2009年05月15日
象の鼻パーク・・・
新しくなった象の鼻パークの遊歩道を歩いて来ましたが、何だか、象の鼻の変貌が激しすぎて、一目で嫌いになりました。以前のようにもうすっかり忘れられて、あれが「象の鼻」の跡だなんて、余程気を付けないと分からなかった時の方が、とても好きでした・・・
これは2007年のまだ工事に取り掛かった頃の「象の鼻」です・・・
そして、今日の完成成った、「象の鼻」です・・・往時の姿に近づけたようですが、はっきり言って作り過ぎ・・・あれ程、忘れ去られたように放置された象の鼻・・・それでも、横浜を愛する人は決して目を離せないそんな場所だったのに、これでは、単にイベントの盛り上げの為の厚化粧としか思えません・・・こんな姿にしてしまった横浜の情けない精神、がっかりです・・・
この象の鼻、私にとっては心が和む場所だったんですが、もう二度と行きません・・・
これは2007年のまだ工事に取り掛かった頃の「象の鼻」です・・・
そして、今日の完成成った、「象の鼻」です・・・往時の姿に近づけたようですが、はっきり言って作り過ぎ・・・あれ程、忘れ去られたように放置された象の鼻・・・それでも、横浜を愛する人は決して目を離せないそんな場所だったのに、これでは、単にイベントの盛り上げの為の厚化粧としか思えません・・・こんな姿にしてしまった横浜の情けない精神、がっかりです・・・
この象の鼻、私にとっては心が和む場所だったんですが、もう二度と行きません・・・
2009年05月15日
獅子頭共用栓・・・
横浜開港資料館の中庭に、この獅子頭共用栓がありました・・・横浜居留地に水道が敷設されたのは明治18年から20年と言うことです・・・
当時の水道は、今のように各家屋に蛇口があるものではなくて、路頭の共用栓から汲んで使う方式だったようですよ・・・この獅子頭共用栓は、当時イギリスのエンフィールド社から輸入された600基のうちのひとつだそうです。
そして、その水受けの溝は山手の坂道などに使われていたブラフ溝と言う石が使われています・・・外国人居留地のおかみさん達も、この共用栓から水を運んだのでしょうね・・・
当時の水道は、今のように各家屋に蛇口があるものではなくて、路頭の共用栓から汲んで使う方式だったようですよ・・・この獅子頭共用栓は、当時イギリスのエンフィールド社から輸入された600基のうちのひとつだそうです。
そして、その水受けの溝は山手の坂道などに使われていたブラフ溝と言う石が使われています・・・外国人居留地のおかみさん達も、この共用栓から水を運んだのでしょうね・・・