2006年11月30日
監査終了・・・
重箱の隅をせせるような監査が昨日終わりました。書類を作ったり(・・って細かい書類は職員さんにお任せですが・・)事前の準備が大変、職員にもヒアリング(事情聴取)があるとの事で、職場に緊張が走りましたが、法人の経理係が長い事詰問されていたようですが、その他の職員の出頭命令はなくて、ホッとしました
昨日は、それだけで心身ともにクタクタになって、帰るやいなや、晩酌の一杯が、肝臓に染み渡る以前に、バッタリと寝てしまいました。
そして今日は、プログラムでボーリングに行きました。地中深く150m程掘り下げて温泉を・・・じゃーなくって!・・・タマ転がしの方です。私はボーリング全盛時代に青春期を迎えましたが、大した興味もなく、つきあい程度でボーリング場に行った位ですので、30人で競技をして、18位でしたー・・・は、恥ずかしい
まぁ、ワーワーキャーキャー、ハイタッチ、ロータッチと楽しかったですけれどね
今日の肴は、全部惣菜屋製ですが、揚げ出し豆腐のきのこアンカケと卯の花炒り、お寿司と枝豆少々と言ったところです
昨日は、それだけで心身ともにクタクタになって、帰るやいなや、晩酌の一杯が、肝臓に染み渡る以前に、バッタリと寝てしまいました。
そして今日は、プログラムでボーリングに行きました。地中深く150m程掘り下げて温泉を・・・じゃーなくって!・・・タマ転がしの方です。私はボーリング全盛時代に青春期を迎えましたが、大した興味もなく、つきあい程度でボーリング場に行った位ですので、30人で競技をして、18位でしたー・・・は、恥ずかしい
まぁ、ワーワーキャーキャー、ハイタッチ、ロータッチと楽しかったですけれどね
今日の肴は、全部惣菜屋製ですが、揚げ出し豆腐のきのこアンカケと卯の花炒り、お寿司と枝豆少々と言ったところです
2006年11月28日
塗装業2・・・
先週の火曜日に引き続き、今日も職場で壁をペンキ塗りしました。先週塗ったところなんですが、時間切れ終了にしましたら、やはり、色むらが出来ていてとても気になりました。そこで今日午前中、私は宿直明けで、ちょっと疲れてはいましたが、多分今日塗らなくては、年末で忙しくなる予感のする今日この頃なので、きっと年を越すかなぁーと思われましたから、もう一人若い職員のアシスタントで頑張りました。大分、塗装のノウハウが掴めて来ましたので、これを記録に残しておいて、来年早々に行う、利用者の各居室の壁塗りに役立てませう。と、言う訳で、さっき帰って来て、少し調べ物をして、ゆっくり入浴、そして、晩酌の、はじまり、はじまり~
肴は、シューマイ(これはお惣菜屋さんのです)と、タクアンです。タクアンは無添加のものを買って来て冷蔵庫に入れておきましたら、知らない間にベランダに家出してました。臭いからとタクアンが、自分の身を処したのか、誰かが、放り出したのかは定かではありません
肴は、シューマイ(これはお惣菜屋さんのです)と、タクアンです。タクアンは無添加のものを買って来て冷蔵庫に入れておきましたら、知らない間にベランダに家出してました。臭いからとタクアンが、自分の身を処したのか、誰かが、放り出したのかは定かではありません
2006年11月26日
二子玉川散歩・・・
久し振りに、若者の間で「ニコタマ」と呼ばれる二子玉川へ出かけてびっくりしました。以前地元に東急デパートが出来る前は、もっぱらこの二子玉川の高島屋でのショッピングでしたが、もうすっかり様変わりして、セレブ御用達の街みたいになっておりました。私のようなオジサンが、普段着で訪れるのもはばかられるような、高級な雰囲気でしたよ。
でも、本当の目的は、この「玉川大師」の地下霊場に行って見たかったことです。入り口で初めての人に対する説明を受けた後、100円の拝観料を払っていざ・・・階段を降りたところから完全に闇になってしまい、視界ゼロの中、壁を手で探りながら摺り足で進みます。私は決して閉所恐怖症ではないのですが、こんな恐怖は初めて・・・私の後ろから来る人の気配が無かったら、きっと戻っていたと思います。
でも、そんな心細い恐怖も、一種の演出なんですね。漆黒の闇から、この少し明るい、八十八霊場の大師さんがずらっと並んだ空間に達した時の安心感は、それは素晴らしいものでした。私は特に信仰している宗教はありませんが、思わず、私や私の家族が今ある事、私の仕事上の人達、ブログに来て下さる方達、親戚達、色々な人達の多幸を祈りました。そうする事で私も本当に幸せな気持になれました。これで八十八霊場を巡礼したのなら、もう、いう事なしです。
