2008年11月30日
真景横濱今昔・・・クリーニング発祥の地
たかが洗濯、されど洗濯・・・日本人なら、盥(たらい)でゴシゴシなんて普通だったのでしょうが、日本に移り住んだ西欧人たちは、自分達の育った国の洗濯方法でしたことでしょう。当然、洗濯業がここ横浜でも発生することになりました。生麦事件をきっかけにして、横浜にも沢山の英仏の軍隊が駐屯をしましたが、それら軍服を洗濯するクリーニング業が発生しました。
谷戸坂に開業したクリーニング屋です。沢山の洗濯物がはためいていますね・・・こんな歌があるそうです。メロディーまでは分かりませんが・・・
「♪~西洋洗濯 どこからはやる よこはま 谷戸の坂」
正面右側の山は「フランス山」のフランス軍、その上の方、「港の見える丘公園」辺りはイギリス軍が駐屯してこのクリーニング屋が一手に洗濯を引き受けたそうです・・・
画像中央に煙突が見えますか?あの煙突は前にアップした「ヨコハマ アイス ワークス」のものです・・・
現在の谷戸坂から、上記クリーニング屋のあった辺りを望みました。向かって右側はむろん今でもフランス山、上の画像で左側のこんもりした森は「増徳院」の境内ですが今はこの増徳院は平楽の地に遷宮しています・・・
正面にちょっと青いブルーシートのマリンタワーが見えますが、今リフォーム中です・・・
ちなみに、谷戸坂の下、上の写真の真ん中辺りフランス山の裾に、この「クリーニング発祥の地」の記念碑があります。
谷戸坂に開業したクリーニング屋です。沢山の洗濯物がはためいていますね・・・こんな歌があるそうです。メロディーまでは分かりませんが・・・
「♪~西洋洗濯 どこからはやる よこはま 谷戸の坂」
正面右側の山は「フランス山」のフランス軍、その上の方、「港の見える丘公園」辺りはイギリス軍が駐屯してこのクリーニング屋が一手に洗濯を引き受けたそうです・・・
画像中央に煙突が見えますか?あの煙突は前にアップした「ヨコハマ アイス ワークス」のものです・・・
現在の谷戸坂から、上記クリーニング屋のあった辺りを望みました。向かって右側はむろん今でもフランス山、上の画像で左側のこんもりした森は「増徳院」の境内ですが今はこの増徳院は平楽の地に遷宮しています・・・
正面にちょっと青いブルーシートのマリンタワーが見えますが、今リフォーム中です・・・
ちなみに、谷戸坂の下、上の写真の真ん中辺りフランス山の裾に、この「クリーニング発祥の地」の記念碑があります。
2008年11月28日
真景横濱今昔・・・宝生寺Ⅱ
今日は、宝生寺のある堀の内の丘に登って見ました。「堀の内」と言う地名は各地にありますが、権力者の城や居館や陣屋があった場所を指しますから、ここには、平子氏の居館があったに違いないと目星をつけた訳です・・・
眼下に見える森が宝生寺のある原生林です・・・もしかしたらこの丘に居館を設けていたかも知れない平子氏にとっては、絶好の景色だったと思いますよ。いえ、絶景のみではなくて・・・
遠くにランドマークタワーが見えてます・・・
正面遠くにブルーのシートがかかった工事中のビルがある丘が、平楽(たいらく=へいらく)の地で、堀割川掘削の時にこの宝生寺の境内と切り離されました・・・
絶景のみでなく・・・弱肉強食の戦国時代においては、このような周囲が見渡せる場所と言うのは、何にも代え難いと思います。その意味では、これだけ自分の領地を見渡せる場所は中々無かったかも知れません。居館は平楽の地にあったとしても、私が平子氏だったらここに必ず見張り所は置くと思います・・・
Danbeさんのお陰で、楽しい夢を見ることができました・・・
眼下に見える森が宝生寺のある原生林です・・・もしかしたらこの丘に居館を設けていたかも知れない平子氏にとっては、絶好の景色だったと思いますよ。いえ、絶景のみではなくて・・・
遠くにランドマークタワーが見えてます・・・
正面遠くにブルーのシートがかかった工事中のビルがある丘が、平楽(たいらく=へいらく)の地で、堀割川掘削の時にこの宝生寺の境内と切り離されました・・・
絶景のみでなく・・・弱肉強食の戦国時代においては、このような周囲が見渡せる場所と言うのは、何にも代え難いと思います。その意味では、これだけ自分の領地を見渡せる場所は中々無かったかも知れません。居館は平楽の地にあったとしても、私が平子氏だったらここに必ず見張り所は置くと思います・・・
Danbeさんのお陰で、楽しい夢を見ることができました・・・
2008年11月27日
横浜トリエンナーレ2008・・・
