2008年07月01日

玉楠物語

玉楠物語

安政元年(1854年)日米和親条約が締結される際にペリー提督たち使節団が上陸した時の様子を描いた絵です。この絵の右端に描かれている大きな「玉楠」のお話しです。この使節団が上陸した地点は、現在の大桟橋付近と想像されますがこの玉楠樹は当時駒形水神の森といわれ、丁度現在の横浜開港資料館横の和親条約締結記念碑辺りにありました。慶応2年の「豚屋火事」でも消失を逃れ、大正12年の関東大震災では真っ黒に焼けたそうです。しかし、根元から横生えが年を経て再び立派な玉楠として繁茂しました。その後昭和15年英国領事館(現開港資料館)に移植されて、現在も中庭に大樹として存在して、訪れる人々を出迎えてくれます。アメリカの使節団が列を成して向かった先は、横浜の応接所は現在の県庁と横浜開港資料館の間・・・日本大通りの地・・・にありました。それでは、当時大群衆どよめき、玉楠の樹が見つめるこのペリー率いるアメリカ使節団が上陸した場所を望んで見ます・・・
玉楠物語

正面が大桟橋入り口です。もちろんペリーたちが上陸した当時大桟橋は存在しませんが、後に「イギリス波止場」や「象の鼻」と称されるこの地はやはり上陸し易い場所だったようです。そして使節団の隊列は正面左に見えるレストラン「スカンジナビア」付近を、右折して、応接所に向かったのでしょう・・・この写真を撮影した石畳の和親条約締結の公園(隣りが開港資料館)が駒形の森であった事は容易に想像出来ます・・・その頃の様子が、見えて来るようです・・・船



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