2017年09月17日

北の国から・・・

私がさる音大に通っていた頃ですが、トランペットの抜群に上手いR君と言う北朝鮮籍の人と同級になりました・・・私もトランペットを吹いていました関係で親交を深めましたが、ある日「地上の楽園」とやらに帰って行きました・・・

帰る前に彼と交わした言葉の中で印象深かったのは、彼はアメリカの「セルマー」と言う有名メーカーのトランペットを吹いていましたが、「それ(セルマー)ってお国に帰ったらどうなるんだい?」と質問しました・・・

彼の答えは「共産国に帰るのだから私物は一切国のものになるんだろうなぁ」と言うものでした・・・もう半世紀も前の事です・・・

その彼が決して「地上の楽園」でセルマーのトランペットを吹いて楽しく暮らしていなかっのだろう事は、それから数十年も経ってから知りました・・・
北の国から・・・
最近は、こんな映像ばっかりが流れ続けていますけれど、あの金釘のような北朝鮮の兵隊の中や、軍歌を演奏する中にR君の孫かひ孫が居て「セルマー」を吹いていても不思議ではないのだなぁと思ったりしています・・・

朝鮮半島を日本が統治していたのは事実ですが、彼の国のお方はそもそも日本が統治したのが「悪い」と仰いますが、むしろ今日の混乱の元は日本の統治後に「旧ソ連」に朝鮮半島の北を統治させた事にあるんですね・・・

「ソ連」てかなり「したたかな国」と認識しています・・・終戦直前の弱体化した日本を満州から朝鮮まで「火事場泥棒」の如く攻めたしたたかさは
もう呆れ果てるばかりの蛮行です・・・

因みに言いますと、北海道も「旧ソ連」は半分統治しようとしたらしいのですから、これが通れば、北方4島よりもっと根深く北海道を分断して
「北北海道」なんて共産集団が出来たのかも知れません・・・

北の国から・・・と言いますと「さだまさし」さんの平和な歌声が聞こえますものの、この頃は北の国から何か変なものが盛んに飛んで来ますね・・・

困ったものですが、歴史の成り立ち(特に近代史)を勘考していたずらに騒がずいたいものだと思います・・・

因みに「地上の楽園」帰った人たちに待っていたのは・・・

財産の没収(ほとんどこれがかの国の国策だったようですが)と日本生まれの朝鮮人に対する迫害の日々だったそうです・・・

セルマーのトランペットはその後どうなったのかは想像すら出来ません・・・

R君はこんな中、一体どんな人生を送ったのでしょうか?それもまた想像すら出来ません・・・私と同い年なのでとっくに70歳のはず・・・




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Posted by shin344 at 21:17│Comments(4)日記
この記事へのコメント
セルマーのトランペットの方、日本に残っていたらと思うと、どうかわかりませんが、なんだか、せつない思いがします。
なんだか物語みたいですが、この夢物語は現実だったのでしょうね。
Posted by きこ at 2017年09月18日 22:40
Shin344さん  今日は 
トランペットの演奏をされていたとは とっても
私などかないません料理の腕前と言い楽器の演奏やら---

世界第二次世界大戦終了時 旧ソ連は北方四島
の他北海道の半分の要求をトルーマンアメリカ大
統領に申し入れしたようですね ところがアメリカ
・イギレス・中華民国三国の同意が得らえず
トルーマン大統領がこれを拒否したそうです
 それがなかったら今頃 朝鮮半島の二の舞?
民間団体の「特定失踪者問題調査会」では日本人
の拉致は数百人の上るのでないか との意見もあ
るとか?
 日本側の救出方法がこれで良いのか
「イソップ物語の北風と太陽」の北風・北風また
北風これ一つでいいですか---------と思いますよ
Posted by もともと at 2017年09月19日 13:05
☆きこさん・・・実はR君の他にR君と親友関係だったC君と言う北朝鮮籍の
人もいました。C君はトロンボーンでしたが、R君もC君も朝鮮学校で
日本人には負けてたまるかって切磋琢磨し合ったらしくC君の
トロンボーンも大したものでした・・・R君が母国の「楽園」に帰ったのに
対してC君は日本に残りました・・・しばらくはC君とお付き合いしましたが
北朝鮮の理不尽な問題が浮上するにつれて何だか私に対する
態度も変わって来ました・・・それまでは、C君の経営する焼肉屋へ
家族皆で伺ったりしたりC君の妹さんの結婚式にお呼ばれしたり
楽しい日々でしたが、30年位前に一度連絡をしましたら、もう、
何処の誰でしたっけ?みたいな反応でした・・・C君の奥さんからの
反応でしたが、主人(C君)は何か新しい事業を起こすらしいとの事でした・・・
その時点で全く私と別な生き方をするんだなと感じまして、それから
一切連絡を取っていません・・・

日本に残ったC君はこれまたそれなりの、日々を送ったのでしょうね・・・
あの時「地上の楽園」に帰った人、日本に残った人、そして私たち・・・
それぞれ必死に人生を生きていたのだと思います・・・
Posted by shin344shin344 at 2017年09月19日 22:12
☆もともとさん・・・お越し下さいましてありがとうございます・・・
本当にそうですね・・・歴史に「もし」はないと言いますが、
当時敗戦国の日本ですから、どんな風になっても
不思議ではありません・・・北北海道共和国が、北海道全域を
制覇すべく南進攻略したなんてありましたら、私の孫はこの世に
居ないかも知れませんね・・・
Posted by shin344shin344 at 2017年09月19日 22:33
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