新港埠頭にある新港ピアの「横浜トリエンナーレ2008」へ行って来ました。ここの他には、赤レンガ倉庫だとか、三渓園、運河パークなどでも行われている大きな新芸術のイベントです・・・はっきり言って難しかったのですが、心にピンとはね返ってくる作品もありました。どんな事を表現したかったのだろうか?という、ガイダンスは一切無しで鑑賞したのですが、何回か事前調査をしてから観賞するのも一手かも知れませんが、そうなるとまた、それはちょっと違うような気もしますけれど・・・
気になったのがこの作品、ミケランジェロ・ビストレットなんですが、思い切り破壊した高級鏡が、壁面に何枚も設置してあります・・・割れたガラス片もそのままなんです。
それら破壊された鏡の中にたった一枚の破壊されていないままのものがあり、その前には、鏡を破壊したであろうハンマーが置かれていましたよ・・・
破壊された鏡の全てには真実で無いものでも映っていてそれを破壊したのですが、この無傷の鏡の前でふと、真実を見つけたのか、どうしてもハンマーを振るえなかったのか、観ている人が、鏡に映るものが真実でないのなら、その手で、そのハンマーで打ち砕くように仕向けているのか・・・
私は無性に、あのハンマーを振るって鏡を破壊したい欲求に駆られましたけれど・・・・
そして、もう一つの作品はこれ、シルバ・グブタ、子ども達が全て、いわゆる「見ざる、聞かざる、言わざる」をしている写真です・・・一体全体、何でも言い聞き見るべき子ども達の口を目を耳を閉ざしているのは何なんでしょうか?・・・と考えさせられる作品でした。そういうものがあってはならないと言っているような気がしましたけれど・・・
一緒に行った利用者さんに「面白かった?」と聞いたら「全然面白くなかったよ・・・心理テストを受けているようで気分が悪かった」ですって。うーん、それも一理はあるなぁ・・・と、しきりに考えさせられました・・・
気になったのがこの作品、ミケランジェロ・ビストレットなんですが、思い切り破壊した高級鏡が、壁面に何枚も設置してあります・・・割れたガラス片もそのままなんです。
それら破壊された鏡の中にたった一枚の破壊されていないままのものがあり、その前には、鏡を破壊したであろうハンマーが置かれていましたよ・・・
破壊された鏡の全てには真実で無いものでも映っていてそれを破壊したのですが、この無傷の鏡の前でふと、真実を見つけたのか、どうしてもハンマーを振るえなかったのか、観ている人が、鏡に映るものが真実でないのなら、その手で、そのハンマーで打ち砕くように仕向けているのか・・・
私は無性に、あのハンマーを振るって鏡を破壊したい欲求に駆られましたけれど・・・・
そして、もう一つの作品はこれ、シルバ・グブタ、子ども達が全て、いわゆる「見ざる、聞かざる、言わざる」をしている写真です・・・一体全体、何でも言い聞き見るべき子ども達の口を目を耳を閉ざしているのは何なんでしょうか?・・・と考えさせられる作品でした。そういうものがあってはならないと言っているような気がしましたけれど・・・
一緒に行った利用者さんに「面白かった?」と聞いたら「全然面白くなかったよ・・・心理テストを受けているようで気分が悪かった」ですって。うーん、それも一理はあるなぁ・・・と、しきりに考えさせられました・・・
2008年11月26日
真景横濱今昔・・・宝生寺
先日宝生寺のことをブログアップしましたが、Danbesさんのブログに大変面白い記事を発見しました。それは、この宝生寺を菩提寺とした室町時代から戦国時代を駆け抜けた「平子(たいらこ)氏」のことでした。
平子氏は久良岐郡平子郷(現横浜市の南区磯子区中区)を支配した鎌倉御家人の一人でしたが、その一族は遠く山口県や関東管領上杉氏に付き従って越後へ行ったりしてそれぞれの地で活躍しています。
Danbesさんの職場近くに「平楽」と言う地名があり、大抵、鎌倉の御家人が支配した土地には、森氏なら森、都筑氏なら都筑、師岡氏なら師岡(もろおか)、鴨志田氏なら鴨志田、奈良氏なら奈良と地名が残ることが多いのに、平子と言う地名はないんですよね・・・
それでDanbesさんは「平楽」がもしかしたら平子氏の残した地名かも知れないと、平楽の古老を訪ねられたそうです・・・その行動力や恐るべし・・・結果、今は平楽(へいらく)と呼び慣わしているこの地が、実は「たいらく」⇒「たいらこ」(平子)の残した地名と帰結されたそうです。着想も考察も素晴らしい!!トロイ遺跡のロマンはこういう発想から生まれているんですよね・・・
この事が何故「横濱今昔」と関連があるのかと言いますと、この宝生寺には「横浜」と言う地名が載る現存最古の文書が残されているからなんです・・・まずはその文章を書き下しますとこう言う事です・・・
