2015年10月28日

家賃で家が買えるなんて!!・・・

電車のドアにこんな宣伝文句が掲示されていました・・・喜ぶ男性のイラストと共に・・・下の方には小さく20代30代の人対象、頭金0円と小さく添え書きが・・・私には縁のない話ではありますが、とてつもない危険な宣伝に感じられました。つまりは「ん千万円」のローンを超長期で組まされる作戦のなにものでもないのですからね・・・

この画像は別の場所からの借り物でイメージです・・・
私だってマイホームを持っている人が羨ましい時期もありましたし、手入れの出来る庭付きの一軒家が夢でもありましたものの多額のローンを組むような身の丈ではありません・・・
ましてや息子の代にまでローンを残すなんて考えたくもありませんでした・・・

最近過払い金の整理を声高に宣伝する業者がある一方、法定利息以上を取っていた金融業者も息を吹き返したようです・・・この「家賃で家が・・・」なんて借金地獄に20代30代の若者を引きずり込む典型のように思えるのは私だけ?・・・
  


Posted by shin344 at 11:50Comments(0)日記

2015年10月28日

にょき・・・

どこからでも見えるこのランドマークのような建物・・・プリンスホテルだそうです・・・鉛筆が地面に突き刺さったような印象ですが、まさか、ここ新横浜に住む事になろうとは夢にも思わなかった頃にもこの建物は目にしていました・・・


25年前に開業していますから、まだ地下鉄が「あざみ野」まで伸びていない頃、横浜線「新横浜」で地下鉄に乗り換えたり、横浜線で桜木町へ経由して通勤した時も、毎日見ていたはずですし、夏前まで住んでいました町からもちょっと高台では見えました・・・

今、こうやってプリンスホテルを眺めますと、根無し草が浮遊してここに流れ着いたんだなってつくづく、人生の不思議さを感じます・・・

ここ新横浜のちょっと高台からは、こんどはランドマークタワーが見えます・・・次の漂着地は生きていればランドマークのある桜木町あたりかなカモメ  


Posted by shin344 at 10:51Comments(0)

2015年10月25日

やっと・・・

待ちに待った妻のピアノがやっと届きました・・・沢山の生徒さんを育てて自らの研鑽を積んだグランドピアノを手放したのが、引っ越し直前の7月・・・それから約3か月、やっと妻念願のピアノが届きました・・・もちろんここは集合住宅とて、電子ピアノです・・・

このピアノ、一見アップライトピアノに見えますが、音の出し方が全く違いますから今にも開きそうな天板は開きません・・・

40年も昔、私はヤマハのピアノや電子オルガンを売る仕事をしていましたが、その頃の製品と癖ベますと、まさに雲泥の差のように思えます・・・
  


Posted by shin344 at 22:39Comments(4)日記

2015年10月23日

三渓園・・・

何度かここ三渓園を楽しんで来ましたが、今日は丘の上に移築されている三重塔を中心に三渓園の昔に思いを馳せながら、廻って来ました・・・


ところで、良く手入れされた庭園の美しさもさることながら、昔の三渓園を写したパネルが随所にあり、景色にとても良い味付けをしています・・・

これは、明治の末頃の三渓園です・・・池の部分にはこの頃、菖蒲が一面に植えられていたそうです・・・ほどなく菖蒲は塩害(三渓園は海が近いのです)で枯れたそうでけすが、この写真ではまだ丘の上に三重塔がありません・・・


そしてこれは大正の初め頃ですが、既に三重塔が移築されています・・・と言う事は、明治末か大正初め頃に移築されたのでしょうか・・・

移築と言いましたが、この三重塔は京都にあった燈明寺と言うお寺から移築されました・・・原三渓(善三郎)が財力にものを言わせて移築したのは想像できますが、燈明寺の伽藍なども移築されていますから、廃寺にでもなった無住の燈明寺を原三渓が買い取ったのかも知れません・・・


そして今日の三渓園です・・・ところで上のパネルの写真には向かって右側の山がありません・・・その頃は塔のある丘の右側には美しい根岸湾の海が見えていたのですが、やがてこの海が埋め立てられて工場などが出来て景色が悪くなったので、人工的に丘を盛り土したそうです・・・


燈明寺三重塔から少し行ったところに「松風閣」と言う原三渓の別荘があったそうです・・・三渓と交友関係の人たちがここに招待されたそうですが、1923年の関東大震災で崩壊してしまいました・・・


これが、壊れたままの「松風閣」です・・・きっと賑やかな宴会などが催されたのでしょうね・・・

その関東大震災でここ三渓園でも被害甚大だったようですし、太平洋戦争でもきっと埋め立てられて作られた工場を狙ったのかどうかは分かりませんが、空襲を受けてかなりの建物が姿を消したそうです・・・

  


Posted by shin344 at 19:42Comments(0)

