2013年08月21日

フランソワ・ペルゴⅢ・・・

James Favre-Brandt(ジェームス)が1863年にスイス修好使節団(団長エメェ・アンベール)と共に横浜に来た際、色々と世話を焼いたのが、1860年に来日して横浜で活動していたフランソワ・ペルゴであると以前書きました・・・このペルゴを創始者の一人として、現在もスイス製高級時計を販売し続ける「ジラール・ペルゴ社」から、実に沢山の資料を頂き、James Favre-Brandtの生き方を探る上でかけがいの無いものになりつつあります・・・フランソワ・ペルゴⅢ・・・

中でもペルゴが生まれた1834年頃(ジェームスは1841年生まれですが)のスイスの時計産業の様子が興味を引きました・・・当時は今のような製造工場と言ったものは無く、時計のパーツを作る屋内の小さな工房が沢山あり、それらパーツを集めた仲介業者(エタブリッスールと言います)が自分の名を刻んで販売していたそうです・・・そんなエタブリッスールがペルゴやジェームスの生まれたル・ロックル地方には100件以上あったそうです・・・

ジェームスが自分の工場で製作した訳でもないのに、ファブル・ブラント商会の銘を堂々と刻んだのが読めて来ました・・・つまり、ジェームスはエタブリッスールだった訳ですね・・・

ペルゴは1860年12月に日本に到着・・・ここにかのエドワード・シュネル(スネル)と言う色々な意味で幕末日本に影響を与えたこの人が、ペルゴと関与してくる事になりますが、その話は、次にします・・・

画像は良く知られたペルゴ像です・・・ソードウィン社提供・・・

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