2013年07月31日

縁・・・この不思議なもの

ジュネーブ在住のニーゼルさんに、メールをしましたが、7月30日に空港へ品川区の青少年を迎えに行きますとご連絡頂きました・・・確かに品川区の青少年16名が8月15日までジュネーブにホームステイをすると言う事でした・・・

4~5日前まではそんな青少年が居る事すら知らなかったのですが、それがニーゼルさんから知らされた瞬間から、その日本の青少年がスイスで素晴らしい青春の1ページを刻むよう念願する気持ちが生まれたのは自分でも不思議な感覚です・・・ある事が「意味を持つ」という縁(えにし)の不思議さを感じました・・・

品川区長を表敬訪問している青少年です・・・私もかつて品川区民だった事がありまして・・・ってそりゃ関係ないか・・・icon20  


Posted by shin344 at 11:27Comments(0)日記

2013年07月31日

フランソワ・ペルゴⅡ・・・

前回フランソワ・ペルゴの事を記事にしましたが、この記事はジラールペルゴ社日本総代理店ソーウインドジャパン社から縁会って提供された資料によるものが大です・・・さて、前回の記事で、フランソワ・ペルゴが時計取引に希望を持って来日したものの、当時不定時法の日本での商売はほとんど成り立たず、生活の為に他の商売に手を出さざるを得ませんでした・・・手を組んで商社を立ち上げたエドワード・シュネルは当時混乱を極めた幕末日本での銃などの兵器に活を見い出し、フランソワ・ペルゴは炭酸飲料会社でありました・・・ここに珍しいペルゴの炭酸飲料会社の宣伝広告があります・・・

1870年(明治3年)に設立されたこのペルゴの炭酸飲料会社は当時のパリやロンドンの一流会社のレシピを使って炭酸飲料を作る日本で唯一の会社となり、東京へも進出したそうです。

そしてまたこの会社では色々な種類のシロップやワイン、アブサンなども取引したそうです・・・

そこで、呑ん兵衛の私は異常反応・・・あの「アブサン」がスイスの特産酒とは、今まで知りませんでした・・・緑色の極めてアルコール度数の高いあの悪魔のようなお酒・・・若い頃、飲み屋でお猪口一杯で腰が抜けるよと言われて・・・挑戦したことがありましたが、腰が抜けたかどうかの記憶はないものの、小さなグラスにアブサンが注がれただけで、飲み屋中にアブサンの強烈な臭いが漂ったのを思い出しました・・・

前回の記事、友人?または助手の「半蔵」と言う人物が誰なのか、フランソワのお墓の横の「エリザ」と刻まれた小さな墓標が誰のものなのか、まだまだ分からない事だらけのフランソワ・ペルゴさんです・・・  


2013年07月28日

初めて日本に移住したスイス人・・・フランソワ・ペルゴ

幕末、尊皇攘夷の嵐が吹き荒れる横浜に上陸したのが、スイス人フランソワ・ペルゴです・・・彼は国を開いて間もない1860年に時計12個を携えて来日しますが、当時の日本では、スイスとの通商は認められていなかったので、ペルゴはフランス人として滞在を許されました・・・

そして1864年には、エドワード・シュネルと共同で商社を設立しますが、ご存知の通りシュネルは、幕末の混乱に乗じて、銃の売買に血道を上げペルゴとは完全に袂を分かつ事となります・・・

当時の日本では不定時法が使われていましたので、西洋の定時法の時計が実用品として売れる訳はなく、ペルゴ自身も、生活の為に炭酸ガス入り清涼飲料・・・つまりサイダーの会社を設立します。シュネルが銃の取引に手を染めたのもそんな訳があるのでしょうね・・・

1873年にようやく日本に定時法が導入されて、ペルゴの商社もこれからと言う1877年にペルゴは僅か42歳でこの世を去り、横浜の外人墓地に葬られていますが、彼の遺言執行人として、James Favre-Brandtが友人としてなっているのも、フランソワ・ペルゴとジェームスが深い交誼を結んでいた事を知ることが出来ます・・・

画像は、日本人の友人?半蔵と撮られたフランソワ・ペルゴです・・・

そしてまたフランソワ・ペルゴの時計に対する思いは、150年経った今でも、ジラール・ペルゴ社として、高級機械時計を作り続けている事は驚くべき事ではないでしょうか・・・

ただ残念なのは、このペルゴの高級時計が我が腕に輝くステータスを私は持っていない事ですけれどね・・・face02  


2013年07月22日

甘くみていた・・・

老妻の合唱団が、全国大会に出演できるそうですので、私もついでに金魚のフンみたいに付いて行く気で合唱連盟に送金してチケットを依頼しました・・・それも、老妻の情報によりますと、全国大会ともなりますと早々とチケットが売り切れてしまうそうです・・・けれども私は「・・・んなことある訳ない」と実に甘く見ていましたね・・・やられました!!

