2013年08月16日

九条葱入り薩摩揚げ・・・

そのまんまです・・・「九条葱」の入った「薩摩揚げ」です・・・これが絶品、葱の香りが強くて何とも言えない風味が口の中に広がります。お酒のすすむ事すすむ事・・・九条葱入り薩摩揚げ・・・

その下の薩摩揚げも、これは「玉ねぎ入り」・・・玉ねぎの甘さが上品な一品です・・・今日は終戦記念日で私恒例の靖国神社詣では仕事で行けませんでしたけれど、こうして美味しいお酒を頂くのも一手かも・・・

ちなみにお酒は、お世話しているグループホームで仙台旅行に行った時のお土産、その名もずばり政宗・・・すっきりした飲み口でぐいぐいといってしまいました・・・プハー!face03

一般市民の靖国詣でには、隣国も文句は言わないそうですが、自分の国の為に命を捧げた人を悼むのに他の国から文句を言われる国も珍しいんでしょうね・・・ただ、私が思いますに靖国神社を単なる国策に利用したり、日本に因縁をつける為に取り上げたりする事が死者への冒涜に他ならないと思いますけれど・・・

同じカテゴリー(日記)の記事画像
こんなところに(日本人じゃなくて)「すみれ」
初めての別世界・・・
初めての別世界・・・
お陰様でコロナにも罹患せずに・・・
歩くから・・・
コロナ禍Ⅴ・・・もういい加減
同じカテゴリー(日記)の記事
 こんなところに(日本人じゃなくて)「すみれ」 (2024-04-05 19:56)
 初めての別世界・・・ (2024-03-23 18:27)
 初めての別世界・・・ (2024-03-23 18:27)
 お陰様でコロナにも罹患せずに・・・ (2024-03-23 16:45)
 歩くから・・・ (2020-08-19 17:29)
 コロナ禍Ⅴ・・・もういい加減 (2020-08-07 12:25)

Posted by shin344 at 10:33│Comments(2)日記
この記事へのコメント
こんにちは。
毎年終戦記念日を迎える頃は、当時の悲惨な話題が放映されます。
形こそ違っても、当時の苦しみが伝わってきます。
戦後68年、私の知らない戦中の様子がなんと多いことか、目をみはる
ものがあります。当時少年でしたがあの大戦の様子は忘れることが
できません。父は戦死、外国育ち「イギリス、シンガポール」の母は生まれて
初めて昭和15年母国に入国、大変な苦労の連続だったと思う。
よくぞ5人の子供を育てただただ感謝です。私が大學を卒業して5年後に他界しました。心に安心感がでた頃の他界でした。私の胸の中は、時々思い
だしては胸の詰まる思いです。毎年この時節は、あの戦火を思い出しては
平和を祈っています。
美味しいお酒とさつま揚げ特別な日にたしなむのもいいですね。
お隣のお国では、戦没者の慰霊の仕方に文句をつけて外交問題化して
います。これこそ内政干渉というもの。慰霊の仕方にその国の文化の
相違です。こんなことでギクシャクしていては、当分は解決の道は開け
ないのでは・・・・。国が異なればその国の事情で難しいものですね。
Posted by なっちゃんなっちゃん at 2013年08月16日 11:25
☆なっちゃんさん。こんにちは!
ご両親は大戦の渦中で大変な思いでなっちゃんさん達を
育てて来られたんですね・・・そのご両親の思いを
なっちゃん達が忘れずに生きていらっしゃる以上、ご両親も
また生きていらっしゃるのでしょうか・・・
私の父も祖父の世代も職業軍人の家系でしたから
戦死こそしなかったにせよ、終戦後は公職追放やら
大変な思いで私を育てたそうです・・・
私も常々、内政干渉もいい加減にして欲しいとは
思いますし、死者を悼むより謝罪外交の良い口実に
されてしまう終戦記念日・・・歴史認識云々と彼らは
言いますが、日本が侵略した事を認識せよと言うだけで
一人一人の戦死者が、自分の親や子ども達を守る為に
死んで行った事の認識は私たち日本人が恥ずべきもの
なんかではないんですよね・・・
良く分からないのですが、ドイツも終戦記念の日には
イスラエルあたりから、この子どもの喧嘩のような
因縁をつけられているんでしょうかね・・・
Posted by shin344 at 2013年08月16日 15:37
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。