2011年05月30日

驚く事ばかり・・・

東北の震災や原発事故で苦しんでいる人がまだまだ10万人以上もいるというのに、それが見えているのかいないのか、政治家って、こういう国家存亡の危機に一丸となり、命を投げ出してでも、自国民を助け出すのが義務・・・それが、そんな自国民をほったらかしてのガキの喧嘩・・・「こいつらに任せていられるか!」と言うのが今の政府に対する気持ちです・・・そんな、私の気持ちを象徴したのがこの列車事故・・・北海道JR石勝線での炎上事故、幸い死者はいないと聞いて胸をなでおろしましたけれど・・・

さっきニュースで見て驚きました!!・・・こんな状態で良く死者が出なかったと。もちろん入院治療中の方には謹んでお見舞いしますが・・・聞けば乗務員は、危険なので車外に出ないで下さいを連呼していたそうですが、乗客が自主避難をして全員が助かったと・・・

助かった煤だらけの乗客の一人が吐き捨てるように言っていました・・・【JRのいう事を聞いとったら、今頃、くん製になっとったわぃ!!】・・・バカな政治家のいう事聞いとったら我々は国をなくすすわぃ・・・  


Posted by shin344 at 18:45Comments(2)日記

2011年05月29日

オンライン・・・

長い間、インターネットのお世話になっていますが、オンラインで物を購入したりしません・・・旅行の時にホテルを予約する程度ですが、それでも、本当に予約が入っているのか、商品がまともに入って来るのか、何か心の奥に心配ごとがあるように思えます・・・

ブックオフのオンラインショップで、探していた本を購入してみました・・・それでも半信半疑で、本当に届くのか心配で、予約確認もしないまま、届かないなら届かないで、まぁ、いいか!と思っていましたら、何と本当に届いてしまいました・・・63年生きてて初めての経験です・・・

「新・雨月」船戸与一の歴史小説ですが、今、ファブルブラントの関係で、スネル兄弟のことを調べていますが、その兄弟が登場する戊辰戦争を舞台にしたものです・・・

  


Posted by shin344 at 16:51Comments(4)日記

2011年05月27日

晩酌の友・・・

晩酌を欠かせない私ですが、歳とともに、一緒に摂るつまみといいますか、肴といいますか、そのようなものの充実の必要性を感じましてこのブログを立ち上げたような気がします・・・

ちょっと原点に戻りまして、これは、一昨日の肴・・・とろろに厚揚げの煮物です。


これは、アスパラと、ハム、玉ねぎのごーやちゃんぷる風の食べ物です・・・これは昨日でした・・・


海老とアボガドのワカモレ風?の訳の分からない食べ物です・・・今日の肴です。今食べている最中ですから確かです。最近、食べ物に対するこだわりはあまり無くなりました。シンプルなものが、シンプルに美味しいって事・・・そんな事に気づきました。  


Posted by shin344 at 18:54Comments(1)日記

2011年05月21日

塵壷(ちりつぼ)・・・

行きつけの伊勢佐木町の古本屋さんをのぞいていましたら、来たきたきた~!!最近の若者はこのように言うらしいのですが、探していたものが「あった~!!」・・・そのような感じなんでしょうね・・・「塵壷」、河井継之助が、山田方谷を訪ねて師事し、長崎などを遊学した日記なんです。


そんな「塵壷」を、ふと入った古本屋さんで見つけました。まるで、私に買われるのを待っていたような、そんな感じがして、一にも二にもなく購入・・・最近は、そんな買い物が多くなって来ました・・・

しばらく、ゆっくりと読める本がまた手に入りました・・・  


Posted by shin344 at 20:05Comments(0)日記

2011年05月21日

ミリタリー・・・

中田商店へ行って来ました・・・アメ横にあるミリタリーグッヅのお店です・・・

私の家系は代々軍人だったようで、男どもの古い写真はずっと軍服姿・・・幼い頃は軍服に憧れた時期もありましたけれど、今では、その実用性と丈夫さに憧れています。特に今年の夏は、何度洗っても少々乱暴な作業をしても壊れない服として注目して見ました・・・被災地に入る可能性もありますし・・・


購入したのがこれ、U.S.ARMYなどと入っているのがちょっと年寄りには気恥ずかしい気もしますが、着潰すには最適、洗濯するごとに着易くなるのがミリタリーの良さだと思います・・・  