2015年10月22日

麻婆豆腐とアサリ飯・・・

今日は何を作ろうかなと考えながらも、ギリギリスーパーに着くまで全く決まりませんでした・・・そんな時はスーパーをひと回りして旬のものとか、安くなっているものとか色々と組み合わせて作ります・・・基本理念(って大袈裟ですけれど・・・)は一人350円の予算でどれだけ満足される料理を作る事、出来るだけ旬のものを使うとか・・・




今日はスーパーでアサリのむき身が安く手に入りましたし、そして今日訪れるホームには豆板醤(トウバンジャン)や花椒(ホアジャオ)とかの食材を揃えていますから、もうこれは麻婆豆腐しかないでしょう・・・

と言う事で、こんな定食にしました・・・  


Posted by shin344 at 22:07Comments(0)日記

2015年10月20日

秋の味覚Ⅲ・・・つきじ田村のホイル蒸し

テレビの料理番組で「つきじ田村」のホイル蒸し焼きが放映されていました・・・

早速真似てみました・・・クッキングペーパーでまず材料を包んで、それからホイルでしっかりと包みます・・・まるで、ペーパーの下着とホイルの上着を纏っているようです・・・それでしっかりと包んだ食材は旬の秋鮭とキノコ達です・・・調味料は日本酒とお醤油、そしてたっぷりのバターでした・・・l

秋たけなわのこの時期、美味しいものがめじろ押しです・・・  


Posted by shin344 at 22:53Comments(0)日記

2015年10月10日

秋の味覚2・・・栗ご飯

あるスーパーで栗を探しましたら、すでに店頭にはありませんでした・・・もう栗のシーズンは終わったのかと思い今日別なスーパーを覗きましたら、まだありました・・・さっそく買い求めて栗ご飯を作りました・・・

圧力鍋で7分位、頭に十字を切り込んだ栗を煮ます・・・頭の十文字はこんな風に頑固で固い栗の鬼皮を剥くきっかけになりますし、生栗を包丁で剥く根気のいる仕事が4分の一位の時間で済みます・・・


そして、サンマ・・・これも、段々と高くなって今日辺り一匹150円位に値上がりしていると思いきや、一匹100円をきる97円でしたので即お買い求めで、サンマの食べ方では一番美味しいと信じる「塩焼き」にしました・・・


  


Posted by shin344 at 21:46Comments(0)日記

2015年10月09日

秋の味覚・・・サツマイモご飯

栗、まだ出回っていますが、段々と高くなりました・・・そこで秋の味覚を求めますとサツマイモに行き着きました・・・「九里(栗)より旨い十三里」、この十三里の味付けは、塩だけ、日本酒を少々振りますとコクが出るようですが、料理酒は塩分が強いので塩の量を加減します・・・



サツマイモのホロ甘さと塩がマッチして、とても美味しくなります・・・

今日のメインディッシュは餃子にしましたが、それよりこのサツマイモご飯の出来が気になりました・・・

黒ゴマをパラパラと振りかけて、更に香ばしく・・・  


Posted by shin344 at 09:26Comments(0)日記

2015年10月07日

真野紀太郎・・・

真野紀太郎(1871~1958)はかつて、東京馬込の文士村に住んでいた事が大森駅前のレリーフが語っています・・・その真野紀太郎が大正12年の海軍練習艦隊に同行して南洋やオーストラリアを訪れました・・・練習艦隊と言いますのは、海軍兵学校の修学旅行のようなもので奇しくも私の祖父が艦隊副官として乗務していました・・・その厚誼の為なのかは不明ながら、途中立ち寄ったシンガポール「タンジョンカトン」でのスケッチを祖父が持っていまして私は子どもの頃から見続けていました・・・

シンガポールの一寒村の情景ですが、この村が今のシンガポールの発展に飲み込まれたのか、はたまたそのままなのかは全く分かりませんが、観れば観るほど含蓄の深さを感じます・・・

真野紀太郎をWeb検索していましたら、2010.12.23私のブログで同名タイトルを見つけてしまいました・・・
  


Posted by shin344 at 10:27Comments(0)日記

2015年10月04日

横浜線孝・・・

横浜線と言いますと、八王子から横浜へ絹を輸送するために開通したと聞きました・・・私の子どもの頃から横浜線が深く関わり合って来ました・・・長津田と言う小さな町からの移動手段は横浜線・・・通勤通学も横浜線でした・・・





そして、新横浜へ移り住んだ今、また毎日横浜線で通勤している因縁の不思議さです・・・
環状2号(環二)と言う国道17号線が横浜線を跨ぐ橋の上から写しました・・・この横浜線の昔々を知っている私にとりまして、随分スマートで美しい車両になりました・・・

その昔々とは、クモハと呼ばれる茶色い鉄の塊のような車両でしたっけ・・・車両の中には鉄の柱がありまして、走行中はとにかく揺れに揺れる車内で、必死にこの柱にすがっていましたね・・・

その後、少しづつ新しい車両になりつつありましたが、東京都心を走る山手線のお古だったりして、横浜線と言うとイコール、「茶色っぽいローカル線」のイメージしか湧きませんけれど、それはそれで懐かしいですし因縁の不思議さには変わりありません・・・  


Posted by shin344 at 20:25Comments(2)