2011年08月28日
64年も良く生きたもんだ・・・
64歳なんて生まれて初めての経験です・・・良く生きたもんだと、感心感心!!東北では3月11日にまだ生きたくても死ななざるを得なかった2万人以上の命・・・各地の紛争で生きたくても死ななざるを得なかった沢山の命があるのにね・・・感心ついでに私へのご褒美、韓国料理を食べました・・・
前菜です。日本風に言えば「つき出し」かな・・・右からモヤシのナムル?キュウリのコチュジャン和え?豆腐のピーナッツとごま油風味の一品、「クゴヌン ムオシムニカ?」これは何ですか?・・・
これは、海鮮チヂミです・・・チヂミって、ここ、たまプラーザに「サラン房」が登場した頃、初めて食べて病みつきになりました。
そして、石焼ピビンパ・・・石の器が焼けてジリジリと言っている内に、手早くかき混ぜますと、丁度チャーハンのようになります。石焼ではないピビンパもありますが、自分で作る石焼の方が私は好きですね・・・
〆はサムゲタン(参鶏湯)です・・・高麗人参の独特の香りと、トロトロに煮込まれた鶏が絶妙です・・・元気がないときには、欠かせない一品です・・・
64歳のジジイのくせに良く食うなって?・・・確かに一人でこれ全部平らげたら、ダメージの方が大きいですが、老妻と半ぶんこすれば丁度良くなりますって・・・
・・・などと、韓国料理をワイワイ楽しんでいる留守中に息子夫婦から、着やすそうなハッシュパピーのシャツが届きました・・・暑がりでLLな私にぴったりの風通しの良いものです・・・いやー嬉しいな!!
来年は65歳、定年です・・・微々たる年金で財産も全くない人生が始まります。老後は何をしたら良いのか、原発の放射能に追われている人々の役に立ちたいものの、その頃は動く事、生きている事が出来るのか、今日から来年までの一年間、しっかりと腹をくくって考えないと、万が一にも息子夫婦に迷惑をかけないと言う私の信条が壊れてしまいますからね・・・
前菜です。日本風に言えば「つき出し」かな・・・右からモヤシのナムル?キュウリのコチュジャン和え?豆腐のピーナッツとごま油風味の一品、「クゴヌン ムオシムニカ?」これは何ですか?・・・
これは、海鮮チヂミです・・・チヂミって、ここ、たまプラーザに「サラン房」が登場した頃、初めて食べて病みつきになりました。
そして、石焼ピビンパ・・・石の器が焼けてジリジリと言っている内に、手早くかき混ぜますと、丁度チャーハンのようになります。石焼ではないピビンパもありますが、自分で作る石焼の方が私は好きですね・・・
〆はサムゲタン(参鶏湯)です・・・高麗人参の独特の香りと、トロトロに煮込まれた鶏が絶妙です・・・元気がないときには、欠かせない一品です・・・
64歳のジジイのくせに良く食うなって?・・・確かに一人でこれ全部平らげたら、ダメージの方が大きいですが、老妻と半ぶんこすれば丁度良くなりますって・・・
・・・などと、韓国料理をワイワイ楽しんでいる留守中に息子夫婦から、着やすそうなハッシュパピーのシャツが届きました・・・暑がりでLLな私にぴったりの風通しの良いものです・・・いやー嬉しいな!!
