2007年12月09日

横須賀基地・・・

横須賀基地の「Grand Illumination」へ行って来ました・・・言うまでもなくこの基地は、終戦までは日本海軍の基地であり横須賀鎮守府が置かれていました。そして私の祖父、伯父がこの横須賀鎮守府に所属していたようです。そんな意味でも、思い入れのある基地でもある訳です・・・


ここは旧日本海軍の司令部があった「つわもの共の夢の跡」です・・・この玄関を私の祖父や伯父は一体何度くぐった事でしょう・・・






そしてこちらは、講堂です。現在は米軍が司令部として使用しているらしいです・・・2階の講堂では、キニック高校(多分基地内の高校)の生徒によるクリスマスソングのコンサートを堪能しました・・・



楽しそうに唄っていました。技術もなかなかのもので、久し振りに楽しませてもらいましたよ・・・この講堂も旧日本軍の建てたものでしょうが、63年前には、おそらく思いもよらない風景でしょうね・・・講堂に心があるならば、聞いて見たいですね・・・


こうして、軍港を作戦に出動して海の藻屑となった戦士たちの中には私が名前の一字を貰った伯父も居たんですね・・・同じ作戦に従事して、息子(伯父)を失った祖父は、死ぬまで、遠のく意識で息子の名を呼び続けていました・・・





そんな複雑な思いで見学させて貰ったのは、見納めのキティホークより、海上自衛隊の護衛艦「むらさめ」でした・・・艦に掲揚された日の丸と旭日旗を見た途端に、安心感を覚えたのは、日本の安全を守っているのは米軍だけでない事が実感できたせいなんでしょうね。それと、23歳の前途をアリューシャンの海に散らした伯父の魂がこんなところにも生きているように思えた事も確かです・・・


嬉しい遺跡発見!・・・明治2年に作られた、乾ドックです。一体今まで、何隻の艦船が修理されたんでしょうね。そして、今でも使われているのかなー・・・船
ところで、この基地公開のイベントにこんなに人が集まりました。今年4月にもイベントに参加しましたが、何時もものすごい数の人人人・・・なんで、そんなにまでして観たいのかと不思議です・・・そう言うお前は?と言われそうですが、私ははっきり言いますと、屈辱感しか感じません。こうして米軍に列を作らされて、正門に入る時もカバンの中身まで検査、縄張りをしたところを米軍監視のもと、まるで捕虜にでもなったように決まったコースを歩かされるだけ、このワンショットを撮った直後に前に居た米軍が私のところに飛んで来て、正門を撮るのは止めてくれですって・・・まぁ、軍事基地なんで仕方がないと言う気持ちもあります・・・私はまた、さっきから話していますように、祖父や伯父の「夢の跡」を是非観てみたいと思う気持ちが主なので屈辱に耐えていますけれど・・・えっ?大袈裟な?確かに・・・face10


  


Posted by shin344 at 16:00Comments(0)日記