2009年05月02日

湧き水再び・・・

この前、黄金橋の近くで偶然にこんこんとした湧き水を発見して、随分驚きましたが、今日は、打越橋の近くの湧き水を訪ねて見ました・・・

この湧き水の存在は以前から知っていました。20年近く前には、良くタクシーの運転手さんが、水分補給をしていましたし、ウイスキーの水割りとか、料理で使うなどと、タンクに詰めて水を汲んで行く人を見かけましたが、やはり、保健所あたりから、注意があったんでしょうね、「飲まないで下さい」と注意書きがありました・・・

それでも、後から来たお婆さんがペットボトルで汲んでゴクゴクと飲んでました。豪快でしたね・・・

この湧き水も、横浜港から出航する船に積まれたり、関東大震災や、横浜空襲の際にも貴重な飲料水として市民の命を救ったそうです・・・それでこの湧き水「霊泉」と言うありがたい名前を貰ったようですよ・・・  


Posted by shin344 at 17:52Comments(0)横浜今昔物語

2009年05月02日

再び「平子氏」・・・

以前、鎌倉時代に、磯子やら、中区、南区など久良岐(くらき)郡を掌握していた「平子(たいらこ)氏」のことを、Danbeさんの記事を基に、調べて記事にしたことがありますが、あれから、ずっと気になっていました。その時は、福井県や、山口県辺りまで勢力を伸ばした豪族でしたけれど、本家のあった横浜には、平子氏を偲ぶのは、わずかに地名として「平楽(へいらく)」が残るのみ・・と言うところまでで終ったようでした・・・

最初は、南区堀の内にある「宝生寺」が平子氏の菩提寺かと思いきや、この磯子区浜近くにある「真照寺」が菩提寺だったようです・・・もちろん宝生寺も何らかの関係はあったと思いますが、真照寺には、寺内にちゃんと、平子氏との由来が書いてありましたよ・・・

そして両方のお寺に共通するのは、近くに物見台に使えそうな、見晴らしの良い丘があることでした・・・

平子氏を偲ぶ、平楽の地もやはり、こんなに見晴らしの良い場所でしたし、戦国武将としては、何時なんどき敵の侵入があっても良いように、見晴らしの良い場所を陣取ったことは想像に難くありません・・・

平楽から、見渡せる、市街地、江戸時代の始め頃に埋め立てられるまでは、風光明媚な内海でしたから、本当に絶景だったんですね・・・

平楽中学校の真ん前にありました、「赤塚」と言う石碑と由来の碑によりますと、一帯を支配していた平子氏が葬られた塚があったらしいです・・・この石碑の建つ土地の持ち主も「赤塚」さんだそうですよ。はっきり残っていましたよ、平子氏の痕跡が・・・

横浜橋通り商店街からえっちらおっちらと平楽まで登った甲斐がありましたさ・・・・icon16  


Posted by shin344 at 17:32Comments(6)横浜今昔物語