2006年12月31日

お正月考・・・

いよいよ、来年までのカウントダウンが始まりましたが、へそ曲がりな私は考え込んでしまいました。何で、お正月があるのだろうと・・・いえ、あったら困るとかそういう意味ではなくて世の中の節目を作って、一年を振り返ったり、次の一年の目標を作ったりで大切なんですが、私は日本人の季節感として、どうも旧暦のお正月の方がしっくり来るように思えます。例えば年賀状の「新春のお慶び・・・」、何だかこれから本格的な冬、雪国では、雪雪の煩わしい季節を迎えるにあたり、新春と言うのはどうもしっくり来ないのは私だけでしょうか?いっその事、太陽暦と旧暦のお正月の両方をお正月にして、好きな方か両方でも気に入った方を祝うってどうですか?そうすれば、お正月に一斉に帰省することもないし、色々な機能もストップしないで済みますし・・・そんな荒唐無稽な事を考えていますが、それでも、お正月です。一年間大変にお世話になりありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。皆様が良いお年を迎えられる事と、ご多幸をお祈りします。来年の私の目標は、朝鮮語をマスターする事です。  


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2006年12月30日

年末の喧騒・・・

PCの周辺機器を購入しに電気量販店に行きましたが、ものすごい喧騒です。売る方も買う方も必死の体でした。年末ですから仕方がないですが、散々待たされたらしい中年男性が、店員にクダを巻いていましたよ。「さっきから一体何時まで待たせるんだ!!」とオヤジ。店員「申し訳けございません」。オヤジ「申し訳けないで済むのかよ!」・・・この繰り返しで、別なフロアを見て回って15分位してその場所を通ったらまだ同じ事を繰り返してましたよ。もうちょっと上手な時間の使い方がないのかと呆れました。お昼はその辺のラーメン屋・・・熱烈食堂「すわ」と言うところで、チャーシューメンを頂きました。何となく甘めのスープは、もしかしたら焦がしネギかなにかかなぁ・・・noodle_01
そして、今日の肴は、お正月は毎年これと言ったこともしませんが、カマボコと数の子位は買いました。早速、味見?毒見?で頂きまーす。お正月にはなくなっていたりして・・・ところで、買出しは終わりましたか?お正月食品、特に生鮮食品を購入する際の、ダビンチコードをお知らせしますので、解読してどうぞ・・・・123115です。


解読はこの後


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2006年12月29日

墓参りに行きました・・・

暮れは、大掃除とか、障子張りとか、我が家ではしませんが唯一する事は墓参りです。東京馬込の「万福寺」で、池波正太郎の時代小説にも良く登場する古刹です。

不思議な事がありましたよ。一日か二日位前にどなたかが私のお墓にお参りしてくれたんです。不思議と言いますのは誰がお参りしてくれたのか、全く心当たりがありません。父の姉(伯母)には、90歳なので出歩けないから、私の分までお参りして来てね、と言われてますから違うし、従兄弟達もとても無理だし、母方の親戚とも没交渉ですし・・・相変わらず花立はそのまま、100円ショップの花立に花が供えてありましたので、私は、真ん中の花の寄せ植えにしましたよ。どなただか分かりませんが、お参りして下さってありがとうございます。帰りには荏原町の何時ものヤキトリをしっかりゲット!!ここのヤキトリの美味しさは他で味わえないんです。元々はモツ屋さんらしいのですが、子供が店先でヤキトリを立ち食いしているのも、おお!こいつ等粋な食い方するなーと思わず納得してしまうんですよ。


そして今日の肴は当然このヤキトリです。私はモツがレバー以外はダメなんです。ですから、レバーを沢山と、牛ロースのヤキトリ(ヤキトリのトリはちょっと意味合いが違うかも・・・モツの串焼きとでも言った方が何となく合いそうですね)です。ん~~マイウー、ジューシーface05横のカラフルなのは白菜漬けです。赤いのはサーモンが挟まっています。お店で眺めていて、鮮やかですが添加物がないのが気に入りましたよ。  


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2006年12月28日

「イカした大豆」作り・・・

暮れからお正月にかけての、オヤツですが、糖尿病やら肥満やらが多い利用者さん達に、市販の高カロリーなスナックなどは「なんだかなー」と思っていました。そこで、この前、60㎏頂いた大豆で、自分自身のオヤツを作ることにしました。

