2008年07月26日
真景横濱今昔・・・本町通り
以前にもアップした事がありますが、現横浜開港記念館を取り上げてみました。この古写真左側にに写っている塔状の建物は「横濱町会所」です・・・明治7年(1874年)に建てられ、横浜市政が施行された明治22年まで横浜の町政を執っていました。明治23年に貿易商組合会館となりました。
この町会所は当時「時計台」の愛称で親しまれたらしいです。この町会所は後に貿易商会館となりましたが、大正12年の関東大震災で、かなりの被害は受けましたがかろうじて残りました・・・
提供:長崎大学附属図書館
そして現在は、曲折を経て、横浜開港記念会館として色々な催しや、音楽会などが開かれています・・・重厚でレトロなホールがとても素敵・・・40年前、この舞台でハンガリアン舞曲6番をマリンバ独奏したのが昨日のことの様に思い出します・・・
その同じ町会所から、本町の日本人町を望みます・・・この町会所の前にはまだ話しがあるんですよ。明治時代に活躍した美術家、美術史家、美術評論家の「岡倉天心」の父勘右衛門が支配人をしていた「石川屋」(越前藩の生糸売付店)があった場所であり、岡倉天心の生まれた地としての記念碑もあります・・・
提供:長崎大学附属図書館
上の写真でこの町会所からの現桜木町方面への本町通りは、日本人商人の町でした。逆に反対側は、外国人居留地・・・ところが今では、当然の事ながら、どちらも同じ高層ビルの街並みになりました。
もちろん、昔のままの姿で残って欲しいとは思いますが、これが町、都市が成長するという事なんでしょうね。何という事のない街並みを、昔日の姿と連想させて眺めるのも中々楽しいですよ・・・
この町会所は当時「時計台」の愛称で親しまれたらしいです。この町会所は後に貿易商会館となりましたが、大正12年の関東大震災で、かなりの被害は受けましたがかろうじて残りました・・・
提供:長崎大学附属図書館
そして現在は、曲折を経て、横浜開港記念会館として色々な催しや、音楽会などが開かれています・・・重厚でレトロなホールがとても素敵・・・40年前、この舞台でハンガリアン舞曲6番をマリンバ独奏したのが昨日のことの様に思い出します・・・
その同じ町会所から、本町の日本人町を望みます・・・この町会所の前にはまだ話しがあるんですよ。明治時代に活躍した美術家、美術史家、美術評論家の「岡倉天心」の父勘右衛門が支配人をしていた「石川屋」(越前藩の生糸売付店)があった場所であり、岡倉天心の生まれた地としての記念碑もあります・・・
提供:長崎大学附属図書館
上の写真でこの町会所からの現桜木町方面への本町通りは、日本人商人の町でした。逆に反対側は、外国人居留地・・・ところが今では、当然の事ながら、どちらも同じ高層ビルの街並みになりました。
もちろん、昔のままの姿で残って欲しいとは思いますが、これが町、都市が成長するという事なんでしょうね。何という事のない街並みを、昔日の姿と連想させて眺めるのも中々楽しいですよ・・・
Posted by shin344 at 17:51│Comments(0)
│横浜今昔物語