Posted by shin344 at 11:12Comments(0)日記

2011年05月20日

Woof Curry(ウーフ カレー)・・・

新緑の鎌倉へ・・・利用者さんが自分で立てた計画で私は、その後をひたすら付いて行きました。私が付いて行ったグループは結構健脚揃いで、計4kgの足ダンベルを巻いたまま、かなり歩きました・・・

鎌倉は今、新緑が目に痛いほどです・・・本当に心癒されます・・・

しかも、抜けるような晴天でしたし・・・
去年、突然倒れてしまった大銀杏・・・奇しくも、1000年に一度の大災害と言う今度の震災を警告するために倒れてしまったのかと、今になってみると、思えて来ます。この大銀杏の樹齢も約1000年と言いますから・・・それでも、倒れたところから新たな芽吹きがあり、まだまだ生きている事、苦難を乗り越えて生きる事のメッセージを語っているようにも、時節柄思えてなりません・・・芽吹きの周りに足場を組んで、おそらく寒冷紗で覆うんでしょう、大切に見守っているのを感じます・・・

お腹が空いて来る時間は丁度、鎌倉の大仏へ向かう途中、さて、どこでお昼を摂りましょうか?・・・ふと、カレーの良い香りが漂って来ました。香りがしなかったならきっと気がつかない小さいお店でしたが、皆さんの意見が一致して、ここでカレーを頂きました。これは、スペシャルカレー・・・

野菜や牛肉が柔らかく煮込んでありとてもスパイシーな美味しいカレーでした・・・後でインターネットで調べましたら、かなり有名な新名所でした「Woof Curry」・・・カレーの有名店で修行したマスターがブティックを改装したこのお店を出したそうです・・・帰りがけに思わずマスターに「美味しかったですよ、ご馳走様」と声をかけてしまいました・・・

美男子の大仏様とどちらが良い男かを比べて、皆で「勝った!」などと恐れ多いことをしました・・・私は蓮華の花びらに書き込まれた「○兵衛」とか「○助」などの名前が気になりました。ここに名前を刻んだ人たちは当然もうこの世に居ない人ですが、どのように生きてどのように死んだのでしょうね・・・





とても気持ちの良い新緑の鎌倉でした・・・  


Posted by shin344 at 18:22Comments(0)日記

2011年05月14日

今年の夏はこれで・・・

えだまめも豆腐の豆も同じ大豆というところから生まれたのでしょうね・・・「えだまめ豆腐」・・・これがまた美味しい・・・



別に会社の宣伝をする義務もありませんけれど、美味しいものは美味しいと思います。お醤油とか、薬味なぞなくてもそのままでも美味しいと思いました・・・去年の夏は、絹漉し豆腐の厚揚げでしのぎましたけれど、今年は、これだね・・・枝豆豆腐、枝豆と豆腐を一緒に口に運んだって、そのままですけれど・・・うっ!うまい!・・・face08  


Posted by shin344 at 19:29Comments(0)日記

2011年05月14日

歓迎会・・・・

職場に今年度から3人の新人さんが勤め始めてくれました。私が今の職場に勤め始めて、専門外の仕事に四苦八苦していた平成2年にオギャーと産声を上げた人もいたりして本当に不思議な縁(えにし)を感じます。関内の「月」と言う隠れ家にしたいような洒落たお店で歓迎会・・・

まず最初の料理をパチリ!・・・その後は、ビール!ビール!酒!酒!と談笑、久し振りに歓迎会なるものに出席しましたが楽しかったですよ・・・私の現役最後の歓迎会だと自分では思っています・・・そしてその後・・・
例のごとく、カラオケへ・・・歓迎する職員さんが「ケツメイシ」なるものを歌っていましたが、もう、これって別世界の音楽の感じ、「ラップ」の範疇の音楽?らしいのですが、面白い反面、とてもジジイにはついて行けない世界でした・・・face08

私にとって決して居心地の良い職場ではないのですが・・・っていうか(若者風に)お前が居心地良くするのも仕事だろ?・・・新人3人様、長く勤めてくれるといいなぁ・・・beer_01  


