2012年06月30日

ベランダの木の実・・・

我が家の狭いベランダ・・・色々な木の実が色づいています。



まずは梅・・・前にも紹介しましたが、今年は実は生らない予想でしたが、何故か、たわわとは言わないまでも、鉢植えの小さな梅にして見れば、大健闘!!・・・

実を作るって、子どもを宿す事と同じで木にとりましてかなりの体力を要するので、少し心配でしたが、先日の台風で実が皆落ちてしまいましたのでこれ幸いに、今は梅干になるべく、冷蔵庫で眠っています・・・



これは「すぐり」です・・・毎年、律儀に実が生りますが、このルビーのような実、美味しいんですよ。子どもの頃は山に自生する実がおやつでした・・・

今頃はどこかで鳥が狙っていて、ある日、一日の内に消えてしまいます・・・実にとりましては、鳥のおやつになることが本望だと思いますので、来襲を待っています・・・

来週まで・・・  


Posted by shin344 at 08:31Comments(0)日記

2012年06月23日

相馬焼・・・

老妻の実家浪江町から高瀬川沿いに2~3km遡りますと、大堀地区に達します・・・ここは、相馬焼の窯元と陶器店が密集する地域です・・・ここで焼かれる相馬焼は大堀相馬焼とも呼ばれますが、例の原発事故の立ち入り禁止区域になってしまいました・・・相馬焼を扱う窯やお店の人々は限りない無念を抱えて、散り散りなってしまいましたが、昨日の新聞にこの大堀相馬焼を外国に広めようと、どっこい頑張っている人の記事が載っていました・・・

我が家のこの相馬焼ですが、確か幼かった息子が、呑ん兵衛の親父に買って来たものですが、この大堀相馬焼が復活するのは何時の事でしょうか・・・

焼き上がった焼物と釉薬の膨張差により、細かいひびが入る時の、数百の風鈴が一斉に鳴り出したような「天上の音楽」・・・あれも再び聴きたいです・・・  


Posted by shin344 at 10:55Comments(0)日記

2012年06月12日

やっとこさ・・・

やっとこさ・・・仮免許・・・2ヶ月余りと余分な経費がかかり放題・・・face10やっとこさ、路上に出られるらしいのですが、それはそれで、色々と緊張し恐怖するんでしょうね・・・

今日のお昼は、教習場近くの横浜橋商店街入り口「芳野」で合格祈願を兼ねて天丼を頂きましたが、映像にして初めて気が付きました何と躾の悪い事・・・渡し箸をしてしまっていました・・・やっぱり、テストを前に頭の何処かのネジが緩んで居たんでしょうね・・・いや、元々緩んでいるのか・・・まぁ、仮免合格に免じて、ご免という事で・・・face06

天麩羅がこれでもか!!って乗っていてこれで700円・・・ついこの前まで600円だったんですけれどね・・・  


Posted by shin344 at 17:46Comments(2)日記

2012年06月03日

オッピキ ヒヤリコ トットットⅡ・・・

今日、NHKの「陽だまりの樹」を観ていましたら、前日更新しました「野毛節」が「農兵節」として紹介されていました。
♪富士の白雪ゃ ノーエ 
富士の白雪ゃ ノーエ という唄です・・・ノーエは「農兵」という事でした・・・文献によりますと、野毛節が元になったとか、番組で江川太郎左衛門が採用したとか紹介されていましたが、何か色々とあるようですね・・・

ところで「陽だまりの樹」ですが、結構楽しんで観ています。その昔、手塚治氏が手がけた同名の漫画(確かビックコミックだったか・・・)を楽しんだ世代として、伊武谷万次郎のイメージは残っているのですが、その伊武谷役を演じている市原隼人君の演技でどうしても気になるところは、お辞儀の仕方(ゆっくりし過ぎ)・・・感情表し方、どうも納得が行きません・・・ルーキーズで素敵な現代青年役をしていただけにちょっとミスキャストかな・・・

と、話しが大いにそれてしまいましたが、画像は、前の画像がイギリス隊(赤隊)に対して、これはフランス隊(青隊)です・・・  


Posted by shin344 at 20:10Comments(0)横浜今昔物語

2012年06月02日

オッピキヒヤリコ トットット・・・

♪野毛の山から ノーエ
野毛の山から ノーエ
野毛の サイサイ 山から
異人館を見れば
お鉄砲かついで ノーエ
お鉄砲かついで ノーエ
お鉄砲 サイサイ
小隊進め
オッピキ ヒヤリコ ノーエ
オッピキ ヒヤリコ ノーエ
オッピキ サイサイ・・・

これは幕末の俗謡で、横浜の野毛山から、眼下に望むと外国人居留区とか外国人兵士の練兵とかが行われていました・・・
この「野毛節」の歌詞を見たとき、反射的にこの横浜錦絵が思い出されました。赤い服のイギリス部隊がフェントン指揮の鼓笛隊を先頭に行進しています。当時の日本人はこういう軍隊を鼓舞する音楽などおそらくあまり聴く機会もなかったでしょうからかなり、新鮮で力強い印象を与えたのでしょうね・・・

・・・オッピキヒヤリコ トットット・・・あの時代のこの鼓笛隊の行進、見物したかった。ちなみに赤い制服のこのイギリス部隊は「赤隊」、フランスの青い制服の軍隊は「青隊」と呼ばれたらしいです・・・  


Posted by shin344 at 14:29Comments(1)横浜今昔物語