さて、明日からまた激務?特に福祉局の監査がありますから、気の抜けない一週間です。でも別に行政から指摘されるようなあくどい仕事はしてませんから(・・って当たり前です。福祉の世界で弱者を食い物にするような者は福祉を行う資格は無いです・・別に福祉でなくてもそうですけれどね・・)あまり気にもしてませんが今日の肴は、アボガドとマグロのワサビ醤油和えです。マグロは少量ですが、アボガドは2個も使ってしまいました。
でも、本当の目的は、この「玉川大師」の地下霊場に行って見たかったことです。入り口で初めての人に対する説明を受けた後、100円の拝観料を払っていざ・・・階段を降りたところから完全に闇になってしまい、視界ゼロの中、壁を手で探りながら摺り足で進みます。私は決して閉所恐怖症ではないのですが、こんな恐怖は初めて・・・私の後ろから来る人の気配が無かったら、きっと戻っていたと思います。
でも、そんな心細い恐怖も、一種の演出なんですね。漆黒の闇から、この少し明るい、八十八霊場の大師さんがずらっと並んだ空間に達した時の安心感は、それは素晴らしいものでした。私は特に信仰している宗教はありませんが、思わず、私や私の家族が今ある事、私の仕事上の人達、ブログに来て下さる方達、親戚達、色々な人達の多幸を祈りました。そうする事で私も本当に幸せな気持になれました。これで八十八霊場を巡礼したのなら、もう、いう事なしです。
さて、明日からまた激務?特に福祉局の監査がありますから、気の抜けない一週間です。でも別に行政から指摘されるようなあくどい仕事はしてませんから(・・って当たり前です。福祉の世界で弱者を食い物にするような者は福祉を行う資格は無いです・・別に福祉でなくてもそうですけれどね・・)あまり気にもしてませんが今日の肴は、アボガドとマグロのワサビ醤油和えです。マグロは少量ですが、アボガドは2個も使ってしまいました。
2006年11月26日
吉田新田物語(番外編)・・・
以上述べて来ました、吉田新田のことで大体のイメージを掴んで頂けましたでしょうか?・・・この2枚の画像は、福音館から発行された絵本「ある都市のれきし」の原画です。上の画像は丁度吉田新田がほぼ完成した頃、沖に黒船が迫っていますね。画像右端の海にせり出した土地が野毛村(現野毛町)、川を越えて建つ屋敷が吉田勘兵衛さんの家(長者町9丁目)で、田んぼの中にぽつんと建っているのが常清寺(廃寺・・・現、福富町)です。画像左端、砂州(州干島)の付け根に横浜村(現、本町1丁目辺り)があります。そして、横浜村村民が自分達の水田確保の為に埋め立てた横浜新田(現、中華街)も水田として機能しています。
下の画像がほぼ現在の、上の図と同じ場所からの俯瞰図です。20年前の横浜ですが、まだ、みなとみらい地区は整備されていないものの、今とそれ程変わった変化はありません。
下の画像がほぼ現在の、上の図と同じ場所からの俯瞰図です。20年前の横浜ですが、まだ、みなとみらい地区は整備されていないものの、今とそれ程変わった変化はありません。
2006年11月25日
横浜散歩・・・
散歩と言いましても「三歩」では済みませんよ。元町山手から、中華街山下公園を経て、桜木町、そして野毛に至ります・・・横浜村から野毛村ツァーでした。
まずは日本大通りです。黄葉はまだ5分といった趣です。横浜が開港された時には、この道路の右側が外国人居留地、左側が日本人の商家と分けられて住んでいました。
近代的なビルの中に、打ち捨てられたような古いビル・・・今は取り壊しを待っている風情ですよ。
外国人居留区48番地のプレートです。モリソン商会というダイナマイトを扱う商館があったそうです。わずかにレンガ塀の跡も残っていますが、こういう、ちょっとした遺跡、次に訪ねる時にはもう場所も分からなくなる程、意外なところにありよ。 続きを読む
まずは日本大通りです。黄葉はまだ5分といった趣です。横浜が開港された時には、この道路の右側が外国人居留地、左側が日本人の商家と分けられて住んでいました。
近代的なビルの中に、打ち捨てられたような古いビル・・・今は取り壊しを待っている風情ですよ。
外国人居留区48番地のプレートです。モリソン商会というダイナマイトを扱う商館があったそうです。わずかにレンガ塀の跡も残っていますが、こういう、ちょっとした遺跡、次に訪ねる時にはもう場所も分からなくなる程、意外なところにありよ。 続きを読む
2006年11月24日
唐桃軒・・・
