2013年12月31日

日本スイス国交150周年記念・・・

スイス、この何千キロも離れた小国から幕末動乱期の日本へ通商をするべく訪れた使節団がありました。エイメアンベールを団長とする、スイス修好使節団です。1863年(文久二年)の事です・・・当時の日本では「生麦事件」が起こったり、外国人が傷つけられたりと、外からの風に混乱をしていました。そんな中、スイスの使節団が日本に上陸をしたと言う事自体誠に驚くべき事であります。ましてやその使節団を迎え入れるべく動いたスイス人が既に日本(横浜)に居たと言う事実にも驚かされます。日本スイス国交150周年記念・・・

それは、スイス使節団来日に先立つ1859年にスイス政府通商関税局に推されて日本に派遣されたルドルフ・リンダウと、彼と共におそらく一緒に来日したと思われるフランソワ・ペルゴーでした。ペルゴーは、現存するジラール・ペルゴー社の創始者でもあります・・・

1863年に来日したスイス修好通商使節団は以下のような人々で形成されていました。カスパー・ブレンワルド(公使館参事官兼書記官)、ヨハン・ブリンゴルフ(陸軍少佐、公使館付武官)、イワン・カイザー(砲兵将校兼技師)、ジェームス・ファブルブラント(時計業)、エドゥワール・バブィエ(商人)でした・・・
日本スイス国交150周年記念・・・

ところで、このスイス修好通商使節団のメンバー、ジェームス・ファブルブラントと長岡藩家老、河井継之助との交流が司馬遼太郎の「峠」にあります。ファブルブラントがスイスの永世中立を河井に説き、河井も実現こそならなかったものの、大きく心を動かして「武装中立」を唱えると言うものです・・・

この河井とファブルブラントとの交流はある程度事実だと思われますが、実際に武器を河井へ売ったのは、先に述べたフランソワ・ペルゴーと横浜でペルゴー・スネル商会を立ち上げた、プロシア人(オランダ人とも言われますが、私はプロシア人だと思います)エドワルド・スネルが主となったのだと考えられます・・・

画像は河井継之助記念館の河井像です・・・


さて、そのような訳で、来年は日本とスイスが国交を始めた記念の年になります・・・以前品川でお会いしたフィリップ・ニーゼル氏などがメッセージを述べている記念のホームページが立ち上がっています・・・

興味のある方は是非ともクリックして見て下さい・・・http://www.ch.emb-japan.go.jp/anniversary2014/index_j.html


皆さんどうぞ良いお年をお迎え下さい・・・

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