2008年02月02日

横浜刑務所(横濱監獄)考・・・

大量の煉瓦を手に入れましたが、それをきっかけにして、この煉瓦が使われていた横浜刑務所について少しひも解いて見たいと思います。

そもそも、横濱監獄の始まりは、この場所に1859年(安政6年)、開港に伴う犯罪増加対応として戸部監獄(戸部牢屋敷)が設立されました。場所は現在の御所山町か伊勢町近辺と思われます。しかしこの戸部監獄も横浜の発展とそれに伴う犯罪増加により、建て増しを重ねたものの、収容し切れなくなったようです。


そこで神奈川県議会で予算が立てられて明治27年から明治31年までの5ヵ年計画で新たな地に横濱監獄が移設されました。そして明治32年から監獄としての事業を開始した訳です。その場所が現在の私の職場前、丸山なんです。




当時の横濱監獄の全容です。多分、現在の根岸米軍住宅辺りから撮影したものと思われます。

ところでこの写真は、私の職場近くに住む方が、やはりご自宅の土台にこの煉瓦を使われていて、その中から3種類を「横浜開港資料館」へ寄贈されたと言う記事がありました。このただの煉瓦に意味を感じている人が他にも居たなんて嬉しい限りですねー・・・face02
この煉瓦は現在の東京拘置所である「小菅監獄」で受刑者によって作られたと言う記録がありました。また、もう一種類「上敷免製」と刻印された、埼玉県深谷市の「日本煉瓦製造株式会社」が製造したものもあるそうです。私がゲットした煉瓦の中にまだセメントが覆っていて刻印が分からないものもありますから、この「上敷免製」の煉瓦も探して見たいと思います。右の地図は、関東大震災の時の横浜刑務所です。斜線で囲んだ部分が震災で類焼した箇所を表して居ります。

この地に戸部監獄が移設された時の最初の刑務所長(典獄)が、我が職場の創始者なので、横浜刑務所とは浅からぬ縁で結ばれているんですね・・・

この地図は再掲ですが、上の関東大震災時の地図と見比べて頂ければ一目瞭然かと思います。因みに我が職場の創始者はこの関東大震災の時は、奇しくもこの煉瓦が焼かれた小菅監獄の刑務所長在任中、震災に会い、受刑者全員を一時解放して、全員が戻って来たという美談を残して居るそうですよ。  


Posted by shin344 at 10:56Comments(13)歴史