2007年12月11日

アポカリプト・・・

インカ帝国後期、ある静かで平和な村がインカ兵たちに略奪され、青年ジャガーは、妻と子どもを、井戸に隠し自らは、捕虜となって、インカ帝国へ連行されます・・・

とにかく走る走る・・・ものすごい、追う者、追われる者共に運動能力抜群ですが、あの頃、ジャングルをホームグラウンドにして駈けずり回っていた彼等はきっと、こんなだったと何の違和感も感じませんでした。

それと、言葉をインカ時代の言語にした事は、さすがにメル・ギブソン・・・パッションで古代ローマ語やユダヤ語で演じたのには、大いに納得のこだわりです。私は、言語にはこだわりますし、吹き替えには反対です・・・ですから、英語で演じられる古代ローマの物語とか、英語圏以外の国の話しとか、全く受け付けません。韓国ドラマも韓国語の吹き替えなし、日本語の字幕スーパーで観るのが好きです・・・日本でも「蒼き狼」とか「敦煌」とかを作りましたけれど、中国やモンゴル人は絶対に観ないと思いますし第一失礼ですよ・・・
あっ!話しがそれてしまいました・・・何を熱くなってるんだface09icon10・・・平和な村を略奪して、男達を奴隷にしてしまうなんて、余程残酷な民族と思えますが、映像ではむろん残酷な場面もありますが、人間的なモラルや秩序も感じられます・・・そして各所に散りばめられた、インカ帝国滅亡の兆しが、強い者と弱い者のせめぎあいの中に、インカの人々の悲しみのようなものが伝わって来ます・・・久し振りに堪能出来た映画です・・・☆5つ


先日横須賀基地に行った際、米国兵たちが陽気に売るお土産のグッズや、ホットドッグ、ピザなどの売店の中で、海上自衛隊の「むらさめ」近くで、隊員がフランクフルトと焼き鳥を売っていました。まだ、全然お客が来ていなくて、半纏を着たおじさんの隊員が閑そうにしていましたので、フランクフルトを一本買って、お昼代わりにしましたが、何と美味しかった事!これを思い出して今日は、フランクフルトの焼いたものを肴にしましたよ・・・beer_01  


Posted by shin344 at 18:45Comments(4)日記

2007年12月11日

北方作戦・・・横須賀軍港に刺激されて・・・

真珠湾の急襲、ミッドウエイ作戦、沖縄戦、硫黄島戦など、太平洋戦史に残る戦闘は、数多くありますが、その是非はともかく、それらの作戦には、日米双方とも、大変な兵力を投入している事は、ご想像の通りです。
例えば私の祖父及び伯父が従事した「北方作戦」と言う、今ではほとんど知られて居ない作戦があります。この作戦は、北方(アリューシャン列島からダッチハーバー方面)からの米軍の日本本土空爆にショックを受けた大本営が、ミッドウエイ島攻略と同時進行の形で、行われました。言わば、ミツドウエイ作戦の「裏作戦」とでも言えるものでした。ミッドウエイ作戦は大敗を喫してしまい、これが、太平洋戦争での日本軍が劣勢になる一因とも言われ、特に現代に語り継がれる華々しい作戦ですが、その裏作戦の北方作戦で使われた、艦船を掲げて見る事で、戦争というものに流された汗と血と涙を伝えられたらと思います。
(戦艦)
那智(旗艦)・摩耶・高雄
(航空母艦)
阿武隈・龍驤・隼鷹・赤城丸
(駆逐艦)
初霜・若葉・初春・子の日(伯父搭乗)響・暁・雷・電・潮・曙・漣・帆風・汐風
(潜水艦)
伊25・伊26・伊15・伊17・伊19
(特巡艦)
浅香丸・栗田丸
(炭油輸送艦)
日産丸
(兵員及び雑輸送艦)
白山丸・球磨川丸(祖父搭乗)・明石山丸・第二東光丸・
(砲敷設艦)
まがね丸
(運輸艦)
衣笠丸(陸軍北海支隊員搭乗)
(水上機母艦)
君川丸
(特別砲艦)
神渾丸・第二日の丸・第十福栄丸・第一雲洋丸
(油送艦)
第二菱丸・富士山丸・帝洋丸・尻失
(病院船)
室戸
(農業監視艦)
快鳳丸・白鳳丸
(林業視察船)
俊鶻丸
(哨戒部隊母艦)
昌栄丸・安州丸・昭興丸

画像上は駆逐艦「子の日」です。この作戦で昭和17年7月5日米潜水艦「トライトン・・SS201」の攻撃を受けて沈没。
画像下は祖父が同作戦で監督官として搭乗していましたが、一旦日本に帰港した後、南方作戦に従事しました。

ここで長々と、艦名を連ねましたのは、目立たないこのような作戦にも膨大な資材と人間が投入されたという事を言いたかったのです。戦艦一隻に約2000名から3000名の兵士が、駆逐艦でさえ、100名前後が従軍している事を考えると、何をかいわんやです。これだけの資材と人命を投入する戦争と言うものが、無駄であるのか、そうでないのかは分かりません・・・無駄とするならば、伯父は何の為に、勇んで戦い戦死したのでしょうか・・・

(戦場からの手紙)
駆逐艦「子の日」が青森県の大湊港をアリューシャンに向けて出撃したのが昭和17年5月29日、そして輸送船「球磨川丸」は5月28日でしたが、祖父と伯父の親子は、出撃前のひと時を大湊で食事をして過ごしています。その事が伯父にとって大変に嬉しかったようで、自分の死地アリューシャンへ向かう艦上から、父へ向けて手紙に記しています。この手紙は伯父が肉親へ宛てた戦地アリューシャンからの最後の手紙です。


  


Posted by shin344 at 13:25Comments(0)歴史