2018年06月22日

まだ、しばらくは死ねないなぁ・・・

「はやぶさ2」がいよいよ小惑星「リュウグウ」に近づいて来ました・・・「はやぶさ1」の活躍には心からの喝采を送りました・・・日本の裏側リオデジャネイロの小さな的にパチンコ玉を撃ち付けるようなもの凄いことをしているのですから、その技術力にももう芸術を超えた素晴らしさを感じます・・・



こういうイメージで間もなく「はやぶさ2」がリュウグウに到着しそうですが、もう到着すること自体すごい事なのに、これから色々と作業をして地球に戻ってくるそうです・・・

これが昨日発表された小惑星「リュウグウ」の姿です・・・こういうソロバン玉のような形をつい何日も前には想像すらできなかったのに手放しで「すごい!!」の一言・・・

これはもう、「はやぶさ2」が良い仕事をして、地球に戻るまでは当分死ねないなぁ・・・小惑星を探査したからって私たちには何の利益があるんだろうって思う人も居るかも知れませんが、私に取りましては生きる力を貰っているって言うのが私の感じるところです・・・
  


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2018年06月22日

4人分・・・

入院中の人が多くて今日は4人分の食事を作りました・・・4人分と言いますと普通の家庭とそんなに変わりがありませんが、一人の予算が350円と決まっていますからどうしてもメニューが限られてしまいます・・・

4人とは言いますが、調理をする私は利用者さんとは一緒に食べずに食器の片づけや給仕をすることにしていますので、実質予算は4人でも実質は3人分・・・

しかも一人は外で肉体労働をされる人でハンパない量を食べますから、その辺の計算もして決めます・・・


まずは腹持ちの良い「ポテトサラダ」です・・・
そして、メインメニューはハヤシライスです・・・

ルーの箱には8皿分と書いてありましたのでこれならたっぷりと食べて貰えますし、大食いの人にも富士山盛りで提供できそうです・・・

付け合わせの野菜はベビーリーフと言いまして柔らかくて味のある野菜とその陰で目立ちませんがウインナーソーセージのソテー・・・

そして、前にどなたかがカレーを作った時に残った福神漬けとラッキョウを添えました・・・

ふう!!・・・今日も何とか切り抜けました・・・  


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2018年06月17日

埼玉往還・・・

我が老妻が埼玉に住む息子夫婦の元へ住み込み家政婦をしに行きました・・・孫(第二子)出産後の家政婦をする為です・・・


出かける前に新横浜の駅ビルに寄り、息子の住むご近所への挨拶の品物を買いに行って元気づける意味でラーメンを食べました・・・

そして一週間、今度は迎えに行き、ひょろびょろに疲れた老妻を迎えに行きました・・・疲れ果てたけれど、孫二人の面倒を看る事が出来てとても嬉しかったようです・・・

そんな老妻を労う意味もあり、帰り道で華屋与兵衛に寄り「うな重」を食べました・・・私もしっかりとお相伴してしまいましたよ・・・


  


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2018年06月13日

街壊し・・・渋谷

渋谷の街、大好きでした・・・今まで一体何回足を運んだ事か・・・大盛堂、喜楽、ヤマハ、ムルギーカレー等々・・・今日は御徒町へ繰り出そうと渋谷を経由しました・・・街が完全にぶっ壊れていました・・・もちろん渋谷をリニューアルしている最中なのは理解しますが、新しい街に生まれ変わるまで生きているのか分からない私に取っては今が大切・・・ぶっ壊れて果てて矢印通りに移動しても目的地に着かないもどかしさ・・・渋谷にはもう通りかかっても乗り過ごします・・・絶対に寄らないぞという街になってしまいました・・・とても悲しいです・・・

繰り返し繰り返し放映されるこの光景ですがかなりうっとおしいです・・・ミサイイルが発射されるとその光景を各局そればっかり・・・これをきっかけに核を放棄するなんてまず考えられませんし、北朝鮮が何を考えて居るのかは分かりませんが、ほぼほぼ米国のおいぼれさんが手玉に乗せられたように思ってしまいます・・・日本人拉致問題など彼の国は国は歯牙にもかけて居ませんしね・・・

韓国や日本の権力者は、全くなす術もありません。拉致問題(拉致は日本国の主権をないがしろにした行為であるにも関わらず「解決済み」など・・・こんな事を散見しても所詮人間の知恵など千年数百年の歴史の積み重ねでどんな進歩があったのか・・・疑問ですねぇ・・・過去の歴史においてあり続けた事のように思います・・・

