2012年06月02日
オッピキヒヤリコ トットット・・・
♪野毛の山から ノーエ
野毛の山から ノーエ
野毛の サイサイ 山から
異人館を見れば
お鉄砲かついで ノーエ
お鉄砲かついで ノーエ
お鉄砲 サイサイ
小隊進め
オッピキ ヒヤリコ ノーエ
オッピキ ヒヤリコ ノーエ
オッピキ サイサイ・・・
これは幕末の俗謡で、横浜の野毛山から、眼下に望むと外国人居留区とか外国人兵士の練兵とかが行われていました・・・
この「野毛節」の歌詞を見たとき、反射的にこの横浜錦絵が思い出されました。赤い服のイギリス部隊がフェントン指揮の鼓笛隊を先頭に行進しています。当時の日本人はこういう軍隊を鼓舞する音楽などおそらくあまり聴く機会もなかったでしょうからかなり、新鮮で力強い印象を与えたのでしょうね・・・
・・・オッピキヒヤリコ トットット・・・あの時代のこの鼓笛隊の行進、見物したかった。ちなみに赤い制服のこのイギリス部隊は「赤隊」、フランスの青い制服の軍隊は「青隊」と呼ばれたらしいです・・・
野毛の山から ノーエ
野毛の サイサイ 山から
異人館を見れば
お鉄砲かついで ノーエ
お鉄砲かついで ノーエ
お鉄砲 サイサイ
小隊進め
オッピキ ヒヤリコ ノーエ
オッピキ ヒヤリコ ノーエ
オッピキ サイサイ・・・
これは幕末の俗謡で、横浜の野毛山から、眼下に望むと外国人居留区とか外国人兵士の練兵とかが行われていました・・・
この「野毛節」の歌詞を見たとき、反射的にこの横浜錦絵が思い出されました。赤い服のイギリス部隊がフェントン指揮の鼓笛隊を先頭に行進しています。当時の日本人はこういう軍隊を鼓舞する音楽などおそらくあまり聴く機会もなかったでしょうからかなり、新鮮で力強い印象を与えたのでしょうね・・・
・・・オッピキヒヤリコ トットット・・・あの時代のこの鼓笛隊の行進、見物したかった。ちなみに赤い制服のこのイギリス部隊は「赤隊」、フランスの青い制服の軍隊は「青隊」と呼ばれたらしいです・・・
Posted by shin344 at 14:29│Comments(1)
│横浜今昔物語
この記事へのコメント
私は今現在44歳の
ファブルブラント四代目当主だが子供はまだ居ませんよ。横浜開港資料館にも5、6回行き母、姉、妹、 姪っ子と行きましたメールなら
favrebrandt4@i.softbank.jpへ二代目息子の写真とか三代目本人と父と母の仏具も在りますよ。
ファブルブラント四代目当主だが子供はまだ居ませんよ。横浜開港資料館にも5、6回行き母、姉、妹、 姪っ子と行きましたメールなら
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Posted by 真 favrebrandt4 at 2016年02月11日 20:00