先日、職場の看護師さんが作って来てくれた「イカ大豆」・・・実は「イカした大豆」(看護師命名?)と言う名前だそうです。失敗したら「イカれた大豆」なんて・・・コラ!face03まず水洗いした大豆をフライパンで炒ります。この時、火力が強過ぎると先に焦げてしまいますから、細めの火で香ばしい大豆の香りがして、一粒口に含むと、良い風味がするまで炒ります。この時分かった事は、フライパンは厚手のものでじっくりと炒るのが良いようです。
そして、一方では、スルメを大豆の大きさ位に切っておきます。ゲソ(足)も一緒に刻んでしまいます。大豆が良い炒り具合になったら、この刻んだイカを混ぜて大豆と一緒に炒ります。スルメと大豆の香ばしさで、夢心地、脳裏に旨いお酒がチラチラしてました。お陰でこの後の工程を撮影するのも忘れました。ここで醤油を適量、ぶっかけます。大豆とイカと醤油の焦げた風味で、もう放心状態・・・そしてこの後は熱湯をザザーっとかけ回して、ここからが大切、密閉容器の中にこれらを移してしばらく蒸します。この時に天地すると良いです。
これにて、「イカした大豆」の出来上がりー!!熱湯の量を多くすれば、それだけ柔らかくなりますよーface02その内、お試しあれ・・・という事で今日の肴はその「イカした大豆」とイワシの生姜煮、そして玉子焼きです。
昨日から、この前BSで放映した「ロードオブザリング」を録画しておいて、何かと面白くない年末番組の代わりに少しづつ観ています。劇場で観たり、レンタルDVDで観たりで3回目ですが、何度観ても良いですねーface01  


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2006年12月27日

吉田新田物語10

横浜村から目を転じまして、釣鐘新田と呼ばれた吉田新田の上部ですが、ここに不思議な切通しがあります。大岡川を吉田新田により、大岡川と中村川及び今はない吉田川の三川に分かったものの、やはり洪水などの水利の必要性から根岸滝頭村へ水路を造りました。明治3年から3年間をかけて「弥八が谷戸」という中村の一部を切り通して掘割川を根岸の海へ流しました。この3年間の工事を見たイギリス人技師が「日本人は頑固な国民だ。イギリスの技術なら3ヶ月で工事を終わらせる事が出来るのに・・face15」と言わしめたそうです。また、この工事に吉田新田生みの親「吉田家」が係わり、その軒先を傾かせたらしいですが、それもまた因縁ですか・・・ところでこの切通しと掘割川の土砂で吉田新田最後の底なし沼と言われた沼地が埋め立てられました。この埋立地が「埋め地7ヶ町」(寿・松影・扇・不老・万代・翁・蓬莱の7町)です。寿、松影町は日本3大ドヤ(簡易宿泊所)街で有名です。下のマップ初めて使って見ました。赤い矢印のところは中村切通しの今。航空写真も観る事ができますよ。「両方」の中で「滝頭小」の「小」の字の上に乗っているのが、私のショ・ク・バです。もっと+で拡大しますと正確に言いますとそこは私の職場前の公園です。地図をクリックしながら動かすと色々なところが散歩できますのでご案内しますと、私の職場のすぐ下、碁盤の目のような街は大正12年までは「横浜刑務所」があった場所です・・・記事にはあまり関係ないですけれどicon10
  


Posted by shin344 at 11:24Comments(2)歴史

2006年12月26日

クリスマス本番・・・

昨日は12月25日で本当はこの日がクリスマスなんですねー。でも、やっぱり24日夜のイブの方がお祭りらしくて良いです。皆、どのようなクリスマスを過ごしたのかなぁー。老若男女により色々と過ごし方の違いはありましょうが、日本て本当に楽しい国、資本主義に基づいてるなんて硬い事言わないまでも、これだけ色々な宗教行事が入り混じる国も珍しいんではないのでしょうか。深刻な宗教紛争で殺し合っている国の皆さんにも、この日本の寛容をお裾分けしたい。さて、キリスト教のクリスマスが終わって、神道または土着信仰のお正月ですね。その変わり身の鮮やかさもまたすごい!

と、いう事でクイズです「宝船 日本からも 一人乗り」の、日本から宝船に乗る一人とは一体誰でしょうか?

