2008年10月23日

真景横濱今昔・・・横濱弁天社物語

開港の頃一寒村だった横浜村は、今のマリンタワー辺りに散在した約90戸の半農半漁でした。そしてこの横浜村から野毛方面に象の鼻のように伸びた砂州だったとは、今の横浜を知る人の誰が想像出来るでしょうか?その砂州(州干島、または宗干島、州乾島)の先端には横浜村の鎮守「弁天社」がありました。

こんな風になっていたのです・・・焼きなましでスミマセン。一度アップしてもまた、堂々巡りで、再度アップしてしまう事は良くあります






福音社「ある都市のれきし」より(赤字加筆scemo)


これは、以前もアップしましたが、古地図を基にして私が州干弁天社付近を再現してみたものです。赤い大鳥居のところには今は神奈川県立博物館(旧正金銀行)が建っていますと、言うと大体の地理関係はお分かりかと思います・・・
これは幕末の頃の弁天社です・・・開港の後、この弁天社付近に官舎や、試験灯台を建てる為に社は、今の羽衣町に移動させられました。



提供:長崎大学附属図書館


羽衣町に移された弁天社です・・・境内には特に元州干弁天であったと言う記録は残っていません。寂しいものです。近々アップしたいと思いますが、現在、横浜スタジアムのある横浜公園にあった遊廓街が、慶應2年の豚屋火事の後に、関内から関外へ厄介払いされたのもこの羽衣町辺りだったそうですよ・・・  


Posted by shin344 at 20:59Comments(0)横浜今昔物語