2014年04月23日

二ヶ領用水・・・

私が働いている一法人のグループホームは、不思議な事にこの二ヶ領用水の近く・・・一軒は武蔵新城の、そしてもう一軒は武蔵小杉と、この二ヶ領用水がまるで生命線のように寄り添っております・・・たった2年位前にはその名称はもちろん、存在すら知らなかった二ヶ領用水ですが、何故か気になるのでちょっと調べて見ました・・・

何でも戦国時代末期に関東平野の開拓を急ぐ徳川家康が、旧今川家の家臣「小泉次大夫」(こいずみ じだゆう)に多摩川両岸に灌漑用水路の敷設を命じたそうです・・・かの関が原合戦の4年前でした・・・

そして14年後の1611年に東京側には「六郷用水」、川崎側には稲毛領と川崎領の二ヶ領を流れる用水が完成しました・・・

今ではこんな、散歩道としてのどかに流れる二ヶ領用水ですが、江戸時代にはその用水の分水をめぐった争い「溝の口事件」と言うのがあって、川崎領の農民達によって溝の口の有力者の家屋敷が打ち壊される事もあったようです・・・


「我田引水」の言葉を小学校の時に習った記憶があります・・・自分の田んぼに、強引に水を引き込んでしまう勝手で我が侭な所業を言いますが、何故小学校で習ったのか覚えているかと言いますと、周りがほとんど農家だった小学校時代、夜中にこっそりと水門を操作して自分の田に水を引いた人が居て、これぞまさしく「我田引水」と心に強く残ったものでした・・・

私たちは今、この二ヶ領用水の辺りを憩いの場としてのんびり散策したりしていますが、水により、自分の作物が左右される農民にとりましては、「命の水」なんですね・・・「我田引水」をしてでも、家族を養ったり作物を収穫したりする人の気持ちは良く分かるような気がします・・・

  


Posted by shin344 at 14:10Comments(0)日記