2007年01月08日
吉田新田物語11・・・掘割川3
忘れない内にお話しして置きます。中村の丘開削と掘割川という、吉田家にとっても青天の霹靂、新政府の横暴である神奈川県の都市計画に、吉田家は何とか許可を得たものの、もとよりこの大事業を成し遂げるだけの財力、技術力はありませんでした。そこで吉田は資金調達と運営のために、横浜の商人4人に協力を依頼しました。この4人は元々、吉田と開発権を競った者でありましたので、彼等は共同して「吉田方会所」という埋め立て会社を設立し、資金はアメリカ・ウオルス・ホール商会から借り受ける事にしました。しかも年額2割4分という高利だったそうですよ。後に工事が計画額の2倍以上にかさんでしまい、ウオルス・ホール商会は、その資金を英国オリエンタル・バンクより借り受けていた関係で、この難工事は、米・英国を巻き込む国際問題にもなったそうです。下の地図は、前の記事で掲載しました「一ツ目沼」の今の様子です。当時、底なし沼とまで称された「一ツ目沼」を埋め立てていた人々が、今の姿を果たして想像したものかどうかは分かりません。航空写真にもなりますから、俯瞰して下されば幸いです。
河井継之助とファブル・ブラントと長岡戦争と、シーズン2・・・
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河井継之助とファブル・ブラントと長岡戦争と・・・10
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Posted by shin344 at 18:12│Comments(2)
│歴史
この記事へのコメント
こんばんは♪
年利25%で、しかも予算超過が2倍になってしまうとは・・・。
怖ろしい数字になってしまいますね。
見積もりを誤った原因は、沼が予想以上に深くて埋め立てに手間がかかったことと、掘割川の整備のための丘の掘削が事業予測よりも広がってしまったでしょうか。
横浜の埋め立ては歴史的に見れば比較的新しく、江戸時代を通して関東各地で行なわれた新田開発や利根川の整備開発などによって養われた技術が生かされているものと考えていたのですが、やはり海沿いでの事業であることが工事を難しくしていたのでしょうか。
磯子近辺では、埋め立て地ではなく元々の土地においても少し掘ると水が出易かったようです。
戦時中にも防空壕を掘っても、水が出てしまうことが多く役に立たなかったといった話しを年寄りから聞いたことがあります。
年利25%で、しかも予算超過が2倍になってしまうとは・・・。
怖ろしい数字になってしまいますね。
見積もりを誤った原因は、沼が予想以上に深くて埋め立てに手間がかかったことと、掘割川の整備のための丘の掘削が事業予測よりも広がってしまったでしょうか。
横浜の埋め立ては歴史的に見れば比較的新しく、江戸時代を通して関東各地で行なわれた新田開発や利根川の整備開発などによって養われた技術が生かされているものと考えていたのですが、やはり海沿いでの事業であることが工事を難しくしていたのでしょうか。
磯子近辺では、埋め立て地ではなく元々の土地においても少し掘ると水が出易かったようです。
戦時中にも防空壕を掘っても、水が出てしまうことが多く役に立たなかったといった話しを年寄りから聞いたことがあります。
Posted by バック at 2007年01月08日 23:41
☆バックさん。
朝になってしまいましたので、おはようございます。
予定額が2倍以上になりましたのは、おっしゃるとおり、
沼地の処理にてこずった事と、掘割川と沼地への距離
が遠かったり(今ならバスで10分程度ですが)、農地を
取り上げられる農民などもあり、切り割った中村の丘に
政府は口だけは出したようで(現代てもあまり変わりませんが)
危険なので再工事を命じたり、色々な要素が絡んで高額に
なったようですよ。今後、触れると思いますが、吉田が
苦労して埋め立てた「一ツ目沼」も、政府が召し上げて
しまって製鉄所にしてしまったなんて話しもありますし・・・
この掘割川に絡む沼地の埋め立てで一番懸念されたのは
やはり、洪水の被害だったようです。大水が堤防を決壊させ
吉田新田内に溢れる事は多く、この沼地が一種の逃がし水の
機能も果たしていましたが沼地を埋め立てて伊勢佐木町
界隈が大水に襲われた時には、住民の不満も頂点に
達したようです。
そもそも、神奈川県の立てた都市計画ですから当然、
県が行うべき、工事を、個人に請け負わせて、甘い汁だけ
吸うと言う事自体が変だとは思いますが、今でもそういう事を
良く耳にしますが、その頃はまだまだ政府も成熟していません
から、もっとひどかったのでしょうね。
磯子近辺はそうだったのですか?私の職場も屏風ヶ浦から
連なる丘の延長ですから、水が出易いという事はあるかも
知れませんね。貴重なお話しありがとうございました。
朝になってしまいましたので、おはようございます。
予定額が2倍以上になりましたのは、おっしゃるとおり、
沼地の処理にてこずった事と、掘割川と沼地への距離
が遠かったり(今ならバスで10分程度ですが)、農地を
取り上げられる農民などもあり、切り割った中村の丘に
政府は口だけは出したようで(現代てもあまり変わりませんが)
危険なので再工事を命じたり、色々な要素が絡んで高額に
なったようですよ。今後、触れると思いますが、吉田が
苦労して埋め立てた「一ツ目沼」も、政府が召し上げて
しまって製鉄所にしてしまったなんて話しもありますし・・・
この掘割川に絡む沼地の埋め立てで一番懸念されたのは
やはり、洪水の被害だったようです。大水が堤防を決壊させ
吉田新田内に溢れる事は多く、この沼地が一種の逃がし水の
機能も果たしていましたが沼地を埋め立てて伊勢佐木町
界隈が大水に襲われた時には、住民の不満も頂点に
達したようです。
そもそも、神奈川県の立てた都市計画ですから当然、
県が行うべき、工事を、個人に請け負わせて、甘い汁だけ
吸うと言う事自体が変だとは思いますが、今でもそういう事を
良く耳にしますが、その頃はまだまだ政府も成熟していません
から、もっとひどかったのでしょうね。
磯子近辺はそうだったのですか?私の職場も屏風ヶ浦から
連なる丘の延長ですから、水が出易いという事はあるかも
知れませんね。貴重なお話しありがとうございました。
Posted by scemo3440 at 2007年01月09日 06:13