渋谷の楽しかった私の街が破壊されて、将来立派な街に生まれ変わるとしてももう二度と行きたくありません・・・

今日この頃は「温故知新」という言葉が何か無駄に流れているように思えてなりません・・・
  


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2018年06月11日

シンガポールの事・・・

シンガポールで明日米朝首脳会談が開かれるようです・・・シンガポールと言いますとまず思い浮かぶのはこの絵画です・・・


この絵は、日本水彩連盟の真野紀太郎氏が大正12年12月11日に海軍兵学校の遠洋航海演習に真野氏が同行し同じく遠洋航海の副官として指揮をとった祖父に贈られたものです・・・

題「椰子茂る街道」(新嘉坡タンジョンカトンにて)・・・スコールの後、微風そよぐ椰子樹茂る街道に沿ふと、原始的な建物の点在する、また往来の人物にも面白さを感じました・・・と、真野氏の寸評も添えられていました・・・


ところで戦前の一時期祖父母は駐在武官としてシンガポールに住んでいたそうで、そこで生まれた叔父に新嘉坡の「新」の一字を名付けました・・・ところがその叔父が戦死してしまいその名前の一字「新」は私の名前の一字に引き継がれました・・・それがどうかしましたか?・・・


タンジョンカトンでググってみますとこんな画像が出て来ましたけれど、これが真野氏の絵と同じ場所なのかは全く分かりませんけれど、戦後超近代都市に生まれ変わった新嘉坡(シンガポール)の事1923年の頃と全く変わったのは否めません・・・

そのシンガポールで歴史的会談が開かれるのを、川の向こう岸にいる祖父母や真野氏が聞いたらどんなに驚くか・・・

何はともあれ、愚かで進歩のない人類が少しでも平和に前進できるような会談になれば良いのですけれど・・・




  


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2018年06月07日

親子丼・・・

今日も入院中のお方が2人も居て職員を含めて4人の食事を作りました・・・一人当たりの予算は350円、従って1,400円-112(消費税)・・・これで皆さんがお腹一杯食べられるようメニューを考えますが無論スーパーに行き着くまで決まりません・・・

スーパーで何となく安売りの食材とか、見切り品を見る内に何となく決まるのは何時もの事ですが今日、閃(ひらめ)いたのは「親子丼」・・・

前日に調理された人が玉子を残してくれたのでそれも使おうとしましたが、どっこい、現場に着いて見ると玉子が消してあります・・・

仕方が無いので自分で玉子を買って間に合わせました・・・教訓その一・・・残された食材(残采)に頼らない事・・・

教訓その二・・・残采をする場合は正確に次の人が困らないようにする事・・・何てちょっと大げさですね・・・もともと自分で購入した食材は使い切るようにした方が良いと言う結論に至りました・・・大袈裟??・・・  


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2018年06月05日

ピーマンの肉詰めトマト味編・・・

今日はピーマンの肉詰めをトマト味バージョンで作りました・・・



でも、和風出し汁で作ったのとどちらが美味しかったのか・・・それを言ってくれる人はここにはいません・・・

皆さん精神を病んていて、それだけで毎日暮らしている人たちです・・・

昔、私と同じ立場のお方が辞め際に「美味しいんだか不味いんだかはっきりしなさいよ!!」と言っているのを聞いた事がありましたが、それははっきりと理解できます・・・

そんな事はこの仕事をしている以上普通の事ですから、たまに別なホームで「美味しかったです」と声を掛けられるととても嬉しいのです・・・  


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2018年06月04日

外付けハードディスク・・・

秋葉原を彷徨(徘徊?)してより安く高性能な外付けハードディスクを探しましたが、結局ハードティスクとケースが一体型の方が得だろうと見極めて電気量販店で購入して来ました・・・

これはポータブル型と言いまして、ハードティスク本体の電源をUSBを通して取ることが出来るタイプなので、コンセントに繋ぐ必要もなく本体の大きさは、タバコの箱位の大きさ・・・

それでいて1TB(テラバイト・・・ギガバイトのひとつ上の容量です)・・・

ずっと以前は大きな録画機で操作方法も余り良く解らなくてその内録画自体に興味が無くなった記憶がありますけれどもこれは本当に手軽で良いです・・・値段もお手軽で8000円程度です・・・