武州久良(くらき)郡横浜村薬師堂免田畠等事、田大二百文(歩)、畠二百文、由緒に任せて正願の儀に依りて永代を限って寄進するところなり。然らば由緒に任す上は後世の代官は是非の沙汰に及ぶべからず【要するに、横浜村の田200歩と畠200歩を由緒に乗っ取って寄進するので、後世の代官共はとやかく言うんじゃない!・・・てな、ところでしょうか】・・・そしてこの文書を発行しているのは、比留間 範数(花押)と、市河 季氏(花押)ですが、この比留間、市河さんは平子氏の家人と言われています・・・これで、横浜と平子氏がばっちり一致しました・・・
平子氏は久良岐郡平子郷(現横浜市の南区磯子区中区)を支配した鎌倉御家人の一人でしたが、その一族は遠く山口県や関東管領上杉氏に付き従って越後へ行ったりしてそれぞれの地で活躍しています。
Danbesさんの職場近くに「平楽」と言う地名があり、大抵、鎌倉の御家人が支配した土地には、森氏なら森、都筑氏なら都筑、師岡氏なら師岡(もろおか)、鴨志田氏なら鴨志田、奈良氏なら奈良と地名が残ることが多いのに、平子と言う地名はないんですよね・・・
それでDanbesさんは「平楽」がもしかしたら平子氏の残した地名かも知れないと、平楽の古老を訪ねられたそうです・・・その行動力や恐るべし・・・結果、今は平楽(へいらく)と呼び慣わしているこの地が、実は「たいらく」⇒「たいらこ」(平子)の残した地名と帰結されたそうです。着想も考察も素晴らしい!!トロイ遺跡のロマンはこういう発想から生まれているんですよね・・・
この事が何故「横濱今昔」と関連があるのかと言いますと、この宝生寺には「横浜」と言う地名が載る現存最古の文書が残されているからなんです・・・まずはその文章を書き下しますとこう言う事です・・・
武州久良(くらき)郡横浜村薬師堂免田畠等事、田大二百文(歩)、畠二百文、由緒に任せて正願の儀に依りて永代を限って寄進するところなり。然らば由緒に任す上は後世の代官は是非の沙汰に及ぶべからず【要するに、横浜村の田200歩と畠200歩を由緒に乗っ取って寄進するので、後世の代官共はとやかく言うんじゃない!・・・てな、ところでしょうか】・・・そしてこの文書を発行しているのは、比留間 範数(花押)と、市河 季氏(花押)ですが、この比留間、市河さんは平子氏の家人と言われています・・・これで、横浜と平子氏がばっちり一致しました・・・
2008年11月24日
ランチ製作・・・
リフォームも終り、キッチンの使い心地も良くなって来ましたので、久し振りに作って見ました。メニューは?
スパゲッティミートソースです・・・この一皿を食べ終わるのはせいぜい15分。でも調理や下ごしらえは一時間半、これって何だか割りに合いませんが、プロの調理人や主婦は何時も感じているんでしょうかね・・・
下準備はこの通り、内容物は、トマトのザク切り沢山と玉ネギ、人参、マッシュルーム、ニンニクのみじん切り(量は全く頓着していません)・・・
そして忘れてならないのが、ミート(合挽き肉)を良く炒めます・・・・良く炒めたら準備した野菜類を全部放り込んでまた炒めます。トマトから充分な水分が出るので、補給は要りませんが、味にコクを出すために私は更にトマトジュースを沢山加えます・・・
そうそう、油は挽肉からも出るのですが、挽肉から出る油はあまりご機嫌なものではありませんので、私は、イタリア「ソル・レオーネ」社製、ガーリック&チリ・フレーバーのオリーブオイルを使います・・・
ミートソースのできばえは、見栄えはダメ(パルメザンチーズは固まってるし、ミートソースらしくないし)、でも味は、私好みに仕上がりました・・・
スパゲッティミートソースです・・・この一皿を食べ終わるのはせいぜい15分。でも調理や下ごしらえは一時間半、これって何だか割りに合いませんが、プロの調理人や主婦は何時も感じているんでしょうかね・・・
下準備はこの通り、内容物は、トマトのザク切り沢山と玉ネギ、人参、マッシュルーム、ニンニクのみじん切り(量は全く頓着していません)・・・
そして忘れてならないのが、ミート(合挽き肉)を良く炒めます・・・・良く炒めたら準備した野菜類を全部放り込んでまた炒めます。トマトから充分な水分が出るので、補給は要りませんが、味にコクを出すために私は更にトマトジュースを沢山加えます・・・
そうそう、油は挽肉からも出るのですが、挽肉から出る油はあまりご機嫌なものではありませんので、私は、イタリア「ソル・レオーネ」社製、ガーリック&チリ・フレーバーのオリーブオイルを使います・・・
ミートソースのできばえは、見栄えはダメ(パルメザンチーズは固まってるし、ミートソースらしくないし)、でも味は、私好みに仕上がりました・・・
2008年11月23日
真景横濱今昔・・・神奈川宿