12月25日夕食のクリスマスバージョンです。乏しい生活保護費から、調理員さんが工夫してくれましたが私は宿直でしたので、検食で頂きました。メニューカード付きですが、見え難いので紹介しますと、牛ひれカツとポタージュスープ、フレンチサラダです。利用者さんも「旨かったー!!」って・・・face02  


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2006年12月24日

クリスマスイブの想い出

今晩はクリスマスイブですが、イブ(前夜祭)の方が盛り上がる感じがしますね。私は、中途半端なクリスチャンの家の子でしたからキャロルに引っ張り出されたりして、あまり楽しい思い出はありません。むしろ25日のクリスマス礼拝に、家族で正装して参加する事の方が重要でしたが、私自身は、キリスト教や田舎の俄かクリスチャンがあまり好きではありませんでしたから、イブにケーキを食べて家族で楽しく過ごした方がどれ程楽しいかと、思い続けていました。そして半世紀以上経ったクリスマスイブの今夜、やっぱり別に何もないし(息子も一人立ちしてますし)何もしてません・・・そんなものかも知れませんねー・・・えっ?悟り切ったような事言うな?・・・確かに(汗)

今日の肴はサラダ(ブロッコリー、蛸、エビ、ジャガイモ、玉子)とグレープゼリーです。カメラの機嫌が悪いか、腕が悪いか、全体が暗いですね・・・face07  


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2006年12月23日

横浜全館点灯・・・

いやー!感激!・・・なんですが、丁度17時に大桟橋から「飛鳥Ⅱ」が出航しましたのでそちらの方に気を取られていて、ふっと目を転じましたら、ボツボツ点灯が始ったと言うようなものでした。


私はまた、カウントダウンをして、3、2、1・・・ドドーン!!と点灯するのかと思いましたよ。そんな事したら、ヒューズが飛ぶ(あっ!これは古いですか?)、ブレーカーが落ちると心配したのはまさに杞憂でしたね。


それでも、全館点灯は行われたようですよ。私のそばに、おばあちゃんが来られて私に話しかけて来ました。私の周囲を陣取ったカメラマン達を見て、「今日は一体何があるんですかねー」と聞かれた私、「前のビル全部が点灯するらしいですよ」・・と意気込みましたら、おばあちゃん曰く「あらあらそう?何時もと変わりませんけれどねー」ですって。ククーface10「通」のおばあちゃんゴメン、負けました。



今日の肴は厚揚げにガンモドキと高野豆腐の煮物と、臭くて辛くて堪らないキムチです・・・船  


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2006年12月22日

クリスマスキャロルの想い出

クリスマスですね。毎年クリスマスの時期になると、キャロルの事を想い出します。私は横浜の郊外で少年時代を過ごしましたが、母が、あまり熱心ではないクリスチャンだった関係で、教会に出入りしてました。そして、私は、マリンバが得意でしたから、12月24日イブのキャロルには必ず引っ張り出されていましたよ。寒い中(現代よりもずっと寒かったように思えます)、凍える手で必死にバチを動かして、賛美歌を伴奏したのを思い出します。私自身は、クリスマスのお祭り気分の中、ケーキをぶら下げて通る人の前で、数人で賛美歌を歌って伴奏して、なんて本当は嫌でしたね。今から40年近く前の田舎町、おかしな団体がおかしな歌を唄ってるなんて目で見られていたのも事実です。当時はクリスマスってこうやって過ごすのが本道だ、どんちゃん騒ぎをするのは邪道だなんて自分を慰めていたのもまた、事実です。楽しい方が良いですよね。今ならかっきり割り切れますけれど・・・face02

今日の肴は、あれだけ食べたのに、何故かお寿司です。もう完全に一日のカロリー総量はオーバーでございますpig  


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2006年12月22日

さいたま新都心・・・

さいたま新都心で、研究会がありました。会の方は何とか切り抜けましたものの、



無機質な、コンクリートの塊のような新しい街に2日も居ると、何だかとっても神経が疲れる感じがします。

会の最中はじっと我慢して聞いているだけ、質問されれば答えるだけ、大して気も遣う必要ないですが、それにしても、オッサン達、何であんなにしゃべりたがるんでしょうかねー。どのオッサン(むろん私も立派?にオッサンですよ)も、オレが、オレが・・・のように自己主張したいんですね。私?私も少し自己主張した方が良いんですが、どうせ役人相手に幾らワーワー言っても無駄・・なんて諦めが先に立ってますから、食べ物の事でも思い浮かべながら、こうやって天井からぶら下るシャンデリアでも眺めていました・・・よっ!無気力オヤジ!tako_01