一番最初の録画は昨日「府中の森」へ行った為観る事が出来なかった「笑点face02」・・・お気楽ですね・・・  


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2018年06月03日

耳福口福の一日でした・・・

府中へ「第41回おかあさんコーラス東京支部大会」観に行って来ました・・・私は神奈川支部大会は聴いていませんが老妻の所属する団体は全くぼろ負けだったようです・・・・優良賞はおろか優秀賞もスカだそうでした・・・

最後は抽選になるのですがそれにも引っかからない状態でした・・・籤も実力の内・・・結局実力がなかったんでしょうけれど・・・

聞くところによりますと、老妻の所属する団体は神奈川県では後2年位全国大会に出場する資格がないんだそうですから、指揮者も確実に手を抜いたようです・・・


負け惜しみではなくて、今日の同じ指揮者の「琳(りん)」と言う団体の実に素晴らしかった事・・・老妻は思わず涙する程の出来でした・・・

老妻はもうすぐ二番目の「孫」が生まれそうなので、そのお手伝いがありますから「琳」の活動には参加しなかったそうです・・・

東京支部大会で上手くすると即全国大会に行くことが出来るそうですから指揮者もやっぱりその辺の「忖度」はあったのでしょうか・・・

・・・そんな事情は部外者である私には預かり知らない事ですが、老妻が出演する緊張感(やっぱり緊張するもんです)もなく気楽に耳福を味わいましたし、お昼は会場近くの割烹食堂で「ランチ」を頂きました・・・寿司酢のご飯がとても美味しかった・・・

(追記)朝日新聞デジタル版で「琳」や「K.Yクランツ」が見事全国大会に行けるそうです・・・良かった!!
  


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2018年06月01日

人(人間)の知恵は変わらない?・・・

人間がこの世界に存在し始めてから何万年か経っていると言いますが、人間の根幹は全然変わらないし、これからも変わらないのではないかと思います・・・

最近、テレビでユーチューブの動画を観ますが、愚かな戦争や日大の対応や幼子の殺戮や人種間闘争や何だかズーっと人間はこんな事を繰り返しているように思います・・・

孔子さんは人は老熟するほど知恵が深まるというような事を言っていますが、人は老熟しても間もなく居なくなりますし・・・

愚かな戦争だけはしないようにしようと世界中が誓い合っても、直ぐに別の利害で無残な戦争が始まりますし・・・

人々はせいぜい自分や自分の家族が戦争に巻き込まれないように考えるだけです・・・

人間が知恵を持って行動する事って本当に難しい事だと思います・・・

温故知新・・・と、言うよりももっと人間が知らなくてはならないものがあるように思えます・・・

画像はあるところの「さつき展」で気に入った作品です・・・シュッとして凛としている佇まいが特に素晴らしいです・・・  


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2018年06月01日

鯖味噌・・・

スーパーでこれほど悩んだのはあまりないのですが、今日は入院中の人や食事キャンセルの人も居てたった4人分の食事を作りましたが、その位だったら一家族分の料理なので楽ではないかと思われるかも知れませんが、予算が一人350円ですから、1400円(消費税分を引いて更に1288円)で4人分の買い物をすることになります・・・

鯖の味噌煮を作ろう思い一旦生鯖の切り身を買おうとしましたが、それでも予算ギリギリ・・・

仕方がないので比較的値段の安いノルウェー産の塩鯖を購入し、塩抜きをした上塩味を更に抑えて作りました・・・

以前別のスーパーの店員さんに塩鯖で味噌煮を作るなんて止めた方が良いと言われた事を思い出してちょっと冒険だったのですが、何とか上手く(旨く)行きました・・・


そして、ナムルですが先日発見した「すし酢」加え作戦大成功でした・・・

これを白いご飯に乗せて食べると、ビビンパになりますが、人参や山菜などが揃うとビビンパ丼になりそうです・・・
  


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2018年05月27日

久し振りの秋葉原(あきば)散策・・・

定年退職してから早5年になりますが、その5年間、毎日何だかんだと目まぐるしく動き回っていますが、せいぜい横浜と川崎を行ったり来たりです・・・今日は5年以上もご無沙汰の「あきば」に行って来ました・・・


