2011年02月23日

港都の黎明・・・

現在、神奈川新聞で「港都の黎明」が連載されています・・・このコラムは1863年にスイス通商使節団の一員として日本に渡ったカスパー・ブレンワルドの日記を基に開港資料館が中心になり編集されています。カスパー・ブレンワルドはまた、現存する「シーベル・へグナー社」の創始者でもあります・・・

そして、注目する事は、私が日々資料を集めているジェームス・ファブル・ブランドも、その使節団の一員として渡日していますが、ジェームス・ファブル・ブランドの日記は残念ながら、関東大震災で消失してしまったそうですから、もし(歴史にifはないと言いつつ)残っていたら、ジェームスの事も大分明らかになったのではないかと思われます・・・と、話しがそれてしまいましたが・・・

このカスパー・ブレンワルドの起こした「シーベル・へグナー社」ですが、長い間横浜を拠点にしていましたが20年程前に、東京へ居を移しました。移転前の社は加賀町警察署近くにあり、前を良く通りましたけれど、庭に幕末の大砲が無造作に転がしてあり、さすが横浜と思わせる光景でした。


今ではこの通り、敷地の石垣が、史跡として残って居りますが、上には駐車場やコンビニが建っていて、この石垣に腰をかけてアイスクリームを食べる若者の姿が見られます・・・

そうそう、その大砲は一門はこのシーベル社の跡地に、そして一門は開港資料館横、開港広場に、そして一門は県立博物館にそれぞれ移されました・・・
そしてまた、このシーベル・へグナー社の跡地から道一本隔てた正面にジェームス・ファブル・ブランドの「ファブル・ブランド商会」が大正12年まで存在していました(今はNTTになっています)・・・話しが大分逸れましたが、この「港都の黎明」、是非読んで見て下さい。上の「港都の黎明」をクリックして下されば、読むことができます。因みにスイス在住のフィリップ・ニーゼルさんはスイスでこのカスパー・ブレンワルドの日記を読まれたとお便りを頂きましたっけ・・・むむ!うらやましい!フランス語勉強すれば良かった!
  


Posted by shin344 at 11:26Comments(0)日記