来年6月で横浜開港150周年を迎えますが、当初開港を幕府に迫ったのはここ神奈川だったようです・・・しかし、日本の大動脈であり、攘夷浪人達の攻撃やら、外国人がその軍事力を以って江戸へ攻撃を仕掛けるにはまさにうってつけと思われた・・・将軍家の咽喉元に短刀をつき付けられたような恐怖感を幕府は抱きました。それで、この東海道から山一つ隔てた辺鄙な横浜村が開港の地に選ばれたことは良く知られたことです。それでも、水利の便はここ神奈川よりも横浜の方が良いことが分かり、長崎の出島のように辺鄙な場所に隔離されるように思い、反対していた外国も横浜で納得をしたと言う訳なんです・・・
前置きが長くなってしまいましたが、これは有名な広重の描いた「神奈川宿」の図です・・・浮世絵なので多少のデフォルメはありますが、ほぼ正確な神奈川宿の様子が分かります。
これは幕末の頃の神奈川宿です・・・・
これは、現代の神奈川宿です・・・当時の面影は全くありませんが地理的関係は上の浮世絵と同じです。左側は今ではすっかり遠くになってしまいましたが海になります・・・
そして幕末の神奈川宿の右手に見えている小高い丘は高島山(現高島台)ですが・・・
そして、明治初期にこの高島山から望んだ神奈川駅(現横浜駅)です・・鉄道を通す為に入り江を埋め立てたのが良く分かりますね・・・
今の同じ高島台から横浜駅を望んで見ましたが、これ。この通り横浜駅は何処にあるのか分かりませんね・・・真ん中辺に小さく「そごうデパート」が見えますか?あそこが横浜駅の場所なんです・・・
一番上の広重の浮世絵に戻りますと、大きな千石船や小さな舟が連なって浮んでいる海の辺りが今の横浜駅の場所になるんですね・・・
前置きが長くなってしまいましたが、これは有名な広重の描いた「神奈川宿」の図です・・・浮世絵なので多少のデフォルメはありますが、ほぼ正確な神奈川宿の様子が分かります。
これは幕末の頃の神奈川宿です・・・・
これは、現代の神奈川宿です・・・当時の面影は全くありませんが地理的関係は上の浮世絵と同じです。左側は今ではすっかり遠くになってしまいましたが海になります・・・
そして幕末の神奈川宿の右手に見えている小高い丘は高島山(現高島台)ですが・・・
そして、明治初期にこの高島山から望んだ神奈川駅(現横浜駅)です・・鉄道を通す為に入り江を埋め立てたのが良く分かりますね・・・
今の同じ高島台から横浜駅を望んで見ましたが、これ。この通り横浜駅は何処にあるのか分かりませんね・・・真ん中辺に小さく「そごうデパート」が見えますか?あそこが横浜駅の場所なんです・・・
一番上の広重の浮世絵に戻りますと、大きな千石船や小さな舟が連なって浮んでいる海の辺りが今の横浜駅の場所になるんですね・・・
2008年11月21日
宝生寺・・・
この宝生寺、本当に大好きなお寺です・・・毎日の出勤の途中で立ち寄りますものの、大した伽藍がある訳ではないし、特にものすごいものがある訳でもありませんし・・・それでも何か惹き付けられます・・・
この階段を上がった境内では、ご住職の奥様が、市井の花を普通に植えられて、きちんとでは無く、しかし、ズボラでもなく手入れされています。この境内から、山道を抜けて、堀割川の掘削で切り割られた場所へぬけられます。
この宝生寺には、「横濱村」と記された室町時代最古の文書が残されているそうですし、関東大震災で、いわれなく犠牲になった朝鮮人たちの慰霊碑もあります・・・
古いお寺なんですねー・・・境内の山道にはこういった、無縁仏さまが見られます・・・
この階段を上がった境内では、ご住職の奥様が、市井の花を普通に植えられて、きちんとでは無く、しかし、ズボラでもなく手入れされています。この境内から、山道を抜けて、堀割川の掘削で切り割られた場所へぬけられます。
この宝生寺には、「横濱村」と記された室町時代最古の文書が残されているそうですし、関東大震災で、いわれなく犠牲になった朝鮮人たちの慰霊碑もあります・・・
古いお寺なんですねー・・・境内の山道にはこういった、無縁仏さまが見られます・・・
2008年11月19日
柿渋色・・・
「団十郎茶」と言いまして、歌舞伎、市川家(成田屋)のシンボルカラーでもありますこの柿渋色ですが、実際の柿渋色って、この4枚の柿の葉っぱの色が微妙に織り込まれた色彩のように思えます・・・
庭の柿の葉が落葉する寸前にこんな良い色になってきます・・・
このところの寒さで一気に色付いて来ました・・・なんて、紅葉前線のお知らせのようですが・・・
何と言う奥深い見事な色彩なんでしょうか・・・
私は世界のどの民族がどんな色彩を好むのかは知りませんが、この柿渋色を美しいと思うのは、もしかしたら日本人だけなのかも知れません・・・むろん同じ日本人同士でも好みがありますけれど、私は大好きな色です。むしろ、この葉っぱのように柿渋の元素が入り混じっているのが、本当に良い味わいを感じます・・・
いよ!成田屋!!