今の「あきば」は随分様変わりしていましたね・・・まず第一に噂には聞いていましたが、外国人の多い事・・・外国人の経営している店があったり、お店の奥に入り込むとインド語(?)や英語や中国語らしい言葉が行きかったり・・・

ここは日本かと思われる程でした・・・

それと、以前は「萌え」系のお店の前にしかいなかった女の娘(こ)が、やたらあちこちの辻々に立って客引きをしています・・・

電気オタクからPCオタク・・・そして今は外国人や萌え系オタクも入り混じってまぁ大変な事になっていました・・・

パソコンに係わり始めた頃は、ここ秋葉原に来ても何が何だか分からなかったものですが、今は何処の店に何があるのか大体見当が着くようになりました・・・

今日はテレビ録画用に外付けのハードディスクを探しに来ました・・・


こんな感じのパソコンを解体すると取り出せるハードディスクをケースに装着してみたいのです・・・

色々と調べていましたが、使い古したハードディスクを持っていたらケースにセットして随分安く録画用に出来るんですけれど・・・

お店を回っている内に気付いたのですが、もしかしたらセットされたものを購入した方が安いのではないかと躊躇しました・・・それは今まで捨てたPCは数々ありますがハードディスクを取り出した事はありませんでしたから・・・



横浜と川崎を行き来する内にとっても「田舎者(田舎の人をバカにした訳ではないです)」になってしまった感がありましたが、久し振りの「あきば」でちょっとリフレッシュしました・・・  


Posted by shin344 at 19:39Comments(0)日記

2018年05月27日

鰯の梅煮・・・

鰯一匹丸ごと圧力鍋で煮ました・・・梅干しと薄味の出し汁です・・・梅干しの酸味が効いていてしかも圧力鍋で40分煮て骨などホロホロに溶けてしまいます・・・



サイドメニューは近頃完成した「ナムル」・・・このナムルなら白飯に混ぜて食べるとビビンパになります・・・

そして茶碗蒸し・・・これも蒸し器のない所では電子レンジで作ります・・・

  


Posted by shin344 at 12:27Comments(0)日記

2018年05月24日

人間て全然進歩していない・・・

・・・と、言うのは先日の講演で渡辺氏が吐かれた言葉です・・・話しは飛びますが、その昔、私はある組織の責任者でしたが・・・私の任を引き継いだ後任者と話すと言うか楽しく呑むはずでしたが、後任者の口から出たのは部下達の悪口のみしか聞けませんでした・・・それ以来その後任者とは話す気持ちさえ起こりませんで今に至っています・・・私が育てたと自認している部下達を彼は全然愛していなかったし彼もまた部下から慕われる存在ではなかったのが分かってしまいました・・・

日大と関学のゲームでの事件ですけれど、完全に私見ですが、監督側も選手側も保身&保身・・・何を何から保身するのかは分かりませんが、いい大人が何やってんだかと思ってしまいます・・・18歳以上は確か大人の仲間入りしたらしいと聞きましたが・・・

もし責任者で責任を感じましたら四の五の言わずに即「腹を斬る」覚悟でいなくてはなりません・・・

古来日本の責任者は責任を背負わされた時点で何時でも部下や配下の不手際には見苦しい言い訳はせずに自裁したと聞いています・・・

そんな時代劇じみた事を言うまでもなく、人間て全然進歩がないなぁ。物質的には進歩しても人間の根幹はそんなに変わるものではないと・・・  


Posted by shin344 at 21:48Comments(0)日記

2018年05月20日

神奈川の記憶・・・こぼれ話

A新聞の主催で開かれた講座に行って来ました・・・A新聞の「横浜」欄に掲載されて楽しみに読んでいたその記事を書いた渡辺延志さんが講演されました・・・

約2時間の講演でしたが昔行かされたつまらない講演と違い実に楽しくあっface08と言う間に過ぎました・・・

歴史は時の為政者や権力者により造られると渡辺氏はおっしゃいましたが、私もその事は感じます・・・例えば「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉が明治維新の時うまれましたが、今次大戦でも核兵器で大量殺戮をした米国には何の咎めもないのですから・・・

最近は歴史書も維新時の賊軍と位置づけられた佐幕軍たちにスポットを当てて来ましたが、私の子供の頃は少年漫画でも「勤王の志士」は良い人で新選組など佐幕派は悪役だとするものが多かったように思います・・・

