2008年07月18日

真景横濱今昔・・・不動坂Ⅱ

横浜に生まれて横浜で人生の大半を過ごした私にとりましても、横浜は本当に魅力的です。何がそんなに魅力的なのか、最近までは漠然としか分かりませんでした。一部の洋風建築とか、中華街とかそんな横浜を特徴付けるものはありますが、他はほとんど、東京・大阪・神戸などと変わらない都市であることも確かです。

でも、何かが違うんだなぁ・・・街中(まちなか)を歩いていても、他の都市では得られない「何かの安らぎ」を感じてしまうのは、私だけなんでしょうか?そんな何かを追求して見たくて、横浜の歴史を学び、To横濱 100years ago・・・と題して100年から150年前の横浜風景と現代の横浜を比較して見ると、ほんの少し、横浜の魅力何たるかが分かって来た様に思います。

ところで、今までは横浜古写真を「横浜開港資料館」から、使用許可を頂いて掲載していましたが、諸事情により、次の更新からは<「長崎大学附属図書館」所蔵の幕末・明治日本古写真データベース>から画像をお借りする許可を頂きました。ここでも、下の「長崎大学附属図書館蔵」のところでもクリックしてみて下さい。素敵な古写真に出会えますよ。「横浜開港資料館」様今まで本当にありがとうございました。

さて、そんな訳で、タイトルも新たに「真景横濱今昔」と変えましてもうマイペースで横浜の魅力に迫って参りたいと思います。そんな折、私のブログを読んで下さっている方から、「韓国語は?」って尋ねられてしまいました・・・face07
そちらの方も、マイペースで、またアップしたいと思いますが、この「横濱今昔」と同じで、「韓国語」も期待して待ち焦がれていらっしゃるなんて方は皆無だと思いますので、まぁ、義務感使命感なしのお気楽ブログという事で・・・icon10

さて、本題に入ります・・・

根岸駅近くから旭台や根岸競馬場跡(現根岸森林公園)に至る何の変哲もない不動坂ですが、幕末から明治にかけて、この坂から望む根岸湾(今はすっかり埋め立てられてしまっていますが)は当時ミシシッピー湾にも匹敵する位の景勝地で横浜の在留外国人たちのかっこうの遊歩道でした。


そして、もちろん日本人たちも好んで遊山したようですよ。人力車の親子なんでしょうか。車夫は大変でしょうが、本当にほのぼのとした光景ですね。この親子は何処から来て何処へ行ったのでしょう。明治 中期頃の写真と思われます。




  2点とも長崎大学附属図書館蔵


そして、現在の「不動坂」です。横浜は坂が多いと名古屋出身の人が嘆いていましたが、横浜人にとっては何ら不思議なことでもありませんし、この「不動坂」も今は地名として残るだけで、ミシシッピー湾も見えませんし、ごく普通の坂のひとつです。でも、100余年前には人力車が喘ぎながら登ったなんて知りますと、何となく、さすが不動坂!なんて思ってしまいます・・・face02  


Posted by shin344 at 18:39Comments(1)横浜今昔物語