2008年07月05日

To横濱 100years ago・・・弁天通り

弁天という地名について・・・江戸時代の横浜は、今のマリンタワー辺りの横浜村から桜木町方面への鳥の嘴状の「砂洲・・・洲干島」でした。その先端には弁天社がありました。今は全く痕跡すらありませんが、正金銀行(現神奈川県立博物館)が、この弁天社の一の鳥居があったと記録に残っています。


明治中期の弁天通りの様子です。弁天社自体はこの頃、既に、遷宮されていますが、元弁天社への参道として賑わっていたようです。右側の高い建物は「河北時計店」ですが、今は、その痕跡すら分かりません。


このように「弁天」は現在、通りの名として残っています他、弁天橋などがあります。因みに弁天社は現在、伊勢佐木町の道を一本隔てた羽衣町のビル街に不釣合いな赤い鳥居の場所に移築されております。そして、弁天通りは今、飲食店や商社がチラホラする静かな通りになっております・・・  


Posted by shin344 at 10:24Comments(0)横浜今昔物語

2008年07月05日

血・・・

兄弟が居ないし、親戚とも付き合いの少ない、私にとって、同じ血の流れを持った人とのときめきはほとんどありませんでした。ところが先日、伯母の卆寿祝いパーティーで一緒になった青年(従姉の息子)と職業が同じという縁で飲む機会がありました。

背が高くて体格の良い彼が、幼い子ども達にどう接しているのか、想像しただけで笑みが出てしまいます。

そんな身長と体格は我が家系では普通、私の息子もしっかりとデカイ!・・・もっとも私は縮む一方ですが・・・icon10

そして豪快に飲むこと、ビール大ジョッキで10杯以上グイグイっと・・・私もそういうの大好きで私の飲み方のペースと自負していましたから、負けじと同じ位、グイグイっと行きました・・・beer_01

そして、思考形態など、やっぱり私の祖父母の考えと似ていて、私の祖父母に彼は会った事がないはずなのに、本当に不思議なものです。

これが血の流れというもので、既にこの世の人ではない祖先たちは、私たちの血の中で生きているんだなぁってつくづく感銘しました。  


Posted by shin344 at 09:55Comments(2)日記