最後に渡辺氏がこぼれ話のこぼれ話的な非常に興味深い話しを紹介されていました・・・私が日本刀と言いますと右の写真のような「造り」のものを思いますが実は戦国乱世の頃にこんな造りの刀で戦ったらまずまともに戦えないし、刀身が飛んで行ってしまうらしいです・・・戦国の頃は剣道場で使う竹刀の柄のような鹿革を巻いていたそうです・・・

刀が装飾品や武士のステータスシンボルのようになった江戸時代にこう言う柄の造りが生まれたそうです・・・私は時代小説や時代劇が好きですが、戦国時代に上のような日本刀で戦っていたら時代考証がちょっと?と言うことになるのでしょうね・・・

まだまだ紹介したい興味深い事はありますが、一般常識とされている歴史にも冷静に見方を変えると裏の歴史も見えて来ると言うのが漠然としていますが少し理解できました・・・

(追記)・・・この当時トップシークレットだった原爆投下予定の都市名ですが、横浜は3番目の候補地だったそうです。このリストでの3番目がどのような理由で消えたのかは不明ですが投下されたとしたら私も今ここに居たのかどうかは分かりません・・・

ショックだったのは京都が2番目の候補地だった事、昔学校で京都には貴重な神社仏閣など大切なものがあるのでアメリカ軍にもこう言った貴重な宝を失うのを惜しむ人が居て爆撃されなかったと、教えてくれた教師がいて、私も深く納得したものですが、60数余年で完全に覆ってしまいました・・・因みに京都が対象から外れたのは、京都に原爆を投下したとしたら、日本は絶対に戦争を止めないと判断したからだそうです・・・

戦争なんてそんなものでしょう・・・タリバーンやISが古代遺跡を破壊するのを憤って観ていますが、戦争など所詮狂気の何事でもないという事です・・・


  


Posted by shin344 at 17:08Comments(2)日記

2018年05月17日

こどもの国Ⅳ・・・

陸軍田奈部隊の弾薬補給廠も戦後は米進駐軍の基地に接収されました・・・住んで居た病院の長屋にも色々なお方が住んで居ましたよ・・・米軍兵士と懇ろになった女性・・・私たちは「パンパン」と侮蔑して呼んでいましたが反面その女性がもたらしてくれるチョコレートや缶詰を有難く頂いていました・・・大きな廊下の左右にかつての病室でしょうか?・・・そんな光景が思い出されます・・・

米進駐軍の駐屯地になった「こどもの国」・・・その入り口の建物にサイレンが取り付けてあり、お昼(12時)になると「う~~~!!」・・・と、すさまじい音鳴らしていました・・・何年も住むとそんなサイレンの音にも慣れて時計代わりにしたのを覚えています・・・そして流石に米軍と言っていいのかどうかは分かりませんがクリスマスには私たち地元の者を招待してくれました・・・

そこで、私を含めた日本の子どもたちに何が行われたのかは記憶に無いのですが楽しかったような気もします・・・

何だか日頃夢を見ていたような記憶でしたが不思議でおかしな世界だったように思えます・・・

このこどもの国で孫や息子と遊ぶこと自体不思議な縁(えにし)のようなものを感じます・・・







  


Posted by shin344 at 23:13Comments(0)日記

2018年05月12日

こどもの国Ⅲ・・・南寮中寮北寮・・・

私の子供の頃の記憶には奈良町に南寮(なんりょう)と北寮(ほくりょう)と言う長屋がありました・・・長屋と言いましたが宿舎ですね・・・


南寮には私の同級生も住んでいまして訪れた記憶もありますが、当時は南寮も北寮も朝鮮族の人々が多く住んで居たようです・・・

両寮とも戦後は確かに朝鮮族の人々が住んで居たようですが、戦前の田奈部隊時代には弾薬廠で従事する人たちの寮だったようです・・・

北寮の人たちとの係わりはあまり記憶にありませんが、当時、この陸軍病院の長屋に引っ越してすぐに、誰かとつるんだのかは不明ですが朝鮮族の子どもを苛めたようで、その子の親が猛烈に怒り、私は近くの防空壕に避難しました・・・

その後私はこの地図にある「杉山神社」下に住みました・・・今の恩田駅辺りでしょうか?・・・ここでの記憶も強烈に残っています・・・

南寮や北寮そして中寮までありますが・・・ここは朝鮮族のお方たちの住む長屋だとずっと思ってきましたが、「田奈部隊弾薬弾薬廠」だった頃はここで従事する人たちの宿舎だったんですね・・・

