2007年02月04日

河井継之助とファブル・ブラントと長岡戦争と・・・4

(シーベル・へグナー社)
次はシーベル・へグナー社ですが、スイス使節団の一人、カスパー・ブレンワルドがヘルマン・シーベルとで作った商社です。カスパー・ブレンワルドは、スイス政府の横浜総領事に任命されていました上、スイス総領事館がブレンワルドの商館に置かれていました。つまりスイス総領事が経営者も務めるという横浜居留地屈指の商社でした。河井継之助とファブル・ブラントと長岡戦争と・・・4扱った品目は生糸の輸出と器械や時計の輸入を中心にしていました。当初は、シーベル&ブレンワルド商会と称しましたが、ブレンワルドの死後はシーベルト・ウォルフ商会、そして1906年にシーベル・へグナー社という名称に変わりました。主に生糸輸出に携わり、現代も、総合商社としての「シーベル・へグナー社」はアジア、アメリカ、ヨーロッパに40の支店、子会社を持つ大企業に成長しております。

右の画像は居留地90番地のシーベル&ブレンワルド商会です。
河井継之助とファブル・ブラントと長岡戦争と・・・4このシーベル・へグナー社は、同90番地(薩摩町の近く、後ほど話しますファブル・ブラント商会の道一本隔てた、お隣さん位の場所です)に十数年前までは、社屋がありました。今は、場所を移しましたが、土台石だけは残っています。(右の写真)
河井継之助とファブル・ブラントと長岡戦争と・・・4仕事でこのシーベル社(当時はシーベル社という由緒ある会社とは知りませんでしたが・・・)の横を良く通りましたが、社屋の前の狭い敷地内に、大砲が3本(本という言い方は正しくないのですが、そのような無造作な感じでした)、別に陳列すると言うでもなく置いてあったのをはっきりと覚えています。あの大砲は何処へ行ったのかと気にしていましたら、一本はシーベル社跡に残され、後は神奈川県立博物館、そして、開港資料館で見つけました。この大砲は、シーベル社が武器商人の顔も持っていた事も物語りますが、売れ残りの大砲を鋳直して鍋釜を作ったなどという話しも残っています。次はいよいよファブル・ブラント商会について話したいと思いますが、生糸や時計の商社が大砲などの武器を扱っていたという一面は、ファブル・ブラント商会にも共通した事です。

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Posted by shin344 at 19:18│Comments(0)歴史
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