2013年03月22日

ジェームスは本当に死の商人だったのか・・・

「死の商人」・・・言葉はあまり良いとは思えませんが、武器は誰が何と言おうと、敵の人命や備えを奪うものですから、本当にジェームスが武器を扱ったのかと言う裏づけがない限り「死の商人」呼ばわりは迷惑だろうと思います。司馬遼太郎の歴史小説「峠」では、長岡藩家老河井継之助がジェームスから、ガットリング砲などを購入したとありますが、あくまでも小説なので裏づけにはならないかも知れません。ジェームスは本当に死の商人だったのか・・・

ここにひとつの資料があります。石塚裕道氏(吉川弘文館)「明治維新と横浜居留地」の中に1807年明治新政府に「還納」(明治新政府による旧幕府軍からの回収または没収することを言います)された旧幕府・諸藩の洋式兵器の一覧表がありまして、そこには東の「死の商人」と言われたスネルなどとジェームスが、確かに大量の武器を取り扱っていたことが分かります・・・還納された中で奥羽列藩同盟軍の中で特に多いのは仙台藩で、小銃6260丁大砲84門・・・そしてジェームスは政府軍の西南雄藩にもかなりの数の武器を売っているんですね・・・例えば山口(長州藩?)には小銃24003丁大砲220門などがあります。

先の小説「峠」に登場する長岡藩には、E(エドワルド)・H(ヘンリー)・スネルがかなりの数の洋式武器を売っています・・・確かに河井継之助の伝記などには、スネルとの交流がはっきり記載されていますが、ジェームスとの交流は割合に少なかったようです・・・河井継之助記念館には、ファブル・ブラント商会の発行した領収証が残っていますけれど・・・・

画像はファブル・ブラント商会の銘入りヘンリーライフルです・・・アメリカのオークションで200万円位で取引されたそうですが、明治19年とうっすら読む事ができますのでおそらく、横浜のスイスライフルクラブで使われたものかも知れません・・・

結論として、ジェームスは中々の世渡り上手な死の商人、しかし死の商人の代表格にはならずに時計や精密機械を通して日本の近代化に貢献している事から紛争時と平和時の商売の仕方をわきまえた商人だったように思えます・・・

同じカテゴリー(ファブル・ブラント商会・・・)の記事画像
コマーシャルⅡ・・・
ガルトネル事件・・・
日本スイス国交150周年記念・・・
横浜弁天社・・・
フランソワ・ペルゴⅣ・・・
フランソワ・ペルゴⅢ・・・
同じカテゴリー(ファブル・ブラント商会・・・)の記事
 コマーシャルⅡ・・・ (2014-02-20 10:13)
 ガルトネル事件・・・ (2014-02-03 16:01)
 日本スイス国交150周年記念・・・ (2013-12-31 15:25)
 横浜弁天社・・・ (2013-11-22 15:48)
 フランソワ・ペルゴⅣ・・・ (2013-08-21 13:33)
 フランソワ・ペルゴⅢ・・・ (2013-08-21 12:46)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。