2016年06月19日

いわき市まで(二日目)・・・

さて、今日はいよいよ、浪江町で300年以上続いた家を観に行きました・・・色々なメディアで浪江町や大熊町などの悲惨な状況が伝わっては来ますが、やはり実際に足を運んで見ますと、実感として怒りや悲しみが湧いて来ます・・・

いわき市のご来光です・・・

このご来光に励まされて、甥の案内で被災地に足を踏み入れます・・・

同行するのは、ここで生まれ育った老妻とその姉妹たちです・・・


もう防護服は要らないのでは、と思っていましたが、私を含めて皆このメディアで報道されすっかりおなじみになった防護服を着ました・・・


室内に一歩足を踏み入れた途端にカビ臭が鼻をつきました・・・地震で瓦が落ちたところから雨が侵入して天井を腐らせて落ち、畳や床がすっかり抜けてしまっています・・・

3.11以前に普通に生活をしていた堅牢な家もこうなりましたらもう後は取り壊しを待つだけです・・・


以前は整備された道と田圃だったのが、5年間手つかずの状態で田圃は一面の草原になってしまいました・・・

事故前から静かな場所でしたが、さらにまた静寂が支配しています・・・ヒバリの鳴き声だけが時々響いています・・・

次に浪江の街へ出ました・・・打ち捨てられた商店街がそのまま残っていますが、人っ子一人居なくて何の物音も聞こえない街・・・

正に「ゴーストタウン」と言う呼び方がピッタリ・・・テレビなどでこの街の様子を良く放映していますが、街はつい先ほどまで活気に溢れた人々の騒めきを残したまま・・・こんな状態の異常さ・・・何と言うか・・・言葉もありません・・・

次は、海に近い請戸(うけど)へ・・・ここは多分最も酷い被害の場所と私は思いました・・・

地震の次には津波で街の全部が流されてしまい、いざ人命救助という段階で原発事故での避難・・・海水浴場とか穏やかな漁村でしたが、天災に人災に風評被害にと、完全に息の根を断たれてしまったのです・・・


この道ですが、3.11の時に津波から逃げる車が大渋滞をしている内に、その車の背後から津波が襲って来て沢山の人が亡くなりました・・・道の先は海です・・・

それらの人々を弔う慰霊の場所がありました・・・私たちも思わず合掌しました・・・







  


Posted by shin344 at 20:19Comments(4)日記