団に加わり、条約締結後、日本に定着した4人について語って行きたいと思って居ります。

商人の肩書きで使節団に参加したエドゥアール・パビィエは条約締結後に使節団を離れて、米一番館ウォルシュ・ホール商会で2~3年働いて貿易の経験を積みました。そして、157番地に「バディエ商会」を設立し、生糸の輸出を営み、後ほど語りますが、「シーベル・へグナー社」「ファブル・ブラント商会」と並んで居留地有数の商館になりました。1872年に76番地に新築され、ノーウィッチ・ユニオン火災保険会社の代理店やデンマーク総領事を委託されました。また、フランスに大きな生糸市場を持つバディエ商会は馬具とスカーフで知られる老舗「エルメス社」との取引が1950年代まで続きました。横浜スカーフが世界的に知られる事に大いに貢献したと考えられます。

しかし、総合株式会社としての再構成をしなかったバディエ商会は、歴史の節々で次第に日本の企業に吸収されて行きます。関東大震災で商館が壊滅すると、バディエはスイスに帰って二度と横浜へ戻りませんでした。その後「バディエ商会」はフランス人絹専門家リオポール・オドワイエに引継がれましたが「日中戦争」「世界第一次二次大戦」という世界の出来事により、「バディエ商会」→「オドワイエ商会」が横浜から消えたのは1987年だと言われます。消えてしまったんですねーカモメ次は「シーベル・へグナー社」について・・・・  


Posted by shin344 at 10:17Comments(2)歴史

2007年02月01日

梅は咲いたか~♪

ふと、窓の外に目をやれば、梅が咲き始めているではありませんか・・・ここ2~3日のポカポカ陽気で咲いたようです。毎年の事ですが・・・


梅が咲き始める時期は、これから先に何か良い事あるような、とても充実した気持ちになれます。♪~チ、テントンシャン、チチ、テントンシャン梅は~~咲いたか~桜~はまだかいな~~祖父が三味線を弾き、祖母がそれにあわせて日本舞踊を舞っていましたが、その光景が梅の花を見る度にありありと思い浮かびます。


今日の肴は、アジの刺身とシメサバです。


今日もまたまたペンキ塗りですが、しばらく続きそうですね。この技術が身に付いたら、業者にリフォームを依頼しても、騙されて、高額な工事費を要求されたり、頼める費用も持たない孤老のお宅を材料費だけで、修繕するような事をしたいなーと思って居ますface02

  


Posted by shin344 at 20:06Comments(6)日記