2009年11月22日

くらやみ坂・・・

西区戸部には、明治22年まで、監獄がありました。この戸部監獄は明治23年から、我が職場の前、根岸(現丸山)に移りました。戸部監獄には、処刑場もあり、ここ「くらやみ坂」の途中には首を晒したところもあり、大の男でも、中々寄り付かなかったと言う記録もあります・・・



今では住宅も建ち、鬱蒼とした処刑場近くの陰湿な感じなど、全くありません・・・




処刑場のあったと思われる場所、この「くらやみ坂」の碑銘が立つ場所にはこの通り、ちゃんと祠もあって、被処刑者の魂を祀ってあります・・・




この通り、ここが「くらやみ坂」との謂れを知らないで、通ったとしたら、横浜に普通に存在する坂、それだけで、記憶にも残らないものですが、私は、両側が鬱蒼とした昼直暗い文字通りの「暗闇坂」を想像して、通って見ましたら、何だか、鳥肌が立つような気分になりましたよ・・・icon11


さらに、ここ戸部監獄で処刑された人のお墓がある、近くの願成寺に行って来ました・・・ここには・・・


清水清次と間宮一、そして、小亀・・・戸部監獄で処刑された人のお墓がありました・・・次に処刑された理由について詳しい墓銘板がありましたので、それを、お見せします・・・



殺す方にも殺されたイギリス士官にも家族はいたのでしょうね・・・


鳶の小亀(亀吉)って、どんな人だったのでしょうか、殺されたフランス水兵にも小亀にも家族は居たんでしょうけれど・・・



「くらやみ坂」、漢字にすると「暗闇坂」または「鞍止坂」とも言われるそうです・・・鞍止とは、この坂の下の方に、横浜の外国人居留地へ不逞の輩(攘夷浪人とか)が、入って来ない為の関門が設けられて居たからとも言われています・・・暗闇の方が五感に訴えてくる気がしますね・・・  


Posted by shin344 at 17:19Comments(6)横浜今昔物語