2010年06月04日

ニーゼルさんとお会いした・・・

品川パシィフィックホテルロビーで、スイス人フィリップ・ニーゼルさんとお会いしました。長年チバガイギー社の取締法務、常勤監査役、在日スイス商工会議所関西代表会頭、愛知万博スイス館副館長などを歴任されたお方ですが、何と言いましても、京都府内に
「庵」を結び、「拙鶴庵若翁」と号し裏千家の鵬雲斎千宋室御家元より「宋翠」を賜るなど、茶道の第一人者であります・・・ニーゼルさんとお会いした・・・

そんな、すごいお方と、私との接点は?こりゃ誰にも分かりませんね。何と接点は、私が一所懸命に調べている、James(ジェームス) Favre-Brandtなんです。今はこのファブル・ブラントの記事は、私の「ホームページ」に移動しましたけれど、このニーゼルさんは、スイス在住のJames Favre-Brandtの兄でチャールス・ファブル・ブラントの子孫と知己なんです。それで、その子孫の為に、また、日本とスイスの外交150周年記念の記事作成の為、または、ファブル・ブラントの伝記を残す為に日々精進して居られます。

さて、お会いして、しばらくはロビーで、James Favre-Brandtのお話しで歓談しましたが、その内昼、お互いに腹の虫が哀願するので、ホテル内の和食処でお昼・・・私は日本酒を頂きましたので、「お酒の肴」なる晩酌の友、ニーゼルさんは、お酒はもちろん、チラシ寿司で乾杯をしました。

私と同じ62歳しかも、8月生まれ、62年生きて来て初めて対面した訳ですが、昔の朋友に再会した様な、本当にリラックスできました。185cm100kgの巨漢ながら、少しも威圧感を与えず、悠長な日本語と優しい目の本当に素敵な紳士でしたよ・・・写真はニーゼルさんの許可を得て掲載していますのでご安心下さい・・・

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Posted by shin344 at 10:29│Comments(6)日記
この記事へのコメント
こんにちは♪

scemoさんの記事のファンとしては、
scemoさんの喜びがヒシヒシと伝わってきます。

河井継之助、ファブル・ブラントの研究が
ますます広がっていくのを楽しみにしております。
Posted by バック at 2010年06月06日 13:05
☆バックさん。こんにちは!
本当に嬉しかったですよ。私のブログでファブルブラントの事を読まれたニーゼルさん、思わず「出来た!!」と万歳をされたらしいです。そんな一言だけでも、ファブルブラントなどマニアックな話題に固執して良かったと思いましたよ。
私もhama1の父、バックさんの大ファンです。最近は大分慣れましたがホームページ作成、改造、アップでPCの前に居る時間は終わってしまいます。これからはまた、あちこちにお邪魔したいと、思います。その節はよろしくお願いします。コメントありがとうございました。
Posted by scemo3440 at 2010年06月06日 13:30
すごいですね~、ファブルブラントで繋がった友情。
さぞかし話が尽きなかったことでしょう。
これから ますますお付き合いが深まりますように。。。
Posted by Ziggy at 2010年06月09日 07:55
☆Ziggyさん。ありがとう御座います・・・私は、人見知りする
タイプが多分にありますけれど、このニーゼルさんと言う方は
不思議な魅力がありましたよ。その辺の日本人よりも
もっともっと日本人・・・日本人がとっくに忘れてしまったような
味わいのある方でした・・・アメリカで何時も日本を
忘れない、Ziggyさんにも同じものを感じます・・・
Posted by scemo3440 at 2010年06月09日 19:17
こんにちは。
初めまして。
NHKつながりでお邪魔いたしました。
 ところで文中の『宋翠』は『宗翠』ではございませんでしょうか。
突然失礼いたしました。
Posted by 斎藤仁右衛門 at 2010年12月20日 13:48
はじめまして、ファーブル・ブラント商会のことを調べていてこちらのサイトにたどり着きました。
実は、ここでも話題になっているチャールズ・ファーブル・ブラントさんですが、我々高圧ガス業界の歴史上では、明治の後半に神戸で活動をされており、当時の日立造船にフランス製の酸素の製造機を置いた縁で、そののち現在の日本エアリキードの初代日本代表(本社はパリにある会社で、日本支店長という肩書です)となられています。
それは1904年に機械の導入、会社の設立が1907年です。
明治17年でしたでしょうか、本国に帰られたという後、またこちらに戻られていたのでしょうか?
Posted by 高圧ガス販売店の品格 at 2013年05月28日 07:22
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