2008年06月16日
To横濱 100years ago・・・中華街
よこはまクイズに「中華街の家並みや道路は何故斜めなの?」というのがありました。答えは、開港当時、欧米の貿易商たちと日本人の間で通訳をしたり、為替の仕事に携わった「買弁(ばいべん)」と呼ばれる中国人たちを、横浜村の人々が村の耕地面積を広げるため自主的に埋め立てた「横浜新田」の場所に住まわせたという事です。はっきりした理由は分からないのですが、横浜新田の畦道の沿った区割りをそのまま中国人居留地にしたらしいです・・・
中華街165番地付近の画像です・・・右側の通りの右端が西欧人の建物に対して、真ん中の家並みからは中国人の建物になっているように見えましたので、そういう場所を探した結果・・・・
この場所に行き当たりました・・・右端の建物、今はホリディ・イン・ヨコハマになっています。当時の中国人居留地では、今のように料理店の町ではなく、海産物や砂糖の貿易商、両替商、ピアノ店などさまざまな商売の建物が多かったそうです・・・
中華街165番地付近の画像です・・・右側の通りの右端が西欧人の建物に対して、真ん中の家並みからは中国人の建物になっているように見えましたので、そういう場所を探した結果・・・・
この場所に行き当たりました・・・右端の建物、今はホリディ・イン・ヨコハマになっています。当時の中国人居留地では、今のように料理店の町ではなく、海産物や砂糖の貿易商、両替商、ピアノ店などさまざまな商売の建物が多かったそうです・・・
Posted by shin344 at 11:37│Comments(2)
│横浜今昔物語
この記事へのコメント
ほぉ~、中華街は建物は相当変わったものの、道路がそのままに残っている感じですね。
この場所、見覚えがあります。
ちょっぴり懐かしい気持ちになりました。ありがとうございます。
この場所、見覚えがあります。
ちょっぴり懐かしい気持ちになりました。ありがとうございます。
Posted by Ziggy at 2008年06月19日 02:22
☆Ziggyさん。大体、元町中華街駅から中華街を訪れる人は、ここから入るようですね。Kurobutaさんをご案内された時も、ここから始められたのでしょうね。懐かしく思い出して頂けて、嬉しいです。。。
Posted by scemo3440 at 2008年06月20日 12:46