2009年01月17日
ファブル・ブラント3・・・
昨年夏、私が2年程前に「河井継之助とファブル・ブラント」を取り上げましたところ、驚くべきことにファブル・ブラントの子孫の方からお便りを頂きました。ファブル・ブラントから5代目に当たります。もちろんその方の個人情報は差し控えますが、本当にびっくりしましたよ。何よりも驚いたのは、普通、5代も前の祖先の事に関心を持たれる人ってそれ程居ないのではないかと思います。横浜開港資料館で、色々と祖先の事を調べられているそうですが、私の祖先とも関わりのある河井継之助と、司馬遼太郎氏の小説「峠」で親交のあったとされるファブル・ブラント・・・ほとんど、日本の文化に対する寄与に対して口を開かなかったファブル・ブラントの何かが分かるのではないかと思い、再び私も調べ始めました。
ファブル・ブラントは幕末に後に官軍の主流となる薩摩藩及び敵対する河井継之助の長岡藩に大量の武器を売っております。この事が、彼の口を閉じさせたのかどうかは、今後調査しようと思っていますけれど・・・
これはアメリカのオークションに出品されたファブル・ブラント商会から売り出されたヘンリーライフルです。
ヘンリーライフルは、アメリカ南北戦争中に開発されたライフル銃ですが、そう言えば昔、「ライフルマン」と言う西部劇で観たような記憶があるなー・・・
ファブル・ブラント商会の品物であると言う証拠はこれ・・・銃の胴に「FAVRE-BRANDT」とはっきりと刻印されています。
北越戊辰戦争で使われた、これも南北戦争の負の産物「ガットリング砲」3門もファブル・ブラントが扱って居て、少なくとも2門が河井継之助に売られましたが、北越戊辰戦争後、そのガットリング砲がどうなったのかは記録には残っていませんけれど、そんな事も発掘したい事実です・・・これはガットリング砲の展示ですが、河井継之助が購入したのはこれよりももっと前に開発されたものと思われます・・・
ここまで、書きますと、ファブル・ブラントは、幕末の有名な武器商人(死の商人)スネル兄弟と比較対照されてしまうかも知れませんが、スネル兄弟は武器を介して、幕府とそれに対する反体制に貢献しただけです(むろん色々な意味で違う意味での貢献もありましたけれど)。しかしファブル・ブラントはその後の日本に、得意の時計分野は言うに及ばず、気象測候や各種機械など様々な分野で貢献しました。それをちょっと、調べて見ようかなと、開港150周年の今年に思い描く訳であります・・・
ファブル・ブラントは幕末に後に官軍の主流となる薩摩藩及び敵対する河井継之助の長岡藩に大量の武器を売っております。この事が、彼の口を閉じさせたのかどうかは、今後調査しようと思っていますけれど・・・
これはアメリカのオークションに出品されたファブル・ブラント商会から売り出されたヘンリーライフルです。
ヘンリーライフルは、アメリカ南北戦争中に開発されたライフル銃ですが、そう言えば昔、「ライフルマン」と言う西部劇で観たような記憶があるなー・・・
ファブル・ブラント商会の品物であると言う証拠はこれ・・・銃の胴に「FAVRE-BRANDT」とはっきりと刻印されています。
北越戊辰戦争で使われた、これも南北戦争の負の産物「ガットリング砲」3門もファブル・ブラントが扱って居て、少なくとも2門が河井継之助に売られましたが、北越戊辰戦争後、そのガットリング砲がどうなったのかは記録には残っていませんけれど、そんな事も発掘したい事実です・・・これはガットリング砲の展示ですが、河井継之助が購入したのはこれよりももっと前に開発されたものと思われます・・・
ここまで、書きますと、ファブル・ブラントは、幕末の有名な武器商人(死の商人)スネル兄弟と比較対照されてしまうかも知れませんが、スネル兄弟は武器を介して、幕府とそれに対する反体制に貢献しただけです(むろん色々な意味で違う意味での貢献もありましたけれど)。しかしファブル・ブラントはその後の日本に、得意の時計分野は言うに及ばず、気象測候や各種機械など様々な分野で貢献しました。それをちょっと、調べて見ようかなと、開港150周年の今年に思い描く訳であります・・・