庭の柿の葉が落葉する寸前にこんな良い色になってきます・・・
このところの寒さで一気に色付いて来ました・・・なんて、紅葉前線のお知らせのようですが・・・
何と言う奥深い見事な色彩なんでしょうか・・・
私は世界のどの民族がどんな色彩を好むのかは知りませんが、この柿渋色を美しいと思うのは、もしかしたら日本人だけなのかも知れません・・・むろん同じ日本人同士でも好みがありますけれど、私は大好きな色です。むしろ、この葉っぱのように柿渋の元素が入り混じっているのが、本当に良い味わいを感じます・・・
いよ!成田屋!!
2008年11月17日
真景横濱今昔・・・中村
吉田新田がまだ埋め立てられない頃、野毛から太田村へ繋がる山と、この中村や石川村、蒔田村の山に挟まれた内海は、満々と海水を蓄えた美しいものだったと思います・・・内海沿岸の中村もきっとそうだったのでしょうね・・・横浜村や石川村と蒔田村の間(中)の、中村・・・まんまですけれど、現代では村では無くなって中村町になっています・・・
吉田新田の埋め立て進み、中村の前には中村川が白砂青松の海岸に変わって流れたのでしょう・・・それがこの古写真です。遠くに白く見える崖は、吉田新田を埋め立てるのに削られた山手大丸の地だと思われます・・・
現在の中村町からは、そんな面影すらないですね・・・手前の川が中村川です・・・ 続きを読む
吉田新田の埋め立て進み、中村の前には中村川が白砂青松の海岸に変わって流れたのでしょう・・・それがこの古写真です。遠くに白く見える崖は、吉田新田を埋め立てるのに削られた山手大丸の地だと思われます・・・
現在の中村町からは、そんな面影すらないですね・・・手前の川が中村川です・・・ 続きを読む
2008年11月16日
真景横濱今昔・・・堀割川中村川分岐点
この写真は以前アップしたことがありますけれど、今度は「文明開化期の横浜・東京」という本から引用しました・・・堀割川と中村川の分岐点です・・・
当時はこのようにはっきりと分岐点が見えたのですが、今はもう見えないだろうと思い、それでも頑張って坂を登りました・・・
この通り、やっぱり川は見えませんでした・・・
そこで、大体中村川の流れる位置と掘割川の位置を点線で書き込んで見ました。画像右側で後方へ蛇行しているのが中村川・・・高速道路の下に位置します。左側へ抜けているのが堀割川です・・・
当時はこのようにはっきりと分岐点が見えたのですが、今はもう見えないだろうと思い、それでも頑張って坂を登りました・・・
この通り、やっぱり川は見えませんでした・・・
そこで、大体中村川の流れる位置と掘割川の位置を点線で書き込んで見ました。画像右側で後方へ蛇行しているのが中村川・・・高速道路の下に位置します。左側へ抜けているのが堀割川です・・・
2008年11月15日
本日のランチ・・・
今日のランチは自家製ラーメンです・・・モヤシ、チャーシュー、メンマ、煮玉子、ヤキトリのツクネ、海苔の「全部乗せ」
この「全部乗せ」の全部とは、冷蔵庫にあったラーメンの上に乗せたらきっと美味しいだろうなと思うもの全部の意味があります・・・自我自讃ですが美味しい!!・・・
この「全部乗せ」の全部とは、冷蔵庫にあったラーメンの上に乗せたらきっと美味しいだろうなと思うもの全部の意味があります・・・自我自讃ですが美味しい!!・・・
2008年11月14日
真景横濱今昔・・・不動坂及び本牧
不動坂・・・横濱今昔を始めましてから、色々な古写真に触れましたが、「不動坂」を取り上げた写真がかなり多いのに気付きました。横浜市営バスで移動する時、「不動坂下」「不動坂上」と何の気なしに通り過ぎていましたが、この不動坂は眺望の良さから、特に幕末から明治時代の横浜居留外国人には人気の遊歩道だったらしいです。不動坂の坂上には、ユーミンの歌で有名な「ドルフィン」もありますが、今では、ただの坂です・・・その辺りを散策して、何とか人気絶頂だった頃の不動坂の面影を辿ろうとしましたが、かなり難しい作業でした・・・