関内駅前の「唐桃軒(とうとうけん)」のラーメン、これ最高なんですよね。あっさりとした醤油味、トッピングは海苔とメンマ、そしてチャーシューといたってシンプルですが、何度食べても、飽きないんですよ。特に美味しいのは、チャーシューです。近くの中華街にも、沢山のチャーシューが売られていますが、ここのは、あくまでも、ラーメンの具としての位置付けです。もちろん、それだけ食べても美味しいですので、早速今日の肴にしました。今日の肴はちょっと豪勢に、いろいろ野菜のサラダと、酢豚・・・いずれもRF/1製、そして小女子と胡桃の甘露煮です
~今日も旨い酒と肴で、幸せです~
~今日も旨い酒と肴で、幸せです~
2006年11月23日
吉田新田物語4
前回3で埋め立て前の入海の様子を紹介しましたが、今日はその図と現代の同じ場所を対比してみます。ちょっと、見づらいかも知れませんが、青いラインは、大岡川と中村川です。
つまり、この両川に囲まれた部分が全て入海だった訳です。そして、ピンク色のラインが、砂州「州干島」の位置です。正確に言いますと、釣鐘状の頂点から図の真ん中辺の右から左に貫く鉄道(京浜東北線)のラインまでが吉田新田と言います。 続きを読む
つまり、この両川に囲まれた部分が全て入海だった訳です。そして、ピンク色のラインが、砂州「州干島」の位置です。正確に言いますと、釣鐘状の頂点から図の真ん中辺の右から左に貫く鉄道(京浜東北線)のラインまでが吉田新田と言います。 続きを読む
2006年11月23日
息子の靴・・・
押入れから、椅子(椅子については近日中アップ予定です)の修理道具を探していましたら、息子が初めて履いた「バスター・ブラウン」の靴が出てきました。
今頃は、28cmの靴で札幌を闊歩している息子にも、こんな靴でヨチヨチしていた頃があったんですねー。ちょっとホロっと来てしまいました・・・年寄りは涙もろくって
今頃は、28cmの靴で札幌を闊歩している息子にも、こんな靴でヨチヨチしていた頃があったんですねー。ちょっとホロっと来てしまいました・・・年寄りは涙もろくって
2006年11月23日
情けは人のためならず・・・
・・・この言葉は、人に情けをかけると、情けをかけられた人のためにならないと言う意味だと最近まで、思っていました。と言いますのは、仕事柄、責任を持った情けのかけ方をしないと、情けをかけられた人は、途端に強い気持をなくして、情けをかけた人にヨヨっと依存してしまう(甘ったれてしまう)という事を沢山見聞きしているので、当然のことと考えていました。でも、情けは人のためならずの本当の意味は・・・情けは人のためだけではなく、結局自分に戻ってくるという事でした。これって、ボランティア精神の一翼であるような気がします。
今日の肴はシューマイ(冷凍です)
今日の肴はシューマイ(冷凍です)
2006年11月22日
インフルエンザ予防接種しました・・・
今年もインフルエンザのワクチンを接種してもらいました。今年のワクチンは、どういう訳か、頭がボーっとしたり、注射した腕が腫れたりけっこう副作用があるらしいと聞きましたら、私も接種直後からのぼせたようになって来ましたよ頭もボーっとして、普段からボーっとしているのに余計変になりましたさらに、看護師さんの言うには、「禁アルコール」だそうですが、そればっかりは、腹痛で寝ていたり、宿直勤務以外では、全く無理な注文です・・・看護師さんだって、接種した夜に、ビール飲んだってきいたぞー・・・と、言う訳で何時もの晩酌です。メニューは、オデンを仕込むと我が家では3~4日は続きますが、その証拠、オデンは続くよどこまでも~~♪と、デパ地下製「いろいろ野菜のじゃこきんぴら」です。「禁アルコール」のタブーを破っていますから、明日の朝が訪れるのかどうかは保障の限りではない・・・のかなぁ 続きを読む
2006年11月21日
塗装業・・・
今日は一日中塗装をしました。職場の中に、「談話室」呼ぶ娯楽室があります。12畳ほどのスペースですが、天井がやけに高い、古い建物の一部屋の壁が、利用者達の吸うタバコのヤニで、クリーム色だった筈が、いつしか、濃いベージュ色に変色、おまけに、結露したところから雨だれのように、筋が入り誠に恥ずかしいことになって来ましたので、思い切って塗り替えました。来年早々から、利用者の各居室を塗り替えて、室内禁煙にする為の予行演習もかねました。今日一日で何とかしたいと思い、速乾性のペンキを使いましたが、後一日は欲しい位大変でした。いやーけっこう重労働です、塗装業と言うのも・・・明日は私もバンデリンのお世話になるかも知れません。今日の肴は、お寿司にオデン風煮物です。
クタクタだ~~!!
