2008年12月06日
真景横濱今昔・・・ゲーテ座
本町通りにあったゲーテ座がリパブリックホールとなった後、ここ山手254番に新しく建てられました。演劇、映画、音楽会などで、明治初期の演劇人にも大きな影響を与えたそうです・・・・
これは本町通り68番地に居留民の為の劇場兼集会場として明治3年(1870年)に完成した「ゲーテ座」です。四本の柱がぺディメント(三角形の妻壁)を支えています・・・
そしてこちらが、明治18年(1885年)に山手に新設された「ゲーテ座」です・・・向かって左側、公衆電話ボックス(なのかどうかは分かりませんが)様の円筒形の側が今の「港の見える丘公園」になります・・・そして右側のゲーテ座は現在の岩崎博物館とむほぼ一致します・・・
大体、谷戸坂上の同位置です・・・逆光で少し分かり辛くてスミマセン・・・向かって右側奥に岩崎博物館(岩崎学園の服飾博物館です・・・ゲーテ座の資料も展示中)がちょっと顔を出していますが、ちょっとアングルも、谷戸坂を下り過ぎました。。。
これは本町通り68番地に居留民の為の劇場兼集会場として明治3年(1870年)に完成した「ゲーテ座」です。四本の柱がぺディメント(三角形の妻壁)を支えています・・・
そしてこちらが、明治18年(1885年)に山手に新設された「ゲーテ座」です・・・向かって左側、公衆電話ボックス(なのかどうかは分かりませんが)様の円筒形の側が今の「港の見える丘公園」になります・・・そして右側のゲーテ座は現在の岩崎博物館とむほぼ一致します・・・
大体、谷戸坂上の同位置です・・・逆光で少し分かり辛くてスミマセン・・・向かって右側奥に岩崎博物館(岩崎学園の服飾博物館です・・・ゲーテ座の資料も展示中)がちょっと顔を出していますが、ちょっとアングルも、谷戸坂を下り過ぎました。。。
Posted by shin344 at 17:58│Comments(0)
│横浜今昔物語