2013年07月12日
水戸Ⅳ・・・天狗党始末
水戸へ行くなら、是非とも天狗党の悲惨な遺跡を辿ってみようと思いましたものの、結局水戸城跡を散策したにとどまりました。天狗党は自分達の理解者である一橋慶喜(よしのぶ・・・後の徳川家最後の将軍)を頼って福井県まで行軍するものの、結果的には慶喜の徳川幕府に対する体面を重んじる政治姿勢の為に、敦賀での352名断首、その他、家族や関係者の断首、獄死の数知れず、その余りにも過酷な処置に接して大久保利通は、徳川幕府の終末を見たとのことです・・・
徳川慶喜・・・徳川幕府最後の将軍として、英邁であるとか、卑怯者であるとか色々と後年の評価は別れますが、この天狗党に対する過酷な処断から思いますのは、結局保身のみに徹した人で、窮地に陥った部下達を捨てて、大阪から江戸に逃げ帰ってしまった後の行動を鑑みますと、私が思いますに、結局卑怯者だったのでしょうね・・・
もし、この天狗党を見捨てなかったら、徳川慶喜は幕末の英傑達に劣らない評価を今に残したのでしょうと思いますけれどね・・・
水戸で泊まった宿の近くにありました藤田東湖の銅像です・・・東湖の4男「小四郎」は敦賀で武田耕雲斎と共に断首されました・・・
徳川慶喜・・・徳川幕府最後の将軍として、英邁であるとか、卑怯者であるとか色々と後年の評価は別れますが、この天狗党に対する過酷な処断から思いますのは、結局保身のみに徹した人で、窮地に陥った部下達を捨てて、大阪から江戸に逃げ帰ってしまった後の行動を鑑みますと、私が思いますに、結局卑怯者だったのでしょうね・・・
もし、この天狗党を見捨てなかったら、徳川慶喜は幕末の英傑達に劣らない評価を今に残したのでしょうと思いますけれどね・・・
水戸で泊まった宿の近くにありました藤田東湖の銅像です・・・東湖の4男「小四郎」は敦賀で武田耕雲斎と共に断首されました・・・
Posted by shin344 at 19:49│Comments(0)
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