クタクタだ~~!!
Posted by shin344 at
19:10
│Comments(6)
2006年11月19日
吉田新田物語3
前回は吉田新田生みの親「吉田勘兵衛」のことについて述べましたが、今回はもう少し、埋め立て前の入海について、述べたいと思います。
この古地図は、いくぶんデフォルメされていますが、埋め立て前の入海を取り巻く地域のようすが良く分かります。特に周囲に書き込まれた小さい記述に発見があります。この古地図は関東大震災や戦災をかいくぐった、貴重なものです。
入海の一番上、大岡川が入海に流れ込む辺りは、吉野町です。そして一番下には、何回か紹介しました「州干島」の砂州です。
続きを読む
この古地図は、いくぶんデフォルメされていますが、埋め立て前の入海を取り巻く地域のようすが良く分かります。特に周囲に書き込まれた小さい記述に発見があります。この古地図は関東大震災や戦災をかいくぐった、貴重なものです。
入海の一番上、大岡川が入海に流れ込む辺りは、吉野町です。そして一番下には、何回か紹介しました「州干島」の砂州です。
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2006年11月18日
親ってのは・・・・
「親ってのは、死なねぇんだ、良いにつけ、悪いにつけ、残るんだ」。金曜時代劇「慶次郎縁側日記」での森口慶次郎(高橋英樹)の一言、物語の内容に関係なく、涙がポロリと流れましたよ。私の両親はもうとっくに向こう岸へ逝ってますが、良いにつけ、悪いにつけ、生きているんですねー。北原亜以子の小説で使われる言葉は、洒脱でとても奥が深くて素敵です。
今日の肴は、茹で蛸にアボガドのワサビ醤油和えです。アボガドって、魚介類とどうしてこんなに相性が良いのでしょうか? 続きを読む
今日の肴は、茹で蛸にアボガドのワサビ醤油和えです。アボガドって、魚介類とどうしてこんなに相性が良いのでしょうか? 続きを読む
2006年11月18日
吉田新田物語2
吉田新田の大事業に着手したのは吉田勘兵衛です。吉田勘兵衛は慶長16年(1611年)に摂津の国能勢郡歌垣村吉野で生まれました。今の大阪北部と京都府との県境付近の能勢町吉野です。勘兵衛は、その後、江戸(東京)の本材木町に住み、江戸城の材木や石材を商っていました。色々な紆余曲折はあったのでしょうが、彼の肖像を含めてほとんどその辺りは、残ってはいません。そして、おそらく東海道往還の折に、この横浜の入海を聞き及び、立ち寄ったものと思われます。そして、勘兵衛45歳の時にこの入海を埋め立てるという壮大な事業に着手し1669年徳川家綱より「吉田新田」と称され、苗字帯刀を許されましたから、吉田勘兵衛の前はおそらく「吉田屋勘兵衛」だったと私は想像しております。吉田勘兵衛はその後、現、長者町9丁目に居を構えましたが、上の絵、左側の小高い丘は、野毛の丘、そして手前の一角が吉田屋敷です。長者町9丁目に居を構えた訳は、生活に必要な真水がこの辺りから汲み上げることが出来たからと言われます。右側の田んぼの中の小高い場所は、今は陰も形もない「常清寺」です。勘兵衛の創建になります。そして、遠景には、前回お話しした、「州干島」の砂州が望見できます。その位置関係から、現代の地図で見ますと、→の書き込みのように、きっと伊勢佐木町のユニー辺りから望見して描かれた絵だと想像できます。
今では全く、上の絵のような雰囲気は残っておりませんが、歴史の楽しみのひとつに、今では面影すらないところに立って、当時の面影を想像することがあります。そんな意味でも現代の横浜と過去の横浜の両方を同時に楽しめる私は、幸せ者ですよね
今では全く、上の絵のような雰囲気は残っておりませんが、歴史の楽しみのひとつに、今では面影すらないところに立って、当時の面影を想像することがあります。そんな意味でも現代の横浜と過去の横浜の両方を同時に楽しめる私は、幸せ者ですよね
2006年11月17日
亀助、亀子・・・