これは、明治20年の不動坂及び本牧方面の地図です。このページの最後にマップを掲示しますから、どうぞ、比較して見て下さい。不動坂はこの地図では良く見えないかも知れませんが、今もそのままです・・・不動坂の下には、この前アップした「白滝不動」がありますから、それが不動坂の名前の由来です・・・
根岸競馬場で楽しんだ人々が、この本牧岬の眺望が素晴らしい不動坂を楽しんだのでしょうか・・・
これは、明治時代に「間門(まかど)」から不動坂方面を望んだ古写真です・・・この古写真を基に、間門から山道を辿りこの写真のような痕跡の見える所を探しましたが、多分このような眺望を得る為には、よそ様のお庭や屋上にズカズカと入り込むしかなさそう。さすがにそれはね・・・
提供:長崎大学附属図書館
その不動坂でのワンショットです。露出時間の長い当時の写真ですから、きっと車夫もあの母子も長い時間ポーズを取ったのでしょうね・・・
提供:長崎大学附属図書館
現代の不動坂はこのように何の変哲もない、数多い横浜の坂のひとつに過ぎません・・・この坂で一体何を感じたら良いのかなどと思いますが、古き良き不動坂を古い写真で知っている私に取りましては、そこここが、何か私が昔から知っている、DNAに刻まれているような錯覚?を感じます・・・
これは、明治20年の不動坂及び本牧方面の地図です。このページの最後にマップを掲示しますから、どうぞ、比較して見て下さい。不動坂はこの地図では良く見えないかも知れませんが、今もそのままです・・・不動坂の下には、この前アップした「白滝不動」がありますから、それが不動坂の名前の由来です・・・
根岸競馬場で楽しんだ人々が、この本牧岬の眺望が素晴らしい不動坂を楽しんだのでしょうか・・・
これは、明治時代に「間門(まかど)」から不動坂方面を望んだ古写真です・・・この古写真を基に、間門から山道を辿りこの写真のような痕跡の見える所を探しましたが、多分このような眺望を得る為には、よそ様のお庭や屋上にズカズカと入り込むしかなさそう。さすがにそれはね・・・
提供:長崎大学附属図書館
その不動坂でのワンショットです。露出時間の長い当時の写真ですから、きっと車夫もあの母子も長い時間ポーズを取ったのでしょうね・・・
提供:長崎大学附属図書館
現代の不動坂はこのように何の変哲もない、数多い横浜の坂のひとつに過ぎません・・・この坂で一体何を感じたら良いのかなどと思いますが、古き良き不動坂を古い写真で知っている私に取りましては、そこここが、何か私が昔から知っている、DNAに刻まれているような錯覚?を感じます・・・
2008年11月13日
モーツァルトとブラームス・・・
クラリネット協奏曲を聴き比べる機会がありました・・・
完全なる私見ですけれど・・・感想を・・・
ブラームス、美しく悲しく、素晴らしい哲学的な音色です。クラリネットの響きが、同音程のビオラたちと相まって、まるで、丁寧に縫い上げた絹のような快さ、心にしっかりと突き刺さります・・・
苦悩しながらも真摯に生きる大人の心の綾を感じられます・・・
モーツァルト、クラリネットの響きが、まるでクラリネットの妖精が舞っているような、楽しい、清々しい気持になれます。周りを固める楽器の音色よりも、一歩前に出たクラリネット、「能」で言う「シテ」を彷彿とさせます・・・・
天才が才能のままの、見事な、天真爛漫な生き方を愛でているような気分に、なれました・・・
完全なる私見ですけれど・・・感想を・・・
ブラームス、美しく悲しく、素晴らしい哲学的な音色です。クラリネットの響きが、同音程のビオラたちと相まって、まるで、丁寧に縫い上げた絹のような快さ、心にしっかりと突き刺さります・・・
苦悩しながらも真摯に生きる大人の心の綾を感じられます・・・
モーツァルト、クラリネットの響きが、まるでクラリネットの妖精が舞っているような、楽しい、清々しい気持になれます。周りを固める楽器の音色よりも、一歩前に出たクラリネット、「能」で言う「シテ」を彷彿とさせます・・・・
天才が才能のままの、見事な、天真爛漫な生き方を愛でているような気分に、なれました・・・
2008年11月09日
今日のランチ・・・
近くの中華料理店でのCランチ・・・チャーシュー麺と炒飯のセット・・・
