2009年08月01日

馬の博物館にて・・・

馬の博物館のある根岸森林公園は、横浜今昔物語のカテゴリーに入ります。横浜開港と同時に居留した外国人は大の競馬好き、と言うより生活の一部だったようで、開港直後の文久2年(1862年)には山下町(現中華街辺り)で競馬が行われています。そして、慶応2年(1866年)にはここ根岸競馬場が開かれて、以来戦雲急を告げる昭和18年(1943年)まで競馬場でした。馬の博物館にて・・・

これは、明治時代、根岸競馬場に集う、人々です。今の日本の競馬のようにオッサンが赤鉛筆を耳に挟んで、耳目をギラギラさせているような競馬でなくて、老若男女が集う社交の場のような雰囲気だったのでしょうね・・・


館内のパネルから・・・フラッシュを焚くことと天皇陛下の馬車以外は撮影OKでしたよ。
馬の博物館にて・・・

馬の遠い祖先です。もちろん化石から復元されたものですが、体長約30cm位、ネズミの親戚みたいですね・・・彼の子孫が、人間なる横暴な生き物を乗せて走り回るなんて、この頃は誰が想像したでしょうね・・・なんてバカな事を言ってる私(人間)の遠い祖先だってネズミのような哺乳類だったのでしょうけれど・・・
馬の博物館にて・・・
戦国武将乗馬のレプリカです・・・映画などで、馬に乗って疾走する颯爽とした武将などを良く目にしますが、この馬はちょっとそんなイメージではないですね。重い甲冑を着た武将に潰されそう・・・実はこの馬は、日本馬、実際に鎌倉の合戦現場から発掘された軍馬の骨格から再現されたらしいです。

そう言った視点からですと、黒澤映画の合戦シーンのように、人馬の群れがドドドドッ!!・・・とぶつかり合うような迫力よりもむしろ、敵同士の陣の中から、ポコポコと小さい馬に乗った武将が出て来て、「やあやあ我こそは相模守、根岸馬之助なり!・・・」などと名乗りあって、一騎討ちをする方が何となく合いそうな感がしました・・・
馬の博物館にて・・・
そんな訳で、根岸競馬場、今は家族が楽しく駆け回ったり、木陰で読書をしたりする平和な根岸森林公園です。しかし、昭和18年以降は、この一等観覧席跡の眺望の良さから、海軍が接収をして、戦後は米軍が接収しましたよ。米軍は今でも、この周辺の一等地を占めています・・・この一等観覧席跡は廃墟スポットとして人気があるそうですが、残念ながら中には入れません・・・

同じカテゴリー(横浜今昔物語)の記事画像
オッピキ ヒヤリコ トットットⅡ・・・
オッピキヒヤリコ トットット・・・
くらやみ坂・・・
James Favre-Brandt17・・・
玉子の形・・・
関東大震災・・・
同じカテゴリー(横浜今昔物語)の記事
 オッピキ ヒヤリコ トットットⅡ・・・ (2012-06-03 20:10)
 オッピキヒヤリコ トットット・・・ (2012-06-02 14:29)
 くらやみ坂・・・ (2009-11-22 17:19)
 James Favre-Brandt17・・・ (2009-09-28 19:37)
 玉子の形・・・ (2009-09-04 20:44)
 関東大震災・・・ (2009-09-02 17:29)

この記事へのコメント
根岸森林公園って未だに近くて遠いエリアって感じです。
一度行ってみたいと思います。

戦国武将、、、確かにあんなに重い甲冑を着けていたら身動きできなそう。刀も重いでしょうから、映画みたいな動きはできないでしょうね。
Posted by Danbe at 2009年08月04日 20:17
Scemoさん、こんにちは!
私も実は根岸のあたり、行った事がないんです。
馬というと、なんだかジョン・ウェインとかのウェスタン映画のイメージですが、確かに日本でも昔から馬は農業をはじめ、移動手段、そして戦争でも使われてきたんですよね。
うちのすぐお隣にも馬を何頭か飼っているところがあって、特に週末は 乗馬をしている人を見かけます。 馬って管理が結構大変なようですね。
Posted by Ziggy at 2009年08月06日 01:47
☆Ziggyさん。こんにちは。そうそう、西部劇と
言えばカウボーイが馬で疾走という場面が
目に浮かびますね・・・それにしても、
お隣に馬がいるなんて、また何と言う
素敵に広い場所なんですね。
Posted by scemo3440 at 2009年08月07日 18:03
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。