2009年01月30日
ファブル・ブラント6・・・
(ファブル・ブラント著「横浜の風物と事情」より・・・エピソード2)・・・
「競馬は春秋二回開催されて、レースは全居留地を沸かすお祭り行事となった。
居留民の中にトム・トーマス氏(イギリス人貿易商・・・外国人商業会議所会頭・根岸競馬場を運営管理する日本レースクラブ理事・・・関東大震災で死亡)と言う競馬ファンがおった。(中略)当時、競馬には日本産と支那(中国)産の馬を使用していた。トーマス氏は支那馬にまたがり、在留民中最も高齢のエド・シャネル氏(このお方には大いに注目・・・エドワード・シュネル・・・幕末期スネル兄弟として悪名?をはせた弟の方だと確信しています)は日本馬に乗って「廻りコース」の競技を行ったが、試合はトーマス氏の見事な快勝に終った。支那馬は日本馬より優れているとの折り紙が付けられた」・・・
支那馬と日本馬とが優劣を付けられた記録です。因みに「サラブレッド」などの馬種はまだ、日本には移入されていなかったのでしょうね・・・
上の画像は、現在「根岸森林公園」として、憩いの場所ですが、その昔には根岸競馬場でした。ほお被りをした日本人が興味深そうに競馬の様子を眺めています。
上記で出て来ました、「エド・シュネル(エドワード・スネル)」は武器商人の兄弟として、ファブル・ブラントとはかなりリンクしますから、その内、また取り上げる積りです・・・よろしく・・・
「競馬は春秋二回開催されて、レースは全居留地を沸かすお祭り行事となった。
居留民の中にトム・トーマス氏(イギリス人貿易商・・・外国人商業会議所会頭・根岸競馬場を運営管理する日本レースクラブ理事・・・関東大震災で死亡)と言う競馬ファンがおった。(中略)当時、競馬には日本産と支那(中国)産の馬を使用していた。トーマス氏は支那馬にまたがり、在留民中最も高齢のエド・シャネル氏(このお方には大いに注目・・・エドワード・シュネル・・・幕末期スネル兄弟として悪名?をはせた弟の方だと確信しています)は日本馬に乗って「廻りコース」の競技を行ったが、試合はトーマス氏の見事な快勝に終った。支那馬は日本馬より優れているとの折り紙が付けられた」・・・
支那馬と日本馬とが優劣を付けられた記録です。因みに「サラブレッド」などの馬種はまだ、日本には移入されていなかったのでしょうね・・・
上の画像は、現在「根岸森林公園」として、憩いの場所ですが、その昔には根岸競馬場でした。ほお被りをした日本人が興味深そうに競馬の様子を眺めています。
上記で出て来ました、「エド・シュネル(エドワード・スネル)」は武器商人の兄弟として、ファブル・ブラントとはかなりリンクしますから、その内、また取り上げる積りです・・・よろしく・・・