2013年04月23日

今はもう誰も・・・

今は誰も居なくなった所・・・場所を匿名にしたって誰も居ないのではっきりしますが・・・ここは福島県浪江町谷津田です。老妻の生まれ育った所です。300余年間も、人々が生まれて死んだこの家・・・今頃は、雑草の中に埋もれているはずです・・・今はもう誰も・・・

奥の方の赤瓦は、私が老妻を申し受けに来た頃は、立派な茅葺屋根の家でした・・・手前の蔵の中で、今は亡きおばあちゃんが、一分銀とか天保通宝とかの古銭を見せてくれましたっけ・・・


この蔵も屋根や壁が落ちて、ひどいことになっているそうですよ・・・
今はもう誰も・・・
豊かに実った稲穂・・・今はもう雑草だらけのはずです・・・雑草を刈り取る人すら居ません・・・ここはしっかりと、立ち入り禁止の区域ですから・・・

そんな事、もう皆さん忘れてしまっているかも知れませんね・・・でも、ここに営々と生活してきた人たちは次々に壊れつつあるのは事実です・・・

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Posted by shin344 at 21:38│Comments(3)日記
この記事へのコメント
寂しいですね、帰れない自宅。きっと草がすごいことでしょう。
だんだん忘れられていくような感じがありますが、知り合いに「音の絆」という福島応援の音楽の団体をやっていられる方がいらして、こちらで音楽会やって、その資金で福島で無料のコンサートを開くと、頑張ってらっしゃいます。
先日のメサイアもその活動の1つでした。
いろいろな活動で、記憶からなくさないようにしていかなければ。
私の親戚の家も草ぼうぼうと聞きました。あの防護服で何度か行ったようです。あと5年で帰れるとかいいますが、どうでしょうか。
夫沢の叔母は今年3月11日!に101歳になりました。今は那須にいます。
水戸といえば、こどものころ福島の行き帰りに、梅羊羹を買うのが通例でした。今は水戸黄門さまのほうが人口に膾炙していますね。
Posted by きこ at 2013年04月24日 00:15
そうそう、叔母の家もこの写真に似てます。家の前が田んぼです。下の写真そっくりです。そして、左方向に原発があるのです。
なんだか懐かしい・・・・
Posted by きこ at 2013年04月24日 00:22
☆きこさん。「音の絆」素晴らしい活動ですね・・・人々は忘れてしまうかもしれませんが、私たちは多分一生忘れられないのでしょうね。老妻の実家も、防護服で何度か行ったようで、写真も見せられますが切なくて見て居られません・・・叔母様101歳ですか?それまた素晴らしいですが、早くお宅に帰りたいでしょう・・・私の義母も90歳になりましたが、皆の足手まといにならないようにと頑張っているそうです。でも帰る事はとっくに諦めているようです。いよいよ水戸ですね・・・私は水戸と言えば「水戸の梅」、しょっぱい紫蘇梅に甘いあんこが良く会います・・・不思議な事にその地方地方で家並が似てくるみたいです・・・大熊町の義弟宅もそっくりです。101歳の叔母様や被災された人々が帰る事が出来る日、一体何時かは分かりませんが祈るしかありませんね・・・
Posted by shin344 at 2013年04月24日 18:59
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