来年は65歳、定年です・・・微々たる年金で財産も全くない人生が始まります。老後は何をしたら良いのか、原発の放射能に追われている人々の役に立ちたいものの、その頃は動く事、生きている事が出来るのか、今日から来年までの一年間、しっかりと腹をくくって考えないと、万が一にも息子夫婦に迷惑をかけないと言う私の信条が壊れてしまいますからね・・・
2011年08月23日
ある梨生産者の無念・・・
福島県大熊町のK果樹園から、便りが届きました・・・大熊町は福島第一原発のすぐ近く、このK果樹園の美味しい梨、特に「豊水」は抜群に美味しくて、毎年、妹夫婦に頼んで、この時期送って貰っていますし、3年前には、今はアメリカに住む友人に送り喜ばれましたっけ・・・
このK果樹園は右のように、転々と着の身着のままで避難して今は須賀川市で過ごしているようです。7月の一時帰郷で、名簿を手に入れて、私へもこのような一報を入れてくれたようです・・・今年もまたあの見事な豊水を食べたくて、連絡しようにも、義妹、義姉、妻一族が全て、原発に追われる中、手段もありませんでした・・・
K果樹園Kさんの無念が伝わって来る残暑お見舞いでした・・・
K果樹園から送られる梨には、トトロのようなイメージの、可愛いどんぐりが同封されていました・・・
また、あのどんぐりを見ることができるよう、希望を捨てないで下さいと書き足しましたが、今朝の新聞には、最低10年間は立ち入る事が出来ないなどと暗いニュースが載っていましたっけ・・・
このK果樹園は右のように、転々と着の身着のままで避難して今は須賀川市で過ごしているようです。7月の一時帰郷で、名簿を手に入れて、私へもこのような一報を入れてくれたようです・・・今年もまたあの見事な豊水を食べたくて、連絡しようにも、義妹、義姉、妻一族が全て、原発に追われる中、手段もありませんでした・・・
K果樹園Kさんの無念が伝わって来る残暑お見舞いでした・・・
K果樹園から送られる梨には、トトロのようなイメージの、可愛いどんぐりが同封されていました・・・
また、あのどんぐりを見ることができるよう、希望を捨てないで下さいと書き足しましたが、今朝の新聞には、最低10年間は立ち入る事が出来ないなどと暗いニュースが載っていましたっけ・・・
2011年08月16日
靖国神社・・・
8月15日終戦の日・・・毎年の事で靖国神社へ行って来ました。別に私は右翼でも左翼でもありませんし、そのどちらを批判非難する気もありません。あの独特の、ムンムンとして雑多雑多な熱気が癖になるんですね・・・
九段下駅からだんだんと神社に近づくにつれて熱気が襲ってくるような期待感がありました・・・遠くに見えるのは、大村益次郎の銅像ですが、戦争の頃、沢山の兵隊がこの銅像を目指したんでしょうね・・・
一番奥の拝殿です。ここはもう参拝する人が沢山並んでいて、鎌倉八幡宮の初詣客のように警官が、規制をしていました。さすがに私は並んでまで参拝する気持ちはありませんでしたので、横からちょっと写させて貰いました・・・
今年もいましたいました、旧日本兵の格好で参拝する人、人様の趣味にとやかく言う気はありませんが、何時見ても不思議な光景です・・・黒い服の人は、何と日露戦争の頃の軍服ですが、戊辰戦争以来の戦死者が奉られているそうですから、不思議でも何でもないのです。もっと不思議なのは、私の伯父は太平洋戦争で戦死したので奉られているそうですが、戊辰戦争で反政府軍として戦死した祖先は奉られていないそうですが、それももうどうでも良いことなんですけれどね・・・
ところで、この記事は、職場の利用者さんの為にインターネット導入して自由に使えるようにしましたが、その使い勝手を、環境提供する身として、試して見ようと、ファイヤーフォックスのポータブルから使用履歴が残らないように投稿しちゃいました・・・遊びじゃないぞー・・・何て言い訳けしてますが、いいわけないか
九段下駅からだんだんと神社に近づくにつれて熱気が襲ってくるような期待感がありました・・・遠くに見えるのは、大村益次郎の銅像ですが、戦争の頃、沢山の兵隊がこの銅像を目指したんでしょうね・・・
一番奥の拝殿です。ここはもう参拝する人が沢山並んでいて、鎌倉八幡宮の初詣客のように警官が、規制をしていました。さすがに私は並んでまで参拝する気持ちはありませんでしたので、横からちょっと写させて貰いました・・・
今年もいましたいました、旧日本兵の格好で参拝する人、人様の趣味にとやかく言う気はありませんが、何時見ても不思議な光景です・・・黒い服の人は、何と日露戦争の頃の軍服ですが、戊辰戦争以来の戦死者が奉られているそうですから、不思議でも何でもないのです。もっと不思議なのは、私の伯父は太平洋戦争で戦死したので奉られているそうですが、戊辰戦争で反政府軍として戦死した祖先は奉られていないそうですが、それももうどうでも良いことなんですけれどね・・・
ところで、この記事は、職場の利用者さんの為にインターネット導入して自由に使えるようにしましたが、その使い勝手を、環境提供する身として、試して見ようと、ファイヤーフォックスのポータブルから使用履歴が残らないように投稿しちゃいました・・・遊びじゃないぞー・・・何て言い訳けしてますが、いいわけないか