2009年01月25日
思わぬ絶景ポイント発見!・・・
少し早く出勤して、横浜市南区蒔田方面から、何時も見上げながら通う丘に登って見ました・・・21年間通って初めての絶景ポイントでした。普段でしたら絶対に登らないような急坂に挑戦して見ようという気になったのも、ここ一年の訓練の賜物か・・・
遠くに富士山と丹沢山系の大山(おおやま)がしっかりと見えています。良く横浜古写真や横浜錦絵に、こんな富士山が描かれていますが、あながちデフォルメではなかったようです・・・
そして丘の反対側からは、キラキラと光る磯子の海と、何時も立ち上る煙しか見えない火力発電所がしっかりと望めました・・・来年の初日の出はここで決まりかな・・・
遠くに富士山と丹沢山系の大山(おおやま)がしっかりと見えています。良く横浜古写真や横浜錦絵に、こんな富士山が描かれていますが、あながちデフォルメではなかったようです・・・
そして丘の反対側からは、キラキラと光る磯子の海と、何時も立ち上る煙しか見えない火力発電所がしっかりと望めました・・・来年の初日の出はここで決まりかな・・・
2009年01月12日
根岸の坂の途中に・・・
こんな、湧き水を集めたものを発見!
根岸の白滝不動から程近い根岸駅への近道の長いうねった階段・・・
その途中に、滝之上辺りからの湧き水を集めたこんなものがありました。滝之上辺りに今のように住宅が建ち並ぶ前はきっと、通行人の咽喉を潤したかも知れませんが、今では「飲み水ではありません」と寂しい文字がありましたよ・・・
でも、きっと飲んでも大丈夫なんでしょうが、保健衛生上どうのと言う問題なんでしょうね・・・
子どもの頃はこんな湧き水はご馳走でしたけれど・・・
根岸の白滝不動から程近い根岸駅への近道の長いうねった階段・・・
その途中に、滝之上辺りからの湧き水を集めたこんなものがありました。滝之上辺りに今のように住宅が建ち並ぶ前はきっと、通行人の咽喉を潤したかも知れませんが、今では「飲み水ではありません」と寂しい文字がありましたよ・・・
でも、きっと飲んでも大丈夫なんでしょうが、保健衛生上どうのと言う問題なんでしょうね・・・
子どもの頃はこんな湧き水はご馳走でしたけれど・・・
2009年01月08日
ここは何処?・・・
何時も出勤の途中楽しむ「宝生寺」・・・でも今日は同じ「堀の内」ですが、21年間で初めて足を踏み入れた場所に、こんな道祖神?がお祭りしてありましたよ・・・
藪の中の本当に目立たないところに、ひっそりと立っていました・・・名前や由来などは一切なしですが、きっと地元の人に大切にされているんでしょうね。
小さな祠の中で、お正月のお供えや花、そして、もうほとんどお顔など風化してしまってますが、何か幸せのオーラが伝わって来るように思えました・・・
ここへ誰かをご案内しようとしても、果たして辿り着けるのかどうか・・・まさに、ここは何処?の場所です・・・
藪の中の本当に目立たないところに、ひっそりと立っていました・・・名前や由来などは一切なしですが、きっと地元の人に大切にされているんでしょうね。
小さな祠の中で、お正月のお供えや花、そして、もうほとんどお顔など風化してしまってますが、何か幸せのオーラが伝わって来るように思えました・・・
ここへ誰かをご案内しようとしても、果たして辿り着けるのかどうか・・・まさに、ここは何処?の場所です・・・
2008年12月04日
夢の跡・・・
私が毎日通っている横浜市営地下鉄「吉野町駅」から、国道16号線沿いに八幡橋方面に歩きますと、合計4本の、立派な花崗岩造りの門柱があります・・・
これは、南区睦町で見つけました。小さなスナックの横に寂しそうに一本、しかも、何故か、店の名前はこの通り削り取られています・・・
一番下にかろうじて「店」と言う字が見えます。この無残な削除の仕方から想像が広がりますが、店主が結構あくどいやり方で店を大きくしましたが、泣いた人も沢山居て、店が潰れた後、この店名もこうして削り取られてしまいました・・・
そのお隣り、2~3mのところにはこの通り、2本の門柱が健在、しかし、2本共、医院らしく真っ白にペイントされております。多分医院の表札の後ろには店名があるのか、それとも削られているのか、分かりません・・・
そしてもう一本は、ずっと磯子区八幡橋に近い、横浜市営バス滝頭車庫の近くにあります。ここは、ご覧のように「合資会社 清水清兵衛商店」としっかりと店名が残って居ります。この敷地には、ごく普通のお宅があるだけで商店があった事が分かるのはこの門柱が語るのみです・・・
この清水清兵衛さんはもしかしたら、頑張って会社を興して、周りの人たちにも愛されたのに、残念ながら潰れてしまったのかも知れません・・・