現金書留が届きました・・・封筒を振ってみますと何やら小銭の音がちゃらちゃらするではありませんか・・・封を開けるまで、きっと振込み手数料の残り小銭でも入っているのだろうと、考えていましたが中からは何と千円札2枚と小銭、そして、既にチケット完売のお知らせが入っていました・・・

やはり全国大会ともなりますと、地区大会や関東大会とは違うんですね~~face10

大会関係者のような顔をして受付けをすり抜けるか警備員のコスチュームで入り込むか、女装して出演者として何処かの団体に潜り込むか・・・作戦中です・・・  


Posted by shin344 at 16:08Comments(2)日記

2013年07月12日

水戸Ⅳ・・・天狗党始末

水戸へ行くなら、是非とも天狗党の悲惨な遺跡を辿ってみようと思いましたものの、結局水戸城跡を散策したにとどまりました。天狗党は自分達の理解者である一橋慶喜(よしのぶ・・・後の徳川家最後の将軍)を頼って福井県まで行軍するものの、結果的には慶喜の徳川幕府に対する体面を重んじる政治姿勢の為に、敦賀での352名断首、その他、家族や関係者の断首、獄死の数知れず、その余りにも過酷な処置に接して大久保利通は、徳川幕府の終末を見たとのことです・・・

徳川慶喜・・・徳川幕府最後の将軍として、英邁であるとか、卑怯者であるとか色々と後年の評価は別れますが、この天狗党に対する過酷な処断から思いますのは、結局保身のみに徹した人で、窮地に陥った部下達を捨てて、大阪から江戸に逃げ帰ってしまった後の行動を鑑みますと、私が思いますに、結局卑怯者だったのでしょうね・・・

もし、この天狗党を見捨てなかったら、徳川慶喜は幕末の英傑達に劣らない評価を今に残したのでしょうと思いますけれどね・・・

水戸で泊まった宿の近くにありました藤田東湖の銅像です・・・東湖の4男「小四郎」は敦賀で武田耕雲斎と共に断首されました・・・  


Posted by shin344 at 19:49Comments(0)日記

2013年07月12日

水戸Ⅲ・・・納豆孝

水戸と言えば「納豆」と先日書きましたが、7月10日は語呂あわせでナットウ(7.10)の日だそうです・・・タイムリーな事に新聞で「納豆をたどって」と言う記事があり、何故水戸と言えば納豆か、目から「うろこ」でした。何でも、明治の半ばに、納豆が江戸で人気と知った水戸の人が製法を研究して水戸駅前で売り出したのが始まりだそうです・・・

納豆・・・私たち日本人から見れば不思議ではないのですが、多分納豆文化のない国の人にとってはなんとも奇妙な食べ物なのかも知れませんね・・・

子どもの頃、「納豆売り」が居て、「なっと なっと~なっと」と売り歩いていた記憶があります・・・やがて「納豆売り」は豆腐屋のラッパにかき消されましたけれど・・・つまり豆腐屋の専売になったようです・・・

昔、40年もの昔を思い出します・・・福島県保原町の早朝の静寂を破って大音量の納豆売り、「ナット!!!!」・・・これで、目を覚ます人も沢山いたのではないでしょうか、朝告げ鳥も顔負け、すごい迫力の売り声でしたよ・・・あの大音量の主はどうしているかなぁ・・・

画像はいずれも水戸で仕入れて来ました・・・上は「黒豆納豆」下は「経木納豆」です・・・両方とも楽しい想いが味付けでとても美味しかったですよ・・・

納得し 納豆を喰う オヤジかな・・・face07  


Posted by shin344 at 08:19Comments(0)日記

2013年07月07日

水戸Ⅱ・・・水都

水戸と言えば「黄門様」と「納豆」を思い浮かべますが、「おかあさんコーラス」の行われた茨城県民文化センターは、水戸市街の「千波湖」の辺にあります・・・この千波湖、江戸時代までは、今の水戸市役所辺りまで広がって居たそうです・・・清楚なとても感じの良い湖です・・・もしかしたら水戸って、この湖の辺に広がる「水の都・・・水都・・・水戸」なのかなぁって思いました・・・それ程この千波湖の存在は大きいのが分かりました・・・







湖の辺で、白鳥や黒鳥が盛んに身づくろいをしていました・・・朝の8時ですからきっと、新しく始まる一日の為に化粧をしているんですね・・・


なかなか美しい湖で、鳥達も人間を全く意識していないようでした・・・






さて、これから「第36回おかあさんコーラス関東支部大会」が始まります・・・今日(6日)と明日(7日)の二日間で94団体が全国大会目指して健闘するそうです・・・大変ですねぇ・・・  


Posted by shin344 at 15:06Comments(5)日記

2013年07月07日

水戸へ・・・

第36回おかあさんコーラス関東支部大会が水戸で開かれたのをきっかけに、年一回の精神的リセットも兼ねて聴きに行きました・・・去年までは、列車を使っていましたが、今年は車で行く事にして往復約260kmを移動しました。途中東京市街でやや迷子になりかかりましたが、どうやら順調に移動しました。

浅草の辺りです・・・浅草は好きで良くこの界隈を散歩したものですが、何年か前にはこの浅草へ自分の車で来ようとは夢にも思いませんでしたけれど・・・

車窓から写しましたが雨がパラパラ降っていて、雨粒が見えますね・・・


その雨も東京を離れると、上がってとても走り易くなりましたがひとつ困った事にトイレに行きたくなっても、中々適当に停まれる施設がないことです・・・コンビニなどの手もあるのですが、何も買わないでトイレだけって気が引けるしねぇ・・・


ようやく、郊外型の大型ショッピングセンターで、駐車スペースガラガラなんて店を見つけて入りました・・・中でペットボトルのお茶を買って来ましたが、トイレが近くなると困るのでこのお茶、翌日まで車の中にありましたっけ・・・





ようやく「水戸」今日の宿に着きました・・・宿の車庫に収まる我が愛車、お疲れさん、明日も頼むぞ!!・・・


明日は、老妻の出る「おかあさんコーラス」の大会をじっくりと鑑賞しましょう・・・

  


Posted by shin344 at 14:38Comments(0)日記