さて夜の宴会です  続きを読む


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2006年12月21日

吉田新田物語9・・・横浜新田考2

ここに2枚の写真があります。文久3年(1863)に来日したイギリスの写真家F・ベアトの撮影したものです。上の画像は、丁度中心部分が横浜新田です。

既に接収(この表現は正しくないかも知れませんが)されて、中国人の家が建築ラッシュです。


そして、上の画像左端と下の画像右端と続きます。吉田新田を望みます。中村川が、吉田橋方面に伸びている様子や、潮入り沼(後の寿町あたり・・・埋め地7か町)の様子が良く分かります。

ところで、横浜村村民が元町へ移住させられたのは、万延2年(1861)と言いますから、開国賛成派の大老「井伊直弼」が桜田門外で暗殺された一年後に当たります。当時は尊王攘夷と言って、外国人の命を狙う浪人がウロウロしていた関係で一日も早く、外国人居留区を定め、関所を厳重にしました。そのような事情があり、幕府と言う弱体化したとは言え絶対権力に対して、懐かしの村を追い出された横浜村村民の無念は想像して余りあると思いますが、不思議に記録は残っていません。ただ、元町と言う命名に「こここそ、本当の横浜村だぞ、元祖だぞ」と唇を噛みながら、自分達の住み慣れた横浜村に次々と外国人商館が建つのを堀川越しに眺めていた村民の心を思うのみです。  


Posted by shin344 at 09:00Comments(2)歴史

2006年12月19日

亀助亀子2

あれから丁度一ヶ月、冬眠から無理やり起こされた亀達は、もうこんなに大きくなりました。熱帯魚用ヒーターが入った温水の中で元気元気・・・食べる食べる・・・3日もすると、水が臭くなりますから、フィルター掃除、水換えは欠かせません。


どちらが亀子でどちらが亀助かは分かりませんが、性格は微妙に違うんです。大きい方は、臆病で、人が近づくとすぐに隠れますが、人が居ないと、良く食べる事。お陰でこんなに大きくなっちゃいました。小さい方は、肝っ玉が太くて、お茶目で遊び回っている内に食べるのも忘れてしまうようなところがあります。さて、どちらが亀子で亀助だと思いますか?
今日の肴、及び亀はフラッシュを焚かないで撮影してみましたが、食べ物は白熱灯で赤みがある時は良いのですが、蛍光灯の光だけですと、ちょっとくすみますね。デジカメの設定をすれば解決するんでしょうが、どうも、私はストロボ頼りなところがあります。今日はウナギ蒲焼、大豆三兄弟・・・湯葉と高野豆腐と納豆です。オニギリは、帰省から帰った老妻の姉が、握ってくれた、朝作った炊き込みご飯のオニギリです。これが一番のご馳走に私には思えますけれど・・・riceball_01  


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2006年12月17日

夢のお話し・・・

昨日、「硫黄島からの手紙」を観たせいか、夢を観ました・・・でも、映像のような悲惨な戦争とは関係ありません。アメリカ人のクラシックドラム奏者の家に呼ばれて、リズムの事について教えて欲しいと言います。教えるのは別にかまわないけれど、私にはこの後仕事があるからと、断りましたら、急に怖い顔をして、「君は、僕の所(家庭)へ来るべきだ!」と言うので、渋々ついて行きました。彼の家で母親を紹介されて、同居人を紹介されましたが、その同居人が、な、何と、音大時代の同級生・・・でも、不思議に当たり前で、「やー、お互い歳を取ったなぁー」なんて笑い合ってます・・・ハハハ・・・それだけ、何のこっちゃですが、そのアメリカ人とその母親が、1部作「父親達の星条旗」に出ていた兵士とその母親だったのが、関連性があると言えばありますけれど・・・・face13