職場で亀を飼っています。縁日をした時に、金魚と一緒に購入したようですが、この2匹の亀、そろそろ冬眠の季節ですから、暖かい土に埋めて、しまいました。すると、この亀や金魚を観て、餌をやるのが大好きな利用者さんの一人が「俺の友達の亀を何処へやったー!」とうるさいのなんの、冬眠させたよと説得しても何だか納得しないんです。それで、今朝から亀を掘り出して、飼育ケースをセッティングし直して、ヒーターを入れて、半日かかってしまいました・・・亀はせっかく、冬眠体制に入ったのに、起こされて、不満そうな顔をしてましたが、利用者さんが、生き甲斐?を見出したので、それで、良いのかなぁ、と複雑な心境です。
ところで、この亀ですが、私の子供の頃は、その辺に沢山生息してましたが、中々捕まえられない貴重な遊び相手の生き物でした。私は生き物を飼うのがとにかく好きで、亀は20歳頃まで飼い続けていました。そんな経験を踏まえて亀の性質を言いますと、愛くるしくて、愚鈍な外見からは想像もできないような、凶暴性を発揮する事があります。そんな凶暴性を垣間見ますと、うーん、さすが「爬虫類」と思いますよ。
さて、今日の肴ですが、生ハムとスライス玉ネギのマリネ、出汁巻玉子焼き、そしてお寿司、いずれも市販品です。
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ところで、この亀ですが、私の子供の頃は、その辺に沢山生息してましたが、中々捕まえられない貴重な遊び相手の生き物でした。私は生き物を飼うのがとにかく好きで、亀は20歳頃まで飼い続けていました。そんな経験を踏まえて亀の性質を言いますと、愛くるしくて、愚鈍な外見からは想像もできないような、凶暴性を発揮する事があります。そんな凶暴性を垣間見ますと、うーん、さすが「爬虫類」と思いますよ。
さて、今日の肴ですが、生ハムとスライス玉ネギのマリネ、出汁巻玉子焼き、そしてお寿司、いずれも市販品です。
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2006年11月14日
福島での結婚式の続きですが・・・
息子(24歳)も赴任先の北海道から、飛行機と列車を乗り継いで参加しました。一日だけ休暇をもらったとて、トンボ帰りでしたが、私も久し振りに会えてとても嬉しかったですよ。どういう訳か、名刺を寄こしました。親の私に自分の職業を理解して欲しいのでしょうかねー。それで、私も、名刺を渡しました。と、なんという事もない息子の事ですが、実は、ブログに「俺の事書かないでくれ!」って言われてました。関係者が観ているかららしいですが、私は猛反発、「君が勝手に教えた私のURLを勝手に観ているだけなのだから、それには応じられないよ」とね。とは、いうもののそこが親バカ・・・前のURLにはその後一切の掲載をしてません。そして、今日の投稿なんですよ。前のブログからは、家出して来ましたから、息子も、息子の関係者という人も、このURLには入れないと思います・・・・・
今日の肴は、残り物バージョンです。究極の残り物、と言うか、保存食、たまごの、玉子焼きと、やっぱり福島に行く前の作り置きの残りスパゲティーを色々と加工してナポリタン風にして、ウインナーソーセージです。
今日の肴は、残り物バージョンです。究極の残り物、と言うか、保存食、たまごの、玉子焼きと、やっぱり福島に行く前の作り置きの残りスパゲティーを色々と加工してナポリタン風にして、ウインナーソーセージです。
Posted by shin344 at
20:33
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2006年11月13日
肉は腐る直前が美味しい?・・・
