2008年11月23日

真景横濱今昔・・・神奈川宿

来年6月で横浜開港150周年を迎えますが、当初開港を幕府に迫ったのはここ神奈川だったようです・・・しかし、日本の大動脈であり、攘夷浪人達の攻撃やら、外国人がその軍事力を以って江戸へ攻撃を仕掛けるにはまさにうってつけと思われた・・・将軍家の咽喉元に短刀をつき付けられたような恐怖感を幕府は抱きました。それで、この東海道から山一つ隔てた辺鄙な横浜村が開港の地に選ばれたことは良く知られたことです。それでも、水利の便はここ神奈川よりも横浜の方が良いことが分かり、長崎の出島のように辺鄙な場所に隔離されるように思い、反対していた外国も横浜で納得をしたと言う訳なんです・・・真景横濱今昔・・・神奈川宿

前置きが長くなってしまいましたが、これは有名な広重の描いた「神奈川宿」の図です・・・浮世絵なので多少のデフォルメはありますが、ほぼ正確な神奈川宿の様子が分かります。
真景横濱今昔・・・神奈川宿

これは幕末の頃の神奈川宿です・・・・
真景横濱今昔・・・神奈川宿

これは、現代の神奈川宿です・・・当時の面影は全くありませんが地理的関係は上の浮世絵と同じです。左側は今ではすっかり遠くになってしまいましたが海になります・・・




そして幕末の神奈川宿の右手に見えている小高い丘は高島山(現高島台)ですが・・・
真景横濱今昔・・・神奈川宿

そして、明治初期にこの高島山から望んだ神奈川駅(現横浜駅)です・・鉄道を通す為に入り江を埋め立てたのが良く分かりますね・・・
真景横濱今昔・・・神奈川宿
今の同じ高島台から横浜駅を望んで見ましたが、これ。この通り横浜駅は何処にあるのか分かりませんね・・・真ん中辺に小さく「そごうデパート」が見えますか?あそこが横浜駅の場所なんです・・・

一番上の広重の浮世絵に戻りますと、大きな千石船や小さな舟が連なって浮んでいる海の辺りが今の横浜駅の場所になるんですね・・・

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