2009年04月28日

ブラフ144番地・・・

ブラフ144番地は、ジェームス・ファーブル・ブラントが住んでいたところです。ブラフと言うのは、切り立った崖と言うような意味でしょうか?現在でも地番は変わっていませんが、ブラフは「山手」になっています。例えばブラフ・・・山手18番地はイタリア山の「外交官の家」という風に。



142番地辺りから、横浜港を望みます・・・有名な「港の見える丘公園」からの眺望と変わりません・・・しかし、言っても仕方の無いことですが、幕末や明治の頃は、これら港湾施設は一切なく、この崖(ブラフ)下まで、海だったと想像しますと、まさに絶景だったんですね・・・


樹齢100年もあろうかと思える楠です・・・きっとファブル・ブラント氏も目にしていたはず・・・


ファブルは大正12年まで存命だったのです・・・




この付近にある、キリスト教会です・・・幕末の外国人居留地に造られた、「天主堂」に雰囲気が似ていました・・・


こんな素敵な教会で、息子も結婚式を挙げられたら最高なのにね・・・って、これは独り言です・・・



ブラフ「山手」143番地の高級マンションです・・・残念ながら、144番地はこのマンションに吸収されてしまったのでしょうね。はっきりした番地としては見つかりませんでしたけれど、地番としては多分存在するのだと思います・・・


偶然見つけました!!・・・ブラフ142番地を示した、道標でした・・・これは嬉しい発見でしたよ・・・


この石組みを発見出来ただけでも、ここを訪れた甲斐がありましたよ・・・これは完全に幕末、明治の頃の房州石の礎石です・・・

これも別な角度から礎石を撮りました・・・この風光明媚な場所で、ファーブル・ブラント氏や、外国人のプライベイトが営まれていたのですね・・・ファブルの妻、松野久子さんやくま子さんもここで生活したんでしょうし、くま子さんとファーブル氏の娘、アデルさんも、ここブラフ147番地に住んでいたマーロンと言う医師と結婚してますが、そこにどんなお隣付き合いがあったのかは、今は想像でしかありませんねーー・・・  


Posted by shin344 at 19:55Comments(0)横浜今昔物語