福島へ行く前に購入して賞味期限が11月8日の挽肉が、我が家のゴミ箱にパックごと捨ててありました。その時私の頭に閃いたのは、「肉は腐る直前が一番美味しい」・・・一体誰が何時、何処で言ったのかは分かりませんけれど。早速そのパックを拾って、香辛料たっぷりで炒めて、お豆腐を加えて「麻婆豆腐」に変身させました。これだけ火を通せば、お腹の方は多分大丈夫でしょうね。それと、大好きなピータンです。中華街に行くとピータンが常に一個50円以下のコストで売ってますが、このピータンはスーパーの安売りで一個50円、早速お買い上げです。
子供が安易に命を無駄にしていますが、救えないんですかねぇ。責任を感じた大人までが命を落としてますが、人間の命を含めた森羅万象の命を大切にする教育や躾けから始めないとどうもいけないように思えます・・・・・合掌
子供が安易に命を無駄にしていますが、救えないんですかねぇ。責任を感じた大人までが命を落としてますが、人間の命を含めた森羅万象の命を大切にする教育や躾けから始めないとどうもいけないように思えます・・・・・合掌
2006年11月13日
吉田新田物語1
折角、地域密着型のブログに行き会えたのですから、横浜の話題にも触れてみたいと思います。今、横浜市歴史博物館で「吉田新田いまむかし」展が開催されていますが、詳しいことはそちらに譲るとしまして、横浜と言う地名は何で横浜なんだろう、JR横浜近辺と関内近辺とどう違うのか、などを少しづつ語れることが、どこまで出来るかは分かりませんが、やって見たいと思います。まずこの図ですが江戸時代後期の吉田新田がほぼ完成した頃の、当時の図面等は割合にデフォルメされたものが多い中、比較的正確な実測図です。図、上の方のほぼ3角形の、縦横に割り振りされた地域が、吉田新田で、現、吉野町から関内や花園橋方面までが、埋め立てられています。で、ご注目頂きたいのが、図の下の方、現、元町辺りから、桜木町方面にかけて「州干島」と称される砂州が延びていて、その先には、弁天社が祭られていました。今でも、この砂州の上に、神奈川県庁、マリンタワー、神奈川県警、税関など主だった建物が乗っているんですよ。砂州の付け根内側辺りに、畦道のハッキリしたお椀状の場所がありますが、あそこは、横浜村村民が自分達の力で埋め立てた、その名も横浜新田と言います。で、明治初期のドサクサで、畦道を残したままの区割りで建物を造り、中国人を住まわせました。これが、今の中華街です。という事は、この砂州の付け根から元町方面にかけて、浜の横に広がった村「横浜」と言うことで、ここが横浜のルーツとも言える場所なんですねー。ロマンですねー。
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Posted by shin344 at
12:39
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2006年11月12日
初冬の福島にて・・・
甥の結婚式参列の為に初冬の福島県を訪れました。きりっと締まった澄んだ空気、抜けるような空、夕焼け、全てが私にとってはご馳走です。田んぼのあぜ道でしばし呆然と景色を眺めていました。時を忘れた一瞬です。柿は、横浜同様にこちらでもたわわに実っていましたが、「禅寺丸柿」よりも大振りの「福井種?」らしいです。でも、地元の人も今ではほとんど食べないようです。 さていよいよ結婚式です。 続きを読む
Posted by shin344 at
15:12
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2006年11月09日
今日の肴です・・・
宿直明け、若い頃は、引継ぎを終えると、その足で、遊びに吹っ飛んで行きましたが、私位の歳になると、全然ダメです。宿直の前は、明日は伊勢佐木町をブラブラするぞ、旨いものを食いに行くぞと思っても、明けの朝になると、自分の巣箱が目の前にチラチラしてひたすら帰るだけです。でも今日は、息子が飛行機のチケットを予約してくれとうるさい事を言って来ていて、無視すれば良いのですが、そこは親バカの所以で、午後はJALとANAのHPで空席状況を観ている私でした。そうそう、明後日、福島で慶事がありまして北海道の息子も出席するらしいのです。