今日は、豆腐(波乗りジョニー)と納豆、名付けて「ナットウフ」と「昆布巻き」です。  


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2006年12月17日

吉田新田物語9・・・横浜新田考1

横浜新田は横浜村の村民が自主的に埋め立てた新田です。この図で分かるかと思いますが、横浜村の人々にとって、内海は決して敵対する存在ではなかったはずです。しかし吉田新田が近くまで迫り、中村川がまともに横浜村に迂回すると、当然、水害や汚水の被害も出ました。そこで村民は、元々耕作地の少ない村の実情から、自主的に埋め立てをしました。それが「横浜新田」です。完成時には150石が収穫できる新田で、きっと横浜村民の誇りだったことでしょう。ところが時代の奔流は、横浜村の村民を元町(元村)や本牧方面に追い出して、外国人居留区とし、村の中心に堀川を通して中村川を排水させた上、横浜新田には、貿易に必要な「買弁」(ばいべん・・通訳や為替レートの調整役)の中国人達に住まわせました。土地の高低さの加減か、急ぎの工事だったのかは分かりませんが、横浜新田の畦道をそのまま「通り」に使用しました。中華街となった今でもこの街割りは、横浜新田の畦道そのままです。街の形がそのまま、今は当時の面影の一片もない「横浜新田」そのものだなんて、ロマンですね中華街  


Posted by shin344 at 18:43Comments(2)歴史

2006年12月16日

「硫黄島からの手紙」観ました・・・

今日は土曜日なので、混むかなぁと思いつつも、「硫黄島からの手紙」を観にいきました。

アメリカ人(C・イーストウッド)の作る日本映画なんぞ、今まで、日本を扱った映画の陳腐さに辟易している私は、問題にもしていませんでしたが、観た後の感想は、意外に陳腐ではありませんでした。
あの様な殺し合いを、普段は一市民として生きている米国と日本の兵士達、何で、行なわなければなかったのか、彼等の生死が、今の私達にどんな意味をもたらしたのか、C・イーストウッドは語りかけているような印象を受けました。彼等と第三者的に言ってますが、私達の父であり祖父である訳です。私の伯父もこの戦争で、駆逐艦もろとも戦死していますが、私はこの死の意味が一体何だったのだろうと問いたくて、ブログなるものを起こしたのは確かな事です。

日本人にとっては、辛いですが、良い映画でした・・・C・イーストウッド監督に拍手です!!  


Posted by shin344 at 20:33Comments(4)映画

2006年12月16日

今日の食生活・・・

週刊誌などに、有名人が一日で食べたものを公表して栄養士が評価するなんて記事がありますが、ちょっと真似をして、今日一日の私の食事です。

まず、朝ご飯ですが、物は「カツ丼」です・・・(栄養士の言葉:ええっ!朝からカツ丼!これは栄養学的にかなり問題ですねー)・・・言い訳:昨日から冷蔵庫にあったトンカツ少々と玉ネギがありましたから、もう、頭の中には「カツ丼」しかなくなりましたよ。ご飯は少なめ、塩分控え目なんですよ・・・pig


そして、お昼は、焼ソバです。キャベツは沢山ありますから、たっぷりキャベツの、塩分控え目の「塩」焼ソバです・・・(栄養士の言葉:見た限りでは、彩りが悪いですねー。炭水化物と塩分とカロリーは相当のものではないですかねー)・・・言い訳:キャベツをフライパンに入り切らない位使いましたよ。熱が通るとキャベツがシナシナになりますから、それ程目立たないのですがねー。油もほんの少ししか使ってませんしね・・・tako_01


そして、今日の夕食(晩酌の肴)ですが、カツ玉と焼ソバ・・・そうそう、朝食と昼食の残りがそのままです・・・(栄養士の言葉:論外ですね。食材の種類が少な過ぎます)・・・言い訳はありませんdog_01

(結論)あなたは、年齢の割には大変偏った食生活を送ってますねー。このままだと大変なことになりますよーーbottom_01  


Posted by shin344 at 19:20Comments(2)日記

2006年12月15日

お気に入りの器・・・

今日の肴は、先日の「イカ大豆」オンリーです。宿直明けは、胃腸の働きが30%位に落ちますから、これで充分・・・しかも、肝臓にも良い、良質のたんぱく質にタウリンで言う事さらになしです。

ところで、イカ大豆の入っている器ですが、祖父母が戦前から使い続けたものです。私の幼い頃、そうですねー、3歳か4歳頃ですが、庭に実をつけた「金柑」を祖母が甘~いジャムにして、この器に満たして、食べさせてくれたのを鮮明に覚えています。甘いものの不足していた生活のなか、ほっぺたが落ちそうに美味しかったのと、器の鮮やかさと重なっていまして、今でも金柑を食べる時やこの器を使う時には途端にあの時代にタイムスリップしてしまいます。祖父母も、とっくに向こう岸へ逝ってしまいましたが、この器は今でも私の大切な宝物です。