  


Posted by shin344 at 22:25Comments(2)日記

2018年05月12日

こどもの国Ⅱ・・・

私は多分前にも投稿したと思いますが、この田奈部隊弾薬補給廠のすぐ前にあった陸軍病院に住んでいたのです・・・今から64~66年前のお話しです・・・その場所は私の飛び飛びの記憶の中に埋もれてしまったのですが、こどもの国前の駐車場になっています・・・


向かって右側が私の住んでいた「病院跡」・・・前に並んでいるのは当時同じ病院跡の長屋に住んでいた「小川さん」や「岩井さん」です・・・涎かけの一番小さいのが私・・・3~4歳頃です・・・

それは良いとして、左側に見える一帯が田奈部隊弾薬廠ですが、当時は米進駐軍の駐屯地でもありました・・・

上の写真から2~3年くらい経った頃でしょうか・・・私よりずっとお兄さんの岩井よしあきさんと写りました・・・

ここで、気になりますのは岩井さんや私ではなく遠くに見えるゲートです・・・今ではここ辺りが「こどもの国」入口になっていますがここは当時進駐軍の弾薬を運び込む列車の入り口だった記憶があります・・・

これが私の現「こどもの国」の前の病院跡地に住んでいたという事なんですが、どうした経緯でここに住むことになったのかは全く不明ですが、私の叔父が陸軍軍医だった事を考えますと、もしかして叔父に生かされたのかもって思う訳です・・・

因みに私が住んでいた部屋は手術室で、床がリノリュームと言う物質でした・・・その後も版画の材料でこのリノリュームを手にする度にこの住まいの事を思い出します・・・
  


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2018年05月11日

こどもの国・・・

GWで孫がやって来ました・・・孫は「アンパンマンミュージアム」に行きたいなどと言っていたらしいのですが同時にあのような人混みに連れて行くのもはばかられますから、熟考の末「こどもの国」へ行くことにしました・・・


結果は正解でした・・・孫は4歳でどこにそんなエネルギー源があるのかと思えるほど良く動き回ります・・・

ここ「こどもの国」は自分の力で動き回る遊具が多くて、動きの激しい孫にとっては最適だと思いました・・・


私の息子が孫を一心に撮影していますが、その息子が孫の年齢の頃もここに連れて来た事を思い出します・・・

その頃の息子も思いっ切り遊びましたっけ・・・
ここ「こどもの国」は70数余年前は日本陸軍田奈部隊の弾薬補給廠だった暗い歴史もあります・・・今でも子供たちの歓声が上がる敷地内に当時の弾薬庫跡が不気味な口を開けています・・・

弾薬補給廠だった頃はそれゆえの事故もあったそうです・・・

弾薬が暴発をして人馬が粉みじんになった事故や、補給廠に動員された横浜二中(現翠嵐高校)の学生がトラック毎川に転落して6名が亡くなった事故などがありました・・・

息子が孫を写していたあの中央広場は引き込み線の終着駅のひとつだった事が分かります・・・引き込み線は二本ありもう一本の引き込み線の駅はしばらく後まで残っていて私も目にしております・・・

こんな暗い歴史のある場所が今は子供たちの明るい声が響き渡る「こどもの国」になった事のギャップに何時も不思議に思います・・・

次はこの「こどもの国」の前で幼い頃を過ごした私の記憶をお話ししてみます・・・


  


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2018年05月04日

牛筋カレー・・・

何度か作りました・・・今日はスーパーで買い物をしましたらたまたま見つけたのは「牛筋」でした・・・牛筋は圧力鍋で40分位煮込みますとプルプルコラーゲンの塊になります・・・今日は水分量を出来るだけカレールーの箱に書いてあるものに近づけました・・・


カレールーも手作りすれば良いのでしょうが、そこまで凝るにはちょっと予算的に無理がありますので、私は市販のルーを使います・・・

カレールーも色々な種類が出てますが、どのメーカーも自社の製品の味を最大限出せるようにレシピには工夫を凝らしていると聞きます・・・

確かに色々なメーカーのルーでカレーなりシチューなりを作っていますと、なるべくレシピ通りに作るのが良いように思います・・・

因みに私がこの仕事を始めて以来愛用しているのは「ZEPPIN」ですがより深い味を求める時は複数のメーカー品を混ぜて使うこともあります・・・
  


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