2009年01月27日

ファブル・ブラント5・・・

ファブル・ブラントの数少ない著書のひとつ「横浜の風物と事情」には、開港直後の横浜の様子が描かれて居て大変に面白いものです。少し参照してみます。
「1863年4月、私が到着した頃の横浜には、日本の発展史の上に、重要な役割りをもつ外人の居留によって、生計を営んでいる約3000人の日本人が住んでいた。ファブル・ブラント5・・・

(エピソード1・・・ファブル・ブラントが来日した頃の横浜)

昔、この小さな町は、森の繁る山手地帯に囲まれていた。そこには人家がなく、松や他の樹木が繁茂して、狭い小道を通ると、足元から雉、山しぎ、野鳩(日本のトキ属の白い鳥)、雀の群れが飛び立った。(中略)また鶴も時折、田圃を訪れたが、日本人の狩猟は厳禁されていたので、鳥の群れはあまり人を怖れなかった。

外人は日本の法律の適用を受けることなしに、横浜の町外れまで出かけて狩猟を楽しんだ。しかし、二刀をたばさむ紳士(攘夷武士)の威嚇を警戒して、郊外へは足を踏み入れなかった。彼らは外人の大部分を日本国外に放逐すべき敵とみなしていた。だから我々は、横浜の北端を富岡、保土ヶ谷辺りに止めて、最も冒険好きの者でも、遠くへ行く限界は金沢辺りまでであった。」

狩猟民族の外人が、当時の狩猟の対象が沢山居た横浜の豊かな自然を語っていますが、反面「攘夷」の嵐の中、外人と見れば、刀を抜く「攘夷武士や浪人」の危険な存在を示しています・・・



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