2016年10月16日

折本貝塚Ⅱ・・・

先日、50数年前に長津田から私と下級生の人と二人、キッコラモッコラと自転車をこいで折本貝塚を思い出して訪ねてみましたが、残念ながら見つかりませんでした・・・きっと貝塚の上に盛り土をしたので見つからなかったのだろうと思い込む事にしました・・・しかし、まだ心残りがありましたので、Webで調べてみましたら、何とそのほとんどが第三京浜道で削られてしまったとありました・・・


そうだったんですね・・・当時は第三京浜道なんてありませんでしたから、きっとこの道路が削られる前に子どもだった私たちが一生懸命に目を皿のようにして遺物を探し回ったのです・・・


第三京浜道の横にわずかに貝塚の跡が残っていました・・・やっと探し出したぞって気持ちでした・・・

前に来た時もここを通りましたが、もう日が落ちてしまっていましたので気が付きませんでした・・・


貝殻を一枚持って帰りました・・・数千年も前の縄文時代にここに住んで居た人が食べた貝ですが、一体誰が食べたのでしょうね・・・

女?男?子どもが食べたのかお年寄りが食べたのか、この貝を食べた人はどんな人生を歩いて今何処に眠っているのか、限りなくロマンを掻き立てられます・・・


縄文時代は「縄文海進」と言い、海が今よりも丘陵地の低地に入り込んでいました・・・

低地の鶴見川などは海でしたので、丘陵に住む人々が海で魚介類を獲って貝殻を捨てた場所、それが貝塚です・・・

それが証拠に貝はほとんどが海で獲れる赤貝のようです・・・

数千年前海の底だった低地には、柿が実っていました・・・海だった頃には牡蠣も沢山居たのでしょう・・・

それにしても折本貝塚って、第三京浜道にほとんど削られてもまだ残っているなんて、随分規模の大きな貝塚だったようです・・・これだけの規模になるには何百年もかかったのでしょう、と言う事は貝塚のある丘陵には何百年にも渡って人が住んで居たんですね・・・



  


Posted by shin344 at 17:03Comments(0)日記