2008年10月01日

真景横濱今昔・・・射撃場

以前、「ファブル・ブラントと河井継之助と長岡戦争」と言う記事を投稿しましたが、長岡戦争の項は、実際に私の父祖の地「長岡」に足を運んでからと思っています。ところで、そのスイス人ファブル・ブラントが会長の「スイス・ライフル・クラブ」と言う組織が明治時代にありました。ファブル・ブラントのことは、今詳しく再調査中ですので後程、詳しいレポートをしたいと思いますが、当時この射撃場では、大会が盛んに開かれていたと言います。

これは、明治4年(1871年)に開催された「スイスライフル射撃会」の様子です。スイスは国民皆兵の国で射撃が盛んだったそうです。国民皆兵で永世中立国の思想が、長岡藩家老「河井継之助」に与えた影響は大きかったと言えましょう・・・

的の辺りが現在の山手駅付近になります・・・

  提供:長崎大学附属図書館




:現在は、むろん射撃場は無く、射撃場に選ばれた真っ直ぐな地形がそのまま大和町商店街の通りになっています。上の古写真撮影場所は、住宅が密集していて、眺望が望めませんでしたので、少し射撃場所より下がりましたら、この辺を一望できる格好の駐車場がありました・・・・


この通り、真っ直ぐな大和町商店街・・・かつて射撃場だったことが納得の直線でした・・・  


Posted by shin344 at 11:26Comments(0)横浜今昔物語