只今、私はダイエット中・・・給料は上がらないのに、不健康数値だけ上がり放題でしたから、今年2月以来、無理はせずに、自分に甘いダイエットを開始して9ヶ月で10kg減です。チャーシュー麺に炒飯なんて、ダイエットの敵のようなメニューですが、時々こうやって、私自身に褒美を与えないと、身体は軽くなっても、精神が重く鬱々としてしまいますからね・・・と、勝手な理屈をつけていますが、旨いものは旨いのですから仕方がないです・・・
只今、私はダイエット中・・・給料は上がらないのに、不健康数値だけ上がり放題でしたから、今年2月以来、無理はせずに、自分に甘いダイエットを開始して9ヶ月で10kg減です。チャーシュー麺に炒飯なんて、ダイエットの敵のようなメニューですが、時々こうやって、私自身に褒美を与えないと、身体は軽くなっても、精神が重く鬱々としてしまいますからね・・・と、勝手な理屈をつけていますが、旨いものは旨いのですから仕方がないです・・・
2008年11月09日
真景横濱今昔・・・私の一番好きな一枚
色々な古写真を目にしていますが、何度観ても心打たれるのが、この一枚です。1887年に鉄の橋となったばかりの谷戸橋での一瞬です・・・正面の大きな三角屋根は旧ヘボン邸です・・・
外国人の女の子が元気に輪回しをしています・・・後ろから、お母さんでしょうね、「気を付けるのよ」とでも言っているのかも知れません。お母さんと一緒に何処かへ買物にでも行くのでしょうか?あの女の子は何処の国の子どもなんでしょうか?誰と結婚したのでしょうか?どんな人生を送ったのでしょうか?・・・
外国人の女の子が元気に輪回しをしています・・・後ろから、お母さんでしょうね、「気を付けるのよ」とでも言っているのかも知れません。お母さんと一緒に何処かへ買物にでも行くのでしょうか?あの女の子は何処の国の子どもなんでしょうか?誰と結婚したのでしょうか?どんな人生を送ったのでしょうか?・・・
2008年11月08日
スキャナー付きプリンター・・・
昨日に引き続き・・・「いい日 旅立ち」・・・♪ああ~ 日本の何処かに 私を待ってる「物」がある~~♪ という事で、自然の流れのまま、パソコン屋に立ち寄りましたら、このスキャナー付きのプリンターが、まるで「私を買って下さい」って、別に変な意味ではなくて、訴えかけて居るように思えましたよ・・・
まだまだ、「真景横濱今昔」には未練がありますので、色々な書物からの画像もきっとスキャナーがあれば、拾えるのだろうなとは、思っていました・・・
プリンターを駆使してみましたけれど、10年前のプリンターとは全く違います・・・どんどんプリントが出来るんです・・・スキャニングもスイスイといきますし・・・私の母は死ぬ前に良く口にした言葉は、世の中の進化に対して「本当、驚いちゃうわねー」・・・ホント驚いてしまいます・・・
まだまだ、「真景横濱今昔」には未練がありますので、色々な書物からの画像もきっとスキャナーがあれば、拾えるのだろうなとは、思っていました・・・
プリンターを駆使してみましたけれど、10年前のプリンターとは全く違います・・・どんどんプリントが出来るんです・・・スキャニングもスイスイといきますし・・・私の母は死ぬ前に良く口にした言葉は、世の中の進化に対して「本当、驚いちゃうわねー」・・・ホント驚いてしまいます・・・
2008年11月08日
最高の人生の見つけ方・・・・
久し振りのDVDを観ました・・・「最高の人生の見つけ方」・・・片や油にまみれて45年間(モーガン・フリーマン)、そして、病院経営などで大富豪のジャック・ニコルソン、この二人がガンで余命数ヶ月と宣告を受けて病室が一緒になることから物語りは始まります。
個性的な二人の男優ですが、もうもう二人ともその個性そのもの、理知的で禁欲的なモーガン・フリーマン、家族に囲まれて居るが本当の幸せが他にあると思っています。
拝金主義で快楽主義、そして頑迷でさえあるジャック・ニコルソン、本当は絶縁した愛する娘と孫娘に逢いたいのに、我を張って逢おうとしません。
そんな二人が、死ぬまでに「したい事」の二人のメモを元に「最高の人生」を見つけに旅にでるんです・・・
さて、二人は何に「最高の人生」を見つけたのでしょうか?