Posted by shin344 at 10:48Comments(0)日記

2011年05月07日

何から何まで無くすということⅡ・・・

何から何まで無くして、避難して来た人たち、老若男女7名がこの町「浪江」から着の身着のままで避難して来ました・・・とは以前お話ししましたね。今では、元の生活とはかけ離れているものの、「若」の方は東京近郊に、「老」の方は、茨城県日立市に移住して行きました・・・原発の事後処理の様子を観ていますと、まだまだ何時までこの地獄が続くのかと、特に原発により家や犠牲者等を放置したまま避難を余儀なくされている人たちは、復興への手かがりすら掴めないまま焦燥に継ぐ焦燥で本当に辛い思いをしています・・・そんな避難民たちを励ましたり、思いやったりはたやすいのですが、避難民たちと悲しみや苦しみ怒りを共有できれば、もっともっと彼らを楽に出来るのかも知れません・・・

ひとりの女性(94歳)の「つぶやき」を、ご本人の了解を得て掲載します・・・


  「避難」
政府が
法の下に
避難をすすめると云う

新聞に
強制辞さず封鎖 と書いてある

こんな大きな字で書いてほしくない

安全だと言って
さんざん薦めた原発なのに
思いがけない事故で 危ないから
安全なところへ立退いて下さいと云うならば
立退く場を用意しなくては
この急な事態でそれが出来ないと云うならば

心の底から あやまってほしい
心が相手に伝るように

今はそれが伝って来ない
お互いに探り合う  求め合う

何ともせつない  このせつなさを
みんなで分かち合って

背負いたい
       

画像は前頁に引き続き「浪江町」3月18日のグーグルアース画像です・・・ここから、我が家族7名が避難して来ています・・・この通り、海から大分離れていますから、家々はちゃんと残っています(中は滅茶苦茶のようです)が、なにしろ戻る事が出来ないので手のつけようがありません・・・
  


Posted by shin344 at 11:45Comments(0)日記

2011年05月07日

何から何まで無くすということⅠ・・・

24~25年も以前、私はなけなしの家やら何やらをごっそりと無くしました。決して贅沢をしていた訳ではないですし、派手な生活をしようと、無理な事業に手を出した訳でもないのですが、結果的に着の身着のまま・・・救いは息子が元気だった事と、経済的には父親から自立していた事・・・その時の気持ちには何と、この世の中の全ての家屋、成り立ちうるもの全てがこの未曾有の大被害のようになってしまえば良いのにと、誠に自暴自棄的で凶暴な精神がこの時に宿したことを白状します・・・


今ではこんな凶暴な悪魔の精神は消滅したと自負はしていますが、もしかしましたら片鱗は残っているのかも知れません。当時、辛い思いをしていた私たちを見て「落ちぶれたもんだ」と吐き捨てたあの人たちは果たして何処でどうしているのやらと考えるのがそれかな?・・・何から何までなくした人たちに、私は決して「落ちぶれた」などと言わずに生活したいと思った結果に、今の生活が成り立っているのも事実です・・・今だから言える「無くすのも悪くない」

ここは、浪江町請戸(うけど)の3月18日の様子です・・・ここ請戸は海岸の町で、息子が幼い頃、遊びに行った浪江町から、やはり幼かった姪や甥と兄とで、花火や海水浴をした白砂青松の町でした・・・3月18日は津波で流されただけではなく、原発の避難指示が出て、何から何まで無くした人々が何が何だか分からずにいなくなってしまいました・・・そんな様子をグーグルアースが捉えていました・・・町が消滅した不気味、そして、町を復興しようにも戻れない焦燥・・・

早く、せめて元のところに戻れれば良いと祈るしかありません・・・我が家に避難していた兄が、明け方になると「うんうん」とうなっていましたが、焦燥感から来る悪夢にうなされていたのかも知れません・・・  


Posted by shin344 at 10:40Comments(0)日記

2011年05月01日

Dash村・・・

10年以上その場所の特定は出来ませんでしたけれど、今回、原発による緊急避難の対象になった我が妻の故郷「浪江町」にありました・・・って、現地の人たちはもちろん知っていて、私も耳打ちされましたけれどね・・・

今回の地震と原発の事故で計らずも場所が明らかになってしまいましたものの、それによって観光客が押し寄せるなんてことはもう、ありませんけれど・・・
TOKIOのメンバーが色々と農業の原点に戻ったりしてけっこう楽しい番組でした・・・  


Posted by shin344 at 20:55Comments(0)日記