今はしっかりと稼いで、ビルでも建てたいなんて商店主の夢はあるのかも知れませんが、昔は、こんな花崗岩の門柱を建てたいもんだ、などと夢見たのかも知れませんね・・・
これは、南区睦町で見つけました。小さなスナックの横に寂しそうに一本、しかも、何故か、店の名前はこの通り削り取られています・・・
一番下にかろうじて「店」と言う字が見えます。この無残な削除の仕方から想像が広がりますが、店主が結構あくどいやり方で店を大きくしましたが、泣いた人も沢山居て、店が潰れた後、この店名もこうして削り取られてしまいました・・・
そのお隣り、2~3mのところにはこの通り、2本の門柱が健在、しかし、2本共、医院らしく真っ白にペイントされております。多分医院の表札の後ろには店名があるのか、それとも削られているのか、分かりません・・・
そしてもう一本は、ずっと磯子区八幡橋に近い、横浜市営バス滝頭車庫の近くにあります。ここは、ご覧のように「合資会社 清水清兵衛商店」としっかりと店名が残って居ります。この敷地には、ごく普通のお宅があるだけで商店があった事が分かるのはこの門柱が語るのみです・・・
この清水清兵衛さんはもしかしたら、頑張って会社を興して、周りの人たちにも愛されたのに、残念ながら潰れてしまったのかも知れません・・・
今はしっかりと稼いで、ビルでも建てたいなんて商店主の夢はあるのかも知れませんが、昔は、こんな花崗岩の門柱を建てたいもんだ、などと夢見たのかも知れませんね・・・
2008年11月21日
宝生寺・・・
この宝生寺、本当に大好きなお寺です・・・毎日の出勤の途中で立ち寄りますものの、大した伽藍がある訳ではないし、特にものすごいものがある訳でもありませんし・・・それでも何か惹き付けられます・・・
この階段を上がった境内では、ご住職の奥様が、市井の花を普通に植えられて、きちんとでは無く、しかし、ズボラでもなく手入れされています。この境内から、山道を抜けて、堀割川の掘削で切り割られた場所へぬけられます。
この宝生寺には、「横濱村」と記された室町時代最古の文書が残されているそうですし、関東大震災で、いわれなく犠牲になった朝鮮人たちの慰霊碑もあります・・・
古いお寺なんですねー・・・境内の山道にはこういった、無縁仏さまが見られます・・・
この階段を上がった境内では、ご住職の奥様が、市井の花を普通に植えられて、きちんとでは無く、しかし、ズボラでもなく手入れされています。この境内から、山道を抜けて、堀割川の掘削で切り割られた場所へぬけられます。
この宝生寺には、「横濱村」と記された室町時代最古の文書が残されているそうですし、関東大震災で、いわれなく犠牲になった朝鮮人たちの慰霊碑もあります・・・
古いお寺なんですねー・・・境内の山道にはこういった、無縁仏さまが見られます・・・
2008年09月27日
だーれも知らないDEEP横浜・・・
携帯での投稿が続く内、不自由な携帯環境から思わず「だーれも知らないDEEP横浜」に登録してしまいました。そして投稿しました「髭」が載ってしまいました。何で「髭」が「だーれも知らないDEEP横浜」なんだって?・・・ゴメンなさい。ただの事故です・・・本当の意味で私がDEEP横浜と推薦したいのはこれ、
「お三の宮 日枝神社」境内にあります。
お三の宮 日枝神社は、江戸時代の中期から始められた、吉田勘兵衛による「吉田新田」の完成祈願の為に建てられた神社です。その手洗い場所の周辺には・・・
雨だれが長い年月をかけて作ったような小さな穴が無数に開いて居ります。これは、当時の子ども達が、樟の若芽をすり潰して、それを糸の先に付け、トンボ釣りをした時に出来た穴です。今ではトンボすら居ないこの界隈、隣りの日枝小学校からは軽快なブラスバンドの響きを聞くことが出来ますが、この日枝神社でトンボ釣りをして、ここに穴を穿った、何百人かの子ども達は、今は一体何処へ行ってしまったのでしょうね・・・
「お三の宮 日枝神社」境内にあります。
お三の宮 日枝神社は、江戸時代の中期から始められた、吉田勘兵衛による「吉田新田」の完成祈願の為に建てられた神社です。その手洗い場所の周辺には・・・
雨だれが長い年月をかけて作ったような小さな穴が無数に開いて居ります。これは、当時の子ども達が、樟の若芽をすり潰して、それを糸の先に付け、トンボ釣りをした時に出来た穴です。今ではトンボすら居ないこの界隈、隣りの日枝小学校からは軽快なブラスバンドの響きを聞くことが出来ますが、この日枝神社でトンボ釣りをして、ここに穴を穿った、何百人かの子ども達は、今は一体何処へ行ってしまったのでしょうね・・・