私が余命6ヶ月の時、どんな人生を思うのでしょうか・・・
個性的な二人の男優ですが、もうもう二人ともその個性そのもの、理知的で禁欲的なモーガン・フリーマン、家族に囲まれて居るが本当の幸せが他にあると思っています。
拝金主義で快楽主義、そして頑迷でさえあるジャック・ニコルソン、本当は絶縁した愛する娘と孫娘に逢いたいのに、我を張って逢おうとしません。
そんな二人が、死ぬまでに「したい事」の二人のメモを元に「最高の人生」を見つけに旅にでるんです・・・
さて、二人は何に「最高の人生」を見つけたのでしょうか?
私が余命6ヶ月の時、どんな人生を思うのでしょうか・・・
2008年11月07日
不思議な縁(えにし)・・・
日比谷で会合があっての帰り道、頭に「フッ」思い浮かんだのは、「神保町の古本街に行こう」と言う考え・・・実は、最近は調べ物については図書館かインターネット、神保町は15年位行った事がありませんので、すっかりご無沙汰でしたから、思い浮かんだのがまず不思議・・・そして、神保町駅で降りて、初めて見た古本屋の2階に真っ直ぐ登ったのも不思議・・・私は食べ物屋でも何屋でも2階に登るとか地下に降りるとかが何だか嫌いですけれど、今日は迷わず登りました・・・
そして、階段を登って、またまた「フッ」と眼の前の本棚を見ると、最初に目に入ったのがこれ。そのまた不思議・・・河井継之助・・・もちろんもう絶版ですから、お値段は定価より高かったですが、迷わず購入。本がずっと私を待っていた?
「真景横濱今昔」もそろそろ卒業して、私の祖先と共に戊辰戦争で戦死した河井継之助の事と、その河井と交流があったのか、なかったのかのロマンを感じさせるスイス人、ジェームス・ファブル・ブラントの事をもっと掘り下げて見たい気持の導火線に今火が着いたところですから、この不思議はきっと、何かの縁のなせる技と捉えました・・・
そして、階段を登って、またまた「フッ」と眼の前の本棚を見ると、最初に目に入ったのがこれ。そのまた不思議・・・河井継之助・・・もちろんもう絶版ですから、お値段は定価より高かったですが、迷わず購入。本がずっと私を待っていた?
「真景横濱今昔」もそろそろ卒業して、私の祖先と共に戊辰戦争で戦死した河井継之助の事と、その河井と交流があったのか、なかったのかのロマンを感じさせるスイス人、ジェームス・ファブル・ブラントの事をもっと掘り下げて見たい気持の導火線に今火が着いたところですから、この不思議はきっと、何かの縁のなせる技と捉えました・・・
2008年11月04日
プラントハンター・・・
山内図書館で開かれた、開港150年記念のミニカルチャーを聞きに行きました。
講師は地元でパンジー園芸家をしている郷土史家でしたので、話しはいきおい、パンジーの事が主になったような気がします。私の知的欲求を満たしてはくれませんでしたけれど、ひとつだけ面白い話しが耳に残りました。
「プラントハンター」の事で、横浜開港と同時に日本の珍しい植物を西欧諸国へ持ち帰る、そういう生業の人が入り込んだらしいですが、当時は採集した植物を本国に送るのは船で半年近くかかり、保存方法も確立していませんでしたから、ほとんどの植物はダメになってしまい、この商売は決して旨い汁のものではなかったようです・・・
講師は地元でパンジー園芸家をしている郷土史家でしたので、話しはいきおい、パンジーの事が主になったような気がします。私の知的欲求を満たしてはくれませんでしたけれど、ひとつだけ面白い話しが耳に残りました。
「プラントハンター」の事で、横浜開港と同時に日本の珍しい植物を西欧諸国へ持ち帰る、そういう生業の人が入り込んだらしいですが、当時は採集した植物を本国に送るのは船で半年近くかかり、保存方法も確立していませんでしたから、ほとんどの植物はダメになってしまい、この商売は決して旨い汁のものではなかったようです・・・
2008年11月03日
ウィスキーがお好きでしょ・・・
小雪さんの、本当に色っぽい事、あんな風にデートできたらどんなに良のでしょうか・・・最近気に入ったCM(ユーチューブに繋がりますし音声も出ますよ・・・)です。最近のシリーズで「のど渇きません?」と言うのがありますが、「のど」ではなくて「のぞ」って言ってますよね・・・「のど」(咽喉)というのは普通の言葉・・・私はずっと「のぞ」派です・・・素敵なCMです・・・