2009年08月07日

馬の博物館にてⅡ・・・

根岸森林公園は昭和18年まで根岸競馬場だったことは前回述べましたが、競馬にまつわる話題をひとつ、James Favre-Brandt著「横浜の風物と事情」より・・・馬の博物館にてⅡ・・・




居留民の中にトム・トーマス氏と言う競馬ファンがおった(注:イギリス貿易商・・根岸競馬場管理運営する日本レースクラブ理事なとを勤め関東大震災で死去)氏はこの頃以後、50年もの間横浜競馬の後援者であった。当時競馬には日本産と支那(中国)産の馬を使用していた。
馬の博物館にてⅡ・・・

トーマス氏は支那馬に跨り、在留民中最も高齢のエド・シャネル氏(注:謎の多い冒険家、または死の商人として名高いエドワルド・シュネルか)は日本馬に乗って「廻りコース」の競技を行ったが、試合はトーマス氏の見事な快勝に終わった。以来、支那馬は日本馬より優れているとの折り紙が付けられた。


その頃、日本人は外人達の乗馬の見事さと巧技に感嘆して、この分野では外人の優越を認めていた。日本人は人も馬もじきに疲労してしまうような粗末な鞍を用いて、いつも並足で走っていた。しかし、私がたびたび、騎馬の役人(護衛)に付き添われて江戸へ道中する途中で見る彼等の馬術は、外人と同様、巧みなものであった。

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