  


Posted by shin344 at 19:50Comments(6)日記

2006年12月15日

吉田新田物語8・・・太田屋新田考

横浜の新田史の中で忘れる事が出来ないのが、この「太田屋新田」です。今の弁天通り、太田町、相生町、住吉町、常磐町、横浜スタジアムを含めた尾上町、日本大通りの地を、三河の人「太田屋徳九郎」が開発し、安政3年(1857)には38石2斗の収穫があったと言います。
しかし、後に話しますが、右隣りの後に中華街となる「横浜新田」が、150石の収穫という事ですから、広大な地域の割には、収益も少なかったのです。何故かといいますと、太田屋新田の8割方は、潮流の干満する沼地で、わずか5戸の住民が葦を刈ったり、漁で辛くも生活を立てていたようです。そんな訳で、太田屋徳郎は、600両という大枚を投じても利益がなく、太田町一丁目辺りで「三州瓦」を焼いたりしたものの、生糸密輸事件に係わって獄中で死亡すると言う、吉田勘兵衛とはまた、別な人生を歩んだようです。新田開発と言うのが、資財を投げ打って、土地を豊かにすると言う高邁な精神でだけで成り立っただけではなく、一種の投資と賭けであった事は確かでしょうね。太田屋徳九郎の名前は、「太田町」と言う地名に僅か残っているに過ぎません。次回は「横浜新田」についてですイカリ  


Posted by shin344 at 17:59Comments(2)歴史

2006年12月13日

大豆・・・どうします?

職場に沢山の大豆が寄贈されました。その内の60㎏は我が職場で処理する事としましたが、調理員さんの方がまず根を上げましたね。だって、これだけの大豆を煮豆にして提供するにしても、毎日豆ばっかり食べて居る訳にもいかず、豆腐にするのも、設備がないし、納豆にするのも半端な量ではないし、味噌にするのも時間が掛かるし置き場所もないし、という訳でもっか、使用方法については鋭意検討中です。ところで職場の看護師さんが、この大豆を自宅に運んで凄いものに変身させましたよ。名前は分かりませんが、「イカ大豆」とでも言いましょうか、お酒に良く合うんですよ。今日の肴の主役です。看護師さんに聞いたレシピを書いて置きますね。炒っただけの節分の大豆などはそのままですと美味しくも何でもないんですが、一工夫によりこんなにも美味しくなるんですねー。驚きましたface08

(レシピ)①大豆を炒ります。②大豆の皮がはじけるようになったら、大豆と同じ位に切ったスルメイカを混ぜます。③お醤油で味付けをします。④熱湯を注いでしばらくそのままにして完成・・・柔らかさの調整はお湯の量で行います。

何でもお酒を沢山呑まれた、看護師さんのお父さんから伝授されたとの事です。そのお父さんは、大酒呑みだったらしいのですが、この大豆のお陰で肝臓は丈夫だったらしいですよ・・・おお!私には福音だー!!  


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2006年12月12日

今年の漢字は「命」です・・・

今日のグーグルはこれでした。
うん!素晴らしい! 叫ぶ人・・・キャワワーー!!face10

今年の漢字は「命」でしたが、皇室に生まれた男の子、命を大切にしない人々、戦乱の地で奪われた命、さまざまな事から決まったのでしょうが、私は、食いしん坊なので、食べ物の命という事で考えたいと思います。

私たちの食べるものは全て命です・・・まだ、もう少し遊びたかった子牛かも知れませんし、もっと泳いでいたかった魚かも知れません、そして、地に落ちて芽を出したかった麦かも知れません。その命を頂く時に「頂きます」と私は心を込めて言いますが、そのような事には無頓着、「命」を頂いているなんて全く考えずに当たり前のように食事をしたり、平気で捨てる人が何と多いのでしょうね・・・今日も牡蠣フライ、ポテトサラダ、ニラとレバーの炒め物、命に感謝して頂いてますよ。あっ、もう一つカボチャご飯ですが、食べると呑めなくなりますので、ほんの仏前のご飯分だけ頂きましたよrice_01  


Posted by shin344 at 20:04Comments(0)日記