2011年04月09日

戻ってくる事を想定して・・・

前のページでの避難民たちが戻って来たとしましても、もっと快適に過ごされるように、模様替えをしました・・・我が家で一番威張りくさっているのが、このグランドピアノ・・・それでもこれは我が家の宝でもありますから、少し動かすだけで大きく部屋のスペースを空けました・・・

このようにしました・・・しかし、このたった数センチのピアノ移動に業者を頼みましたら何と2万円強のお値段・・・驚きましたものの、さすがプロ、簡単にヒョイと動かしてしまいました・・・face08

でも、この厄介なグランドピアノ移動について、色々とインターネットで調べていましたが上手くすると簡単に出来そうと言う感覚はありました。そして今日移動の業務を観ていますと、「出来そうface09」と言うのが正直な感想です・・・うん!これで、義兄夫婦や義母が戻っても、受け入れ態勢バッチリです・・・  


Posted by shin344 at 20:10Comments(0)日記

2011年04月09日

避難民のその後・・・

我が家に避難していた親戚の避難民達は、茨城県日立市に移住して行きました。何時になったら、故郷「浪江」に戻ることが出来るのか見通しも付かない中、私のところはじめ、親戚を悩ませるのに気を遣った為でしょうし、自分達も迷惑をかけてはいけないと思った為でしょうか・・・私の狭い賃貸マンションで良ければ何時までも居て良いですよと、優しい言葉をかけたらかけたで、彼らの心理として、やっぱり「迷惑はかけられねぇ」という事になるんでしょうね。何でも日立市の賃貸アパート10畳に義兄老夫婦と高齢の義母が川の字になって寝ているようです・・・家具什器類は日立市の親戚が色々差し入れをしているそうですが、生活に慣れても、慣れない土地で精神的疲労も限界に近いという事です・・・

ところが、彼らが一週間近く居たこの二本松の避難所には、頼る親戚もないし、着の身着のままなので何処へ行くあてのない人たちが、冷たい床に毛布やダンボールを敷いて、隣の仕切りも不完全なまま未だに生活している人が沢山いるのです・・・年寄りや乳幼児からどんどんと体力を消耗して、遂には若年も壮年も、精神的に限界になってしまう事が、心配されます。日本人、特に東北の人は強いと言われますが、未来に希望を持てない場合の忍耐は限度があるのでしょうね・・・

家が津波で完全に流されて、しまった人・・・幸いに元の土地に戻れても、家をどうするのか、数年、数ヶ月のスパンで元の生活に戻れない・・・放射能の放出が止まらない以上元の土地に戻れない、戻ることができても、元の農業も漁業もできない。この状態にどんな希望が持てるのでしょうか・・・

画像は2枚ともお借りしました・・・上は親戚の避難民が過ごした二本松の避難所・・・下は3月13日寒さに凍える避難所の老人達です・・・畳やベットに安眠している私達の方が「申し訳けない」と思ってしまいます・・・彼らに一日も早く安寧の場所と時間が戻る事を祈り、自分達の生きて生活して行く使命を果す決意を強く感じる今日この頃です・・・  


Posted by shin344 at 13:21Comments(0)日記