2013年06月26日

天狗争乱・・・

水戸へ行く前に「天狗党」の事を色々と調べていますが、4~5年前に読んだ吉村 昭著「天狗争乱」を再び読み始めました・・・尊皇攘夷を説いて回る天狗党の面々・・・頼みとする徳川慶喜に裏切られた天狗党の最後の悲惨さだけが、記憶に残ってしまい、その経緯、幕末の原動力への影響など随分沢山の事を見落としていたように思います・・・

前の記事で「藤田東湖」が首謀などと書きましたが、それは間違い!!「尊皇攘夷」思想は「東湖」から引き継いだ息子「小四郎」が水戸藩主と共に京都へ登った際、父の説く「尊皇攘夷」思想が広く蔓延している事を知り益々思想を深めて起こした党でした・・・

ただ、一部の天狗党員の一般市民への乱暴狼藉により評判を落としたり、幕府との意見の違いにより、かえって弾圧を受ける仕儀になってしまいますが、彼等「天狗党」は水戸はじめ那須野→冨岡・下仁田→信州・和田峠→伊那谷→中仙道・馬籠→美濃路→越前・敦賀へ大行軍をしますが、結果的には、藤田小四郎はじめ、武田耕雲斎など24名を断首または死罪にし、ついで352人も斬罪・死罪とし、その他彼らの家族も死罪となり、この天狗党は徹底的に弾圧されてしまいます・・・

さて、この天狗党の事を調べれば調べる程あまり水戸市中に天狗党所縁の遺跡はなさそうですが、是非観ておきたいのは、敦賀で天狗党の主だった者が押し込められた悲惨な「鰊倉(にしんぐら)」が移築されているそうですので、それだけは外さないようにする予定です・・・
  


Posted by